「工期」渡辺めぐみ。
わたしは飢餓という名の街を歩いている。この街は少し人工的で、民は何かに飢えているらしい。すべての人を疎外しているかのような印象を受ける街の様子だ。支配するものは、言葉の持つ力を畏れているのだろう。街の名前になっている「飢餓」は言葉への飢餓なのだが、同時に、当然のこととしてその言葉を使う心への飢餓であるわけだ。わたしはどこかからこの街へやって来たのであり、「愛」という言葉を使用禁止用語として科せられているのだろう。「愛」という言葉が禁止されている街では、人の目を見ないようにうつむいて歩くしかないのだろうか。それでも、
けれどその街で思い出した言葉は
言葉にしなくても
その発生を抑止することはできないだろうけれど
街は壊れても
人が不完全であれば
起きての禁じる言葉を
わたしは懐かしく
生きることができるのかもしれない
(最終部分)
J.L.ゴダールが1965年に撮ったSF映画に「アルファビル」という作品がある。コンピューターが支配している未来都市にやってきたトレンチコート姿の探偵が活躍するのだが、その街では次々に言葉が失われているのだ。彼がその街から救い出した女性が逃走する車の中でやっとの思いで口にする言葉が「愛」であったことを、なんとなく思い出した。
(http://blogs.yahoo.co.jp/takaki2274/13636839.html)
わたしは飢餓という名の街を歩いている。この街は少し人工的で、民は何かに飢えているらしい。すべての人を疎外しているかのような印象を受ける街の様子だ。支配するものは、言葉の持つ力を畏れているのだろう。街の名前になっている「飢餓」は言葉への飢餓なのだが、同時に、当然のこととしてその言葉を使う心への飢餓であるわけだ。わたしはどこかからこの街へやって来たのであり、「愛」という言葉を使用禁止用語として科せられているのだろう。「愛」という言葉が禁止されている街では、人の目を見ないようにうつむいて歩くしかないのだろうか。それでも、
けれどその街で思い出した言葉は
言葉にしなくても
その発生を抑止することはできないだろうけれど
街は壊れても
人が不完全であれば
起きての禁じる言葉を
わたしは懐かしく
生きることができるのかもしれない
(最終部分)
J.L.ゴダールが1965年に撮ったSF映画に「アルファビル」という作品がある。コンピューターが支配している未来都市にやってきたトレンチコート姿の探偵が活躍するのだが、その街では次々に言葉が失われているのだ。彼がその街から救い出した女性が逃走する車の中でやっとの思いで口にする言葉が「愛」であったことを、なんとなく思い出した。
(http://blogs.yahoo.co.jp/takaki2274/13636839.html)