槍ヶ岳を初めて眺めたのは今から約30年も前の話である。
以前にも書いたとおり、俺の最初の本格的な登山というのは小学校六年生の時で、高山植物に憧れ、山の写真集を飽かず眺めていた俺を、その本の持ち主で登山を趣味としていた叔父に母親が頼んで、北アルプスの、燕岳から常念岳、蝶ヶ岳を通って上高地まで三泊四日で縦走するコースに連れて行ってくれることになったのだった。
その頃は全く運動音痴で、体力も気力も全く不足していたので、初日と二日目の午前中までは、初めて目にする高山植物に目を奪われつつ歩いたのだが、二日目の午後の一番疲れがたまってきたところで、常念岳のきつい登りに音を上げ、何とか登頂は果たしたものの、その状況を見かねた叔父が計画を変更し、そのまま上高地方面には向かわず、日程を切り上げて穂高町方面へ下山することになったのであった。
常念岳から下山して泊まったのが常念小屋であった。ここからは槍ヶ岳を望むことができる。記憶を掘り起こしてみると、食堂からは常念岳を眺めることができたように思うのだが、とにかくその時は気分が悪く、夕食にもほとんど手が付かず、そのまま部屋に戻って寝てしまったように思う。
翌朝は素晴らしい天気であった。下山が決まり、もうあの辛い思いをしなくて済むかと思うと、前日は記憶にも残らなかった見事な朝焼けの槍ヶ岳を食堂から眺めつつ、朝食を食べたように思う。ちなみに叔父は早起きをして、朝焼けに染まる槍ヶ岳をカメラに収め、後日パネルにしてプレゼントしてくれたが、俺はその写真を見るたびに途中で下山することとなった苦い記憶がよみがえり、間もなく飾るのをやめてしまった。
そんなわけで、槍ヶ岳は間接的に俺にとってあまり良い感情を持たない山として存在してきたわけであるが、一方で三年前の鹿島槍ヶ岳や八年前の蓼科山でも、深田久弥が「どこから見てもその鋭い三角錐は変わることがない。それは悲しいまでにひとり天をさしている。」と「日本百名山」で記している槍ヶ岳のその鋭い山容に、すぐにそれと気づけたものであった。
さらには、同僚の先生が昨年の夏に山岳部の合宿の際に蝶ヶ岳から撮した大キレットの写真を自分のパソコンの壁紙にしており、それをたまたま目にすることがあって、その先生に「大キレットいいですねぇ。この写真、登山意欲をそそりますよねぇ。」などと話したこともあり、大キレットという、北アルプスの一般的な登山道の中でも難所に数えられるところにも興味が募っていた。
大キレットは槍ヶ岳と穂高岳の中間に位置している。槍ヶ岳に登頂し、大キレットを通過したら、穂高岳(奥穂高岳)に登頂しないという法はない。というわけで、今回は槍ヶ岳に登頂し、大キレットを通過し、ついでに奥穂高岳にも登頂し、二つの3,000メートル級の山を制覇するとともに、大キレットという難所を通り、その上二つの山をつなぐ3,000メートル級の尾根歩きもしてしまおうという欲張りな計画を立てた。幸い8/19,20と夏期休暇を取ってある(実はこの辺りで山に行こうと思い、事前に休みを入れてあったのである。去年の剱岳もそうであった。)。それに21日の土曜日も追加して、二泊三日の山行にすることに決めた。山で二泊するのは実に約30年ぶりである。
危険なところを通過することもあって、実は直前に少し悩んだのだが、一方で北海道関係の友人達が槍ヶ岳や奥穂高岳に登り、その山行の様子をmixiの日記などに書いたのを読んでおり、また天候もまずまずのようなので、思い切って出かけることに決めた。