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礼文島・初めての星観荘⑥

2005-03-12 21:31:12 | 旅行記
いよいよ今日は島抜けである。昨日ハイジの谷で一緒だったTさん、Fさん、Oさん、そして4時間コースを一緒に歩くはずだったHさんが一緒である。同じくハイジの谷で一緒だったNさん、Kさんに別れを告げ、ハイタッチをして車に乗り込む。港まではぱんつさんが送ってくれる。見送りには、ドラポンちえちゃんと、後に連泊記録を作る菊リンが来てくれる。(翌年星観荘を訪れた時、旅の思い出ノートの最後に菊リンが連泊記録を綴っていたが、ほぼ毎日どこかへ出かけ、見送りにも必ず出かけている。24時間コースも何度も歩いている。スゴイもんだと思った。)

今と違って港もさほど混んではいない。星観荘を初めとする民宿の客と、3軒のYHの客、それから地元の人、ツアー客は少しだけ。席も余裕で確保できる。(今は無き)船泊YHのメンバーはギターを演奏し、歌を歌って見送ってくれる。桃岩荘の見送りはすごかった。20人近くの人が隊列を組み、いろいろな歌(替え歌が中心)を歌いながら踊りを踊っている。これがすごい。聞けば、桃岩荘の夜のミーティングでは、この踊りを皆で踊るのだそうである。見送られる側の人達も、フェリーのデッキで同じように踊っている。中には、涙を流しながら歌い、踊っている人もいる。そんなにも感動することがあったのだろう。すごいものだ。

星観荘の見送りは、シンプルそのものである。テープもない。見送られる人が一人一人コメントし、見送る人が一人一人コメントする。新しく島に到着した人もコメントする。私がどんなことをコメントしたのか、全く覚えていない。でも、すごく感動したことは違いないので、きっとまた来る、というようなことを言ったのだと思う。それが終わると、港の地面に皆が横になる。こうすると、フェリーの上から写真を撮ると、人の姿がよく写るのだ。これは後には人文字に発展する。そう言えば、星観荘で見たアルバムには、こうしたスタイルで撮した写真がたくさんあった。他の宿でこうした記念撮影をしているところはないから、きっと星観荘オリジナルのやり方だろう。

桃岩荘の派手な見送り、星観荘の地味な見送りに送られながら、フェリーは静かに岸壁を離れた。港の人達が「いってらしゃーい!」と大声で叫ぶ。こちらは何と言えばよいのかわからないが、桃岩荘の人は「行ってきまーす!」と言ってるので、私たちも「行ってきまーす!」と叫ぶ。すると港の人達が「また来いよー!」と叫ぶ。これにはどう答えたらよいかわからないので、そのまま手を振り続ける。それ以外にも、いろいろな人達が「行ってらっしゃーい」「また来いよー」と叫んでいる。港の人達の姿がかなり小さくなっても、声がフェリーにいる私たちのところまで聞こえてくる。港のすぐ外の、テトラポットの積まれた辺りを過ぎると、フェリーは外洋に出る。スピードも上がる。この辺りに来ると港の人達の姿もほとんど見えなくなる。視力が2.0の(当時の)私は、港の人達が見送りを終えて戻っていく様子が見えた。きっとテトラポットの辺りを過ぎる頃が、見送りを終える頃合いなのだろう。

今日は高曇りの天気で、利尻島がはっきり見える。雲の切れ間からわずかに陽も射している。デッキの上で皆で写真を写したりして時を過ごす。海も穏やかなので、稚内に着くまで、のんびりと過ごした。

稚内に到着した。Tさんはバイクで南に下った。FさんとOさんはどうしたのだろう?記憶にない。私はHさんと一緒に、今は無きサロベツ号で南に下ることになっている。列車の時間が迫っているので、皆でどこかに寄ってお昼を食べるわけにもいかない。名残を惜しむ時間もないのがかなり残念だった。稚内駅に着き、コインロッカーから荷物を出した。本来は昨日帰ってきているはずだったので、延滞料金を払って荷物を出した。

Hさんとサロベツ号に乗り、南へ下った。抜海あたりでも、兜沼あたりでも、利尻山を見ることが出来た。平日なので空いている車内でのんびり過ごしながら、私は来年、花の咲く6月に、絶対礼文を訪れよう、と固く決意していた。

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