はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江33観音6-4

2010-06-11 15:46:46 | 寺社遍路
遠江33ヶ所観音霊場巡り6-4回目        2010/06/02


    10.9k   7.4k   1.0k   6.2k   5.7k   4.4k  2.3k
菊川駅 -29番 -30番 -31番 -32番 -33番 -1番 -掛川駅
    2:25    1:20   11   1:16   1:06    56   25 

 歩行距離     37.9km
 総時間     10時間05分
 歩行時間     7時間39分
 平均歩行時速    5.0km

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     32番 今瀧寺へ()
 
 次の札所今瀧寺は1回目の遍路でお参りしているが、その時のルート設定が満足できなかったので再度のお参りになる。前回は南の33番から下ってきたが、今回は東の方向にある31番からの上りなので違う道を歩く事になる。

 東京女子医大を創立した女医の吉岡弥生記念館入口の案内を横目に見ながら歩き続ける。
次に出てきたのは「今蘇る 高天神戦国ロマンの里」と書かれた大きな案内板だった。それによると今川氏により築城された高天神城は、今川義元が桶狭間で滅んだあと武田側の城となった。武田が長篠の戦で敗れた後も武田側の城であったが天正9年(1581)徳川家康の攻撃で落城している。

          
この遠江33観音の地域には幾つもの城があるが、そのいずれも今川、武田、徳川へと遍歴していて、この地が戦国時代の重要な拠点だったことが窺える。
その高天神城址が目の前だというのに通過。遍路をしていると見たい物が道沿いにあれば寄って見るが1kも離れていると中々立ち寄る気になれない。片道1kでも往復すると2k。そして見学時間を入れると1時間以上のロスが生じてしまうからだ。

 県道251号を北上していると見たことのある景色になった。西側に川が流れ山手には大きな工場がある。たしか32番の札所はあの工場の横の谷(沢)の奥にあるはずだ。一度そんな思いが湧くと今日は慎重に歩こうと決心した事など忘れてしまい、即実行に移さなければ気がすまない。結局土方小学校を過ぎたあたりで県道からはなれて小道に入って行った。

          

勘は当り今瀧寺の看板が出てきた。こういう事がやるから朝のように道に迷い方向感覚が狂ってしまうのに、分っていても止めれない困った性格だ。この性格が高じて人の言う事を聞かない偏屈な惚け老人になってしまうのが一番の恐怖だが。

          

 今瀧寺の二重の塔や観音堂が見えてきた。境内に入るとお堂の扉が少し開いている。中を覗くと畳が敷いてありお参りを中でも出来そうだ。靴を脱いで正座してお経をあげる。この様にお堂の中でお参りできる事は殆どないが、たまにやると気持ちよく感じる。

          

 本堂の入口には槇の木が山門の屋根のように覆い被さっている。この槇は掛川市天然記念物に指定されていた。

          

今瀧寺を出た所で「ぼけ封じ観音」の看板があった。ウーンもう少し丁寧に拝んできた方が良かったかな----

          

 県道249号横の小笠川まで戻り県道と並行に走っている旧道を歩く。県道もさほど交通量は多くないが、旧道は全然車が走っていない歩きやすい道だった。その旧道が終わる小笠山入口付近で聞いてみたい事があるのだが、車だけでなく人も全然見当たらない。地図にトンネルのある旧道らしき道が載っているので歩いてみたいのだが、そのトンネルが果たして歩けるかどうか。
トンネルへの入口らしき道はあったが、しかし車は鎖で規制されている。迷いに迷ったが止めた。トンネルが無ければ行ってみるが、トンネルだと崩壊していて歩行者も立入禁止になっている恐れもある。それにも増してトンネルの中が蛇の巣窟だったらと思うと寒気がして進む気が湧いてこない。

           

峠を越えてトンネルの出口と思しき辺りを見ると、工場を作るためか山の斜面は整地されトンネルらしきものは見えない。やはり止めて良かったのだろう。

 歩道の付いた左側を黙々と歩いていた。最後の札所33番岩井寺はまだ先のはずだと思って歩いていたが、何気なく右手に目をやると立札が立っていた。危ない、危ない岩井寺の入口を見落すところだった。

          

この寺も1回目に来ているので勝手は分っている。小川を渡り山手に登る道グルリ回れば赤い2階建ての門が見えてきた。この様な門は何と呼ぶのだろうか山門?楼門?櫓門?二十門?それとも鐘楼?
朱塗りの門は山門には似つかわしくないし、楼門では繁華街や温泉の入口を想像してしまう。城ではないので櫓門ではないし二重門?ウーンそうかもしれないな。でも鐘があれば鐘楼のような気もするし、門を兼ねているのに鐘楼も変だ。
調べてみたがハッキリしない。一番可能性の高い物として
「楼門とは二階建て(重層)になった門。下層に屋根がなくて上層に高欄付きの縁をめぐらしたもの。下層に屋根のあるものは、二重門とよぶ」それなら楼門なのか?
しかし鐘楼を見てみると「山門と一体になった鐘つき堂を鐘門と呼ぶ」ともかいてある。
結論は出なかったが、この門に鐘があったなら鐘門、無かったら楼門という事にしよう。

          

 前回観音堂を探したが見当たらないので無い物と思っていたが、今回ご朱印のとき「観音堂をお参りしましたか」と聞かれた。聞いてみると観音堂は楼門(?)の手前の高台にあると言う。前回はその建物を神社と思い参詣しなかったのだが、矢張り寺の人と話す機会のできるご朱印は必要だ。

 観音堂のお参りを終え寺と反対側を見ると階段があり踏跡も付いている。若しかして参道?と思い入って行くと、雑草に覆われているが道があり所々に階段もある。そしてあっけなく、さっき登って行った道に出てしまった。随分近道になったがこちらが正規の参道なのだろう。今では車でしか来る人がいないので、この様な歩きの参道は廃れてきてしまったのだろう。

 県道38号に出た後は、この道を掛川の入口まで北上すればよい。ただこの県道は中々交通量が多くて、歩きづらかった思いがあったので旧道を探しながら歩いた。前方右手に県道と違うトンネルが見える。雰囲気的には古いがレンガのしっかりした作りだ。これは旧道に違いないと入り混むと、嘘のように静かになった。車の騒音と排気ガスから遁れる事ができのんびり歩く事が出来た。途中県道と合流したが次は川沿いの道に入ると、その道は掛川市街の入口の上張南交差点まで続いていた。こういう事があるので不確かな道でも歩きたくなってしまうのだ。

           

 1番結縁寺の端正なお堂の屋根が見えてきた。6回の遍路でようやく結願を迎えることが出来たが、楽しい遍路だった。

           

1回目は1番から33番32番と行ったが気が変わって又1番に戻り2番3番と歩いた。蓋のあいた骨瓶があった寺もあった。44kも歩いたその日は暗くなってしまい大分疲れた。
2回目は森町の歴史資料館での話も楽しかった。そうそう9番清瀧寺の獅子ヶ鼻公園にはもう一度行ってみたい。
3回目は大尾山の帰りに交通止めに遭ったのには焦ってしまった。しかし諦めないで交渉すれば何とかなる事も経験した。
4回目はなんと言っても、あの粟ヶ岳の雄大な景色。お茶の時季にもう一度行こう。
5回目は法印さんと楽しい話が出来て札所の制定の裏話も聞けた。
そして今日の6回目。少しの油断で方向感覚が狂うほどの間違いをしてしまう事を知った。これからの遍路でも低山歩きでも、その事を忘れないで歩こう。

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