南岳小屋から少し登ると獅子岩の横を通り、いよいよ今回の山行の山場である大キレットへの下りが始まる。
まずは獅子岩の脇の崖をひたすら下る。途中にはしごや鎖場もあったが、ルートも明瞭で、足下がややざれている他は問題なく歩けた。後は最大の難所である長谷川ピークまで、痩せ尾根を登ったり下ったりする。一ヶ所稜線上に岩がゴロゴロ積み重なっているところがあって、底を通過する際はかなり怖い思いをしたが、あとはさほど怖い思いもせずに通過することができた。
目の前には北穂高岳がごつごつした山容を見せている。北穂高岳の北側は垂直の崖となっており、ガスがかかり始めたものの、ものすごい迫力で俺に迫ってくる。そこは滝谷と呼ばれてロッククライミングのメッカである。さすがにこの日は登っている人はいなかったが、こんな恐ろしい崖に果敢にチャレンジする人もいるのだ(北穂高小屋ではロッククライミングをする人のための案内板もあった)と思うと驚いてしまう。
長谷川ピークに向かうまでの間に、次第に東側からガスがかかってきた。この様子だと、北穂高岳から大キレット、槍ヶ岳を一望する有名な光景は望めなくなる公算が大である。でも、ガスがかかれば大キレットや飛騨泣きの難所を通過する際、左右の切り立った崖を目にすることなく通過でき、怖さも半減するだろうと思った。
南岳小屋からちょうど1時間で長谷川ピークに到着した。ここで3人の単独行の男性と一緒になったのだが、1人の人はひょひょいと岩の上を渡って、あっと言う間に通過していってしまった。後で聞いたところによれば、この人は年に1,2回は大キレットに来ている人だそうで、これほどの難所をあれほど軽快に歩けてしまうのももっともなことだと思った。
ここまでは稜線の上を歩いてきたわけであるが、稜線のピークがそのまま高みを持ったようなところが長谷川ピークである。長谷川ピークに登るまでも、頂上付近も、下り始めるところも、どこもすべて平らなところがなく、左右は鋭く切れ落ちた崖になっている。そうした斜面の緩やかなところに鎖が付けられ、頂上までの登りは比較的容易に切り抜けることができたが、下りはそうもいかず、鎖に頼りながらそろそろと下りていかなければならない。高所恐怖症の俺は、鎖に頼るだけでは心許なく、周囲にほとんど人がいないのを幸いに、場所によっては地面に座り、3点支持ならぬ4点支持でそろそろと下りていった。特に馬の背と呼ばれる一番狭い稜線では体の向きを変えながら、本当に少しずつ少しずつ下っていった。そんなことをしていたので、他の3人からは大きく後れを取ってしまった。
長谷川ピークを下りきるとA沢のコルという平地に出る。ここで息を整え、俺自身には長谷川ピーク以上の難所に感じられた北穂高岳への登りにかかる。ここにも飛騨泣きという難所が待ちかまえている。まずはかなりの斜度のある斜面を鎖を手がかりに登っていく。しかし、危険な場所でも大体つかむ岩、足をかける岩がきちんと整備されているので問題ない。
俺は去年の剱岳の時以上に重い荷物を背負っているのだが、岩を登るのに夢中で、不思議と重さが気にならない。初日の槍ヶ岳への登りは、荷物の重さと肩の痛みが気になって仕方なかったけれど、この日はほとんど気にならなかった。
周囲が一面のガスに覆われ、わずかに下の雪渓や長谷川ピークの周辺が見える程度で、本来なら北には槍ヶ岳が鋭く聳えているはずなのであるが、残念ながら目にすることはできない。
そんな中で黙々と登っているうちに、いつの間にか飛騨泣きという難所を通過してしまったらしい。後で聞くと、鉄板で作った足場が鎖とともに設置されていた、長谷川ピーク同様両側がすっぱりと切れ落ちた狭い稜線部分がそうであったらしい。これまた登るのに夢中で気付かなかったのであろう。その上長谷川ピークと異なり、飛騨泣きではここが飛騨泣きであるという表示もなかったのでなおさら気付けなかったのであろう。
北穂高岳小屋までは恐らく今回の山行で一番ハードだったであろう、ひたすら鎖場やはしご、岩登りの連続であった。俺は今回は登りで使ったが、絶対にここを下りで通りたくはないと思った。長谷川ピークを下る時以上の恐怖感を、1時間以上にわたって続けるのはたまったものではない。
一面のガスの中を北穂高小屋に着いた。南岳から1時間半。意外と時間がかからなかったので驚いてしまった。いや、夢中で登ったり下ったりしていたので、時間もあっと言う間に過ぎ去ってしまったのだろう。
北穂高小屋で先に行った2人と再会していろいろ話をした。それにしても北穂高小屋はよくこんな所に小屋が建てられたものだと感心してしまう。ちなみにこの小屋で出すランチ(パスタやカレーなど)は大変美味しいので評判だと、下山してから知った。俺がいた時間帯はまだ営業前だったので残念である。
昼飯を食べていると、軽装の男性が山頂方面から現れた。トレイルランニングをやっている人である。この人は、この日は上高地を出て前穂高岳、奥穂高岳に登頂し、北穂高岳から涸沢に下り、そのまま今日のうちに上高地へ戻るそうだ。今回槍穂縦走にあたってネットで調べた時に、上高地から奥穂高岳、大キレット、槍ヶ岳と縦走し、また上高地に帰ってくるという、俺が2泊3日で歩いたルートの逆のルートを何と1日で回ってしまったという人の記録を読んだことがある。このことをその人に話したら、その人もびっくりしていた。俺が槍ヶ岳に登る時もトレイルランニングをやっているとおぼしき人とすれ違ったが、こういう山の楽しみ方もあるんだなと思った。
北穂高岳小屋を出発し、ガスの中を穂高岳山荘に向かった。途中でライチョウの親子を見たり、ミネウスユキソウが咲いているのを見たりした後、いよいよ今日最後の難所である涸沢岳への登りにかかる。ここも北穂高岳への登りほどでないにしても、斜度の急な、岩がごつごつした斜面である。そこを何とか登り切ると、涸沢岳の山頂付近の稜線に出る。その後は穂高岳山荘の赤い屋根を見ながら、山荘までひたすら下った。
北穂高岳小屋から2時間ほどで穂高岳山荘に到着した。山荘は大変な混雑で、この日は1畳に2人が寝るのだという。疲れているのにとんでもないことだと思ったが、よく考えたらこの日は金曜日。まぁ、仕方があるまい。それに、前日の槍ヶ岳山荘のように、空いているスペースが間違いなくあるだろうから、何とかなるだろうと思った。でも、1畳にこれだけ押し込まれるのは、山では初めて登った時の富士山の小屋、それ以外では小笠原に行った時のフェリーの時以来である。
部屋に入ると、俺の横の布団で寝る夫妻が既に到着していた。二人と話しているうちに、俺と”同衾”する学生風の男性がやってきた。どうやら、夫婦以外は同性同士を同じ布団に割り当てることに決まっているようで、俺の布団があるスペースは、単独行の男性ばかりが集められ、反対のスペースは同様に女性ばかりが集められていた。ちなみに山小屋では男女関係なく相部屋である。
まずは獅子岩の脇の崖をひたすら下る。途中にはしごや鎖場もあったが、ルートも明瞭で、足下がややざれている他は問題なく歩けた。後は最大の難所である長谷川ピークまで、痩せ尾根を登ったり下ったりする。一ヶ所稜線上に岩がゴロゴロ積み重なっているところがあって、底を通過する際はかなり怖い思いをしたが、あとはさほど怖い思いもせずに通過することができた。
目の前には北穂高岳がごつごつした山容を見せている。北穂高岳の北側は垂直の崖となっており、ガスがかかり始めたものの、ものすごい迫力で俺に迫ってくる。そこは滝谷と呼ばれてロッククライミングのメッカである。さすがにこの日は登っている人はいなかったが、こんな恐ろしい崖に果敢にチャレンジする人もいるのだ(北穂高小屋ではロッククライミングをする人のための案内板もあった)と思うと驚いてしまう。
長谷川ピークに向かうまでの間に、次第に東側からガスがかかってきた。この様子だと、北穂高岳から大キレット、槍ヶ岳を一望する有名な光景は望めなくなる公算が大である。でも、ガスがかかれば大キレットや飛騨泣きの難所を通過する際、左右の切り立った崖を目にすることなく通過でき、怖さも半減するだろうと思った。
南岳小屋からちょうど1時間で長谷川ピークに到着した。ここで3人の単独行の男性と一緒になったのだが、1人の人はひょひょいと岩の上を渡って、あっと言う間に通過していってしまった。後で聞いたところによれば、この人は年に1,2回は大キレットに来ている人だそうで、これほどの難所をあれほど軽快に歩けてしまうのももっともなことだと思った。
ここまでは稜線の上を歩いてきたわけであるが、稜線のピークがそのまま高みを持ったようなところが長谷川ピークである。長谷川ピークに登るまでも、頂上付近も、下り始めるところも、どこもすべて平らなところがなく、左右は鋭く切れ落ちた崖になっている。そうした斜面の緩やかなところに鎖が付けられ、頂上までの登りは比較的容易に切り抜けることができたが、下りはそうもいかず、鎖に頼りながらそろそろと下りていかなければならない。高所恐怖症の俺は、鎖に頼るだけでは心許なく、周囲にほとんど人がいないのを幸いに、場所によっては地面に座り、3点支持ならぬ4点支持でそろそろと下りていった。特に馬の背と呼ばれる一番狭い稜線では体の向きを変えながら、本当に少しずつ少しずつ下っていった。そんなことをしていたので、他の3人からは大きく後れを取ってしまった。
長谷川ピークを下りきるとA沢のコルという平地に出る。ここで息を整え、俺自身には長谷川ピーク以上の難所に感じられた北穂高岳への登りにかかる。ここにも飛騨泣きという難所が待ちかまえている。まずはかなりの斜度のある斜面を鎖を手がかりに登っていく。しかし、危険な場所でも大体つかむ岩、足をかける岩がきちんと整備されているので問題ない。
俺は去年の剱岳の時以上に重い荷物を背負っているのだが、岩を登るのに夢中で、不思議と重さが気にならない。初日の槍ヶ岳への登りは、荷物の重さと肩の痛みが気になって仕方なかったけれど、この日はほとんど気にならなかった。
周囲が一面のガスに覆われ、わずかに下の雪渓や長谷川ピークの周辺が見える程度で、本来なら北には槍ヶ岳が鋭く聳えているはずなのであるが、残念ながら目にすることはできない。
そんな中で黙々と登っているうちに、いつの間にか飛騨泣きという難所を通過してしまったらしい。後で聞くと、鉄板で作った足場が鎖とともに設置されていた、長谷川ピーク同様両側がすっぱりと切れ落ちた狭い稜線部分がそうであったらしい。これまた登るのに夢中で気付かなかったのであろう。その上長谷川ピークと異なり、飛騨泣きではここが飛騨泣きであるという表示もなかったのでなおさら気付けなかったのであろう。
北穂高岳小屋までは恐らく今回の山行で一番ハードだったであろう、ひたすら鎖場やはしご、岩登りの連続であった。俺は今回は登りで使ったが、絶対にここを下りで通りたくはないと思った。長谷川ピークを下る時以上の恐怖感を、1時間以上にわたって続けるのはたまったものではない。
一面のガスの中を北穂高小屋に着いた。南岳から1時間半。意外と時間がかからなかったので驚いてしまった。いや、夢中で登ったり下ったりしていたので、時間もあっと言う間に過ぎ去ってしまったのだろう。
北穂高小屋で先に行った2人と再会していろいろ話をした。それにしても北穂高小屋はよくこんな所に小屋が建てられたものだと感心してしまう。ちなみにこの小屋で出すランチ(パスタやカレーなど)は大変美味しいので評判だと、下山してから知った。俺がいた時間帯はまだ営業前だったので残念である。
昼飯を食べていると、軽装の男性が山頂方面から現れた。トレイルランニングをやっている人である。この人は、この日は上高地を出て前穂高岳、奥穂高岳に登頂し、北穂高岳から涸沢に下り、そのまま今日のうちに上高地へ戻るそうだ。今回槍穂縦走にあたってネットで調べた時に、上高地から奥穂高岳、大キレット、槍ヶ岳と縦走し、また上高地に帰ってくるという、俺が2泊3日で歩いたルートの逆のルートを何と1日で回ってしまったという人の記録を読んだことがある。このことをその人に話したら、その人もびっくりしていた。俺が槍ヶ岳に登る時もトレイルランニングをやっているとおぼしき人とすれ違ったが、こういう山の楽しみ方もあるんだなと思った。
北穂高岳小屋を出発し、ガスの中を穂高岳山荘に向かった。途中でライチョウの親子を見たり、ミネウスユキソウが咲いているのを見たりした後、いよいよ今日最後の難所である涸沢岳への登りにかかる。ここも北穂高岳への登りほどでないにしても、斜度の急な、岩がごつごつした斜面である。そこを何とか登り切ると、涸沢岳の山頂付近の稜線に出る。その後は穂高岳山荘の赤い屋根を見ながら、山荘までひたすら下った。
北穂高岳小屋から2時間ほどで穂高岳山荘に到着した。山荘は大変な混雑で、この日は1畳に2人が寝るのだという。疲れているのにとんでもないことだと思ったが、よく考えたらこの日は金曜日。まぁ、仕方があるまい。それに、前日の槍ヶ岳山荘のように、空いているスペースが間違いなくあるだろうから、何とかなるだろうと思った。でも、1畳にこれだけ押し込まれるのは、山では初めて登った時の富士山の小屋、それ以外では小笠原に行った時のフェリーの時以来である。
部屋に入ると、俺の横の布団で寝る夫妻が既に到着していた。二人と話しているうちに、俺と”同衾”する学生風の男性がやってきた。どうやら、夫婦以外は同性同士を同じ布団に割り当てることに決まっているようで、俺の布団があるスペースは、単独行の男性ばかりが集められ、反対のスペースは同様に女性ばかりが集められていた。ちなみに山小屋では男女関係なく相部屋である。