「夏至」杉本真維子、は次のように始まる。
夏至までの数日を
待てない、というように
寝床の肌がけをはためかせ
赤い珠のようなものを捕まえた
季節の中で漂っていると、感覚も漂っていく。待っているものが愛おしいのか、それとも待つという行為自体が愛おしいのか。なんでもないことなのだからと、無理に抑えようとしているのに心は高ぶってくる。それは、夏至に近づくという季節の巡りによってもたらされているので、説明のできない高ぶりなのだ。
じっとしていると
濡れたあざらしの顔が
闇に喰われて
ねめっとした、目だけのわたしが、起き上がる
自分の外側の事象と、自分の内側の感覚が次第に溶けあって、どちらがどちらだったのか、これは外から入ってきたものなのか、それとも、中から出ていこうとしているものなのか、混沌としてくる。その曖昧な感覚がとても美しい。最終行は、
焼けた砂が縮み、海はまだ、むこうがわにある
夏至までの数日を
待てない、というように
寝床の肌がけをはためかせ
赤い珠のようなものを捕まえた
季節の中で漂っていると、感覚も漂っていく。待っているものが愛おしいのか、それとも待つという行為自体が愛おしいのか。なんでもないことなのだからと、無理に抑えようとしているのに心は高ぶってくる。それは、夏至に近づくという季節の巡りによってもたらされているので、説明のできない高ぶりなのだ。
じっとしていると
濡れたあざらしの顔が
闇に喰われて
ねめっとした、目だけのわたしが、起き上がる
自分の外側の事象と、自分の内側の感覚が次第に溶けあって、どちらがどちらだったのか、これは外から入ってきたものなのか、それとも、中から出ていこうとしているものなのか、混沌としてくる。その曖昧な感覚がとても美しい。最終行は、
焼けた砂が縮み、海はまだ、むこうがわにある