叔父に誘われて登ることになったのは、いわゆる”表銀座”である。私が聞いたことのない名前の山ばかりだったので、ちょっと不満だった。
夜中に母の車に乗せられ駅に向かった。私の家は9時には電灯が消えるので、早寝の私には初体験の時間だった。だから、眠くて仕方がない。
夜行列車は初めての経験だった。急行能登号だったが、山に登る人で一杯で、車内のあちこちに多くのリュックが置かれ、床には新聞が敷かれて、山男達が横になっていた。初めて見る光景で、いささかびっくりした。
糸魚川で急行を降り、大糸線で南下した。この列車も、山男でいっぱいである。信濃大町で乗り換え、有明という駅で下車した。他にも何人もの山男達が下車した。ここから中房温泉までタクシーで行くのだが、何と土砂崩れの復旧工事中で行けないのだという。
かなり長時間駅で待つうちにようやく工事が終わり、タクシーに乗り合わせて中房温泉に向かった。途中、大勢の人がブルドーザーなどを使って土砂を除去している現場も通過した。
中房温泉からいよいよ登り始めた。私の背負っているザックは叔父のお古である。靴は母のお古である。帽子は新調したが、小学生らしくない妙なものである。そして、服装は普通にその辺で遊んでいるのと同じ格好である。
私は実は運動があまり好きではなく、不得意である。誘われればケードロや缶蹴り、フットベース、ドッジボールなどにも加わったが、フットベースはピッチャーか外野、ドッジボールは逃げる専門だった。そんな私だから、この登山においても、母や叔父には私の脚力や根気もある程度想像できたようだ。だから、子供でも登れる登山の入門編としてこの表銀座を選んだもののようだ。
登り初めは意気揚々として、ずんずん登っていった。しかし、燕岳の山頂まではほとんど樹林帯なので、眺めもきかず、お花畑もない。でも、この先にはきっとあの山々の光景や、一面のお花畑が広がっているに違いないと期待しながら、ひたすら登っていった。途中、合戦小屋というところでサイダーを飲んだのを今でも覚えている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます