はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大崩山塊:東西尾根縦走2

2017-04-02 10:08:16 | 低山歩き
                   大崩山塊:高草山から廻沢口へ 

歩行記録                             H29-3-28(火)
歩行時間:6時間15分   休憩時間:1時間00分   延時間:7時間15分
出発時刻:6時00分     到着時刻:13時15分
歩  数: 22、869歩(推定距離16.23km)    GPS距離.km
行程表
 安倍川駅 1:25> 朝鮮岩 1:05> 丸子富士 0:30> 満観峰 0:30> 鞍掛峠 0:55> 高草山 1:35> 廻沢口
 0:15> 岡部団地入口BS

 鞍掛峠の分岐に戻った道の脇にはスミレやタンポポが咲いていた。今迄歩いてきた道で花を見たのは朝鮮岩下でスミレを2株見た
だけだった。それが高草山に着いた途端に花が現れるなんて流石“花の高草山”だ。

 山頂のベンチに腰掛け草原を見ながらの昼飯にする。頭の中にはまだキスミレの残像があったので草原を見ていると妄想が始まる。
この草原にキスミレを移植したらどうだろう。絶滅危惧種のキスミレの移植は難しいかもしれないが、キスミレを紹介したブログの中に、
自宅の山靴を洗う場所にキスミレが咲きだしたと写真で紹介したものがあった。
自分で植えたのではなく種が靴に付いてきたようだとあったので、案外種蒔で増やすことも可能ではないか。
若しキスミレが無理なら高草山に沢山咲いている他の種類のスミレの移植はどうだろう。
スミレだけでなく高草山に多いマムシグサやウラシマソウもある。そいえば林叟院の上に咲いているというユキモチソウがあれば更に
云う事なしだ。そうなれば 「山上を彩るテンナンショウの仲間たち」 なんて宣伝もできるだろう。
序に私の好きなカタクリがあればもっと人気が出るだろう。
そうだ足弱の人の為には自主運行バスを利用する手もある。今は空気を運んでいる状態の自主運行バスは小型なので、狭い農道を
走る事ができる。焼津駅から山頂下まで有料で走らせたらどうだろう。

 資金は? 資金はインターネットを利用したクラウドファンディングとかで寄付を集めるなんてのはどうだろう。
そんな調子よく寄付が集まるかどうか分からないが妄想するだけなら構わないだろう。

 
                 高草山頂                                  山頂のアンテナ

 前回アドベンチャーハイクで満観峰から高草山を見て、山頂の鉄塔の形状が変わって見えたので確かめる積りで来たが・・・
実際そばで見ると前回の鉄塔がどうだったか思い出せない。鉄塔がが新しくなった気配も無いし、きっと勘違いしたのだろう。

 さて宇津ノ谷峠にはどの道で行こう? 今更同じ道を戻るのは嫌なので残された道は、富士見峠から28号峰経由で廻沢に下りる
道と、ズート林道を歩いて廻沢に行く道の二つがある。28号峰経由は前回歩いたばかりなので、今日はまだ通しで歩いた事のない
林道歩きもいいかもしれない。てなわけで一番楽な農道歩きを選択。

          
           側溝に雪があった                               ???

 山頂北側の林道に入ると今冬最初で多分最後になるであろう雪を見つけた。
 「高草山に雪が降ると春になる」 なんて言われているが、もう雪なんて降らなくても春は近づいている。
それにしてもいつ雪が降ったのだ。話題にもならなかったの気が付かなかったが26日(日)は少し雨が降ったのであの日なのか。
その日は仲間ウォークで吉田町公園のチューリップに行く予定だったが、降水確率60%で中止にしていた。
マー何はともあれこれでも雪であることには違いない。今年も山で雪に触れれて良かった。良かった。

 今までこの花は “土佐ミズキ” だと思っていたが、どうも違うようにおもえてきた。
虎の巻には土佐ミズキは載っていないが “キブシ(木五倍子)” にも “クヌギ(櫟)” や “コナラ(小楢)” にも似た花の絵が載って
いた。でもどれも葉が違うような気がする。で、結局分からずじまいだった。虎の巻は助けにもなるが疑問も増えてしまう。

          
             花の鉢が                                  ブドウ?

 ガードレールの後ろに花の鉢が2個置いてあった。落ちないように紐で縛ってあるが何だろう? 
ブドウ? 萎びた小さなブドウの実が垂れ下がっているし、葉の形もブドウの葉だった。しかし何故ここのブドウの鉢があるのか?
いくら考えてもその理由は思いつかない。マー世の中変わった人が多いのでしょう。私もそうであるように。

 
                  ゲート                                 ハイキングコースと接近

 前の方にゲートが見えてきた。ゲート横の看板には 「この道路はドコモの専用道路で、中継所で行止りになっています。このため
関係者以外の方の通行を禁止します。」
だって。フーン 行止りだから通行禁止か、分けが分からないな。

 ゲートの少し下でハイキングコースと最接近した場所があった。ここから登山道を横切って南に下れば、アドベンチャーハイクの時
最後に歩いた花沢への道です。花沢の里に下る予定の人は鞍掛峠まで行かないでここを下れば随分近道になります。

 
               28号峰との合流部                              岩付のスミレ

 荒れている竹林の入口に 告ぐ 他人の土地へ無断で入り込み タケの子などを盗み取った人物は 発見次第 警察に通報する。
この土地へは毎日巡回をしているから申し伝へる。 地主」 

地主の気持ちは分からないでもないが、最近は放置された竹林が荒果てて、竹林を越境した竹が植林した林の中にもニョキニョキと
生えている。更に竹は増殖を続けて一面竹林になった斜面も多くある。
そんな放置竹林を見ていると、こんな看板をいつまでも残している地主にも腹がたってくる。
最近では竹林以外にも茶畑やミカン畑も放置されているが、こちらはその畑の中が¥が荒れるだけなのでまだ我慢の範囲内だ。
しかし竹林は他所まで迷惑をかけているのだから困ったものだ。

 ドコモの専用道路が鞍掛峠からの林道に合流してから、28号峰分岐の橋までは思っていたより距離があった。
そこから444m峰の入口はすぐ近い。ここから444m峰に登って宇津ノ谷峠に行く事ができるが、今はそんな気は全然湧かなかった。
鞍掛峠との合流部で見た花は結局あそこだけで、農道に入るとまたしても花枯れの道に戻ってしまった。それがようやく岩壁の苔に
へばり付いているスミレを見る事ができたが、この姿こそ逆境に強い本来のスミレの姿なのだろう。

          
           蕾も見えない二輪草                               岩 壁

 農道の横に二輪草が一面に広がっていたがまだ蕾も付いていない。
この二輪草の若葉を山菜として食べる地方ではトリカブトの葉を間違えて摘んで、中毒事故になり新聞に載ることがある。
この葉は間違いなく二輪草だが摘む気はありません。
二輪草をネットで見ると 「二輪草の一輪すこし おくれけり 岡林英子」 の句がヒットする。確かに二輪草は大きな一輪が先に咲き、
遅れて小さな一輪が咲いてくる。
 花言葉も調べてみると 「友情」・ 「ずっと離れない」 など如何にもと云ったものの他に 「予断」 という花言葉もあった。
これは猛毒のトリカブトと間違えないための花言葉とあったが、花言葉って勝手に作ってもいいのかな?

 444m峰への入口を過ぎた辺りから左右の尾根が迫り狭い沢沿いの林道になった。河原には大きな岩がゴロゴロし、両岸には
大崩山塊では余り見られない岩壁もある。ウネウネとした沢の流れから 「廻沢」 の名が付いたのだろうか? などと考えたくなる。
そんな狭い谷間の土地でも、沢から発生する川霧を求めてか、西側が開けいる所には茶畑があった。
急斜面の茶畑は見ただけでも開墾時の苦労を偲ばせるが、今でも現役で頑張っているのだから大したものです。

 
               28号峰                                     転居した跡地

 廻沢集落は28号峰から見る事ができる。なら集落からも28号峰が見えるのではないかと振り返ると見えていました。

 一固まりしかない小さな集落の中も崩壊地移転事業が行われていた。移転が終り空地になった所に建つ看板には
 「ここは、崖地の崩壊等による危険から住民の生命を保護するため、 「崖地近接危険住宅移転事業」 により移転をした土地で
あるので、市長に無断で居住の用に供する建築物の建築は出来ません。 藤枝市」

 同じように移転事業を行っているビク石麓の大沢集落では、移転した家はそのままで空家になっている。
果たして家を撤去した方が良いか、それともそのままにして廃墟にしても良いか。ウーンどっちがいいのだろう。

 
                ヤマブキ                                     ヤマブキ

 何とかヤマブキが咲いていました。まだ三分咲き程度でとても辺りを明るくする山吹色とは言えないが・・・・・
ヤマブキについては3年前の十字縦走で書いているので、その部分を紹介します。

 『太田道灌が鷹狩に出かけたとき、にわか雨にあい、 みすぼらしい家に駆け込みました。
 「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか」 と道灌が声をかけたところ 少女が出て来て、黙ってそっと差し出したのは
蓑ではなくて山吹の花が一輪でした。
山吹の花の意味が分からない道灌は 「花が欲しいのではない」 と怒り、雨の中に出ていってしまいました。
その夜道灌は近臣達にこの事を話したところ、近臣の一人が 「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・仲務卿兼明親王が詠まれたものに
 【七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだに無きぞかなしき】 という歌があります。
その娘は蓑一つない貧しさを、山吹の花に例えたのではないでしょうか」
と言いました。
驚いた道灌は、己の不明を恥じて、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。』


 落語にもなっている太田道灌とヤマブキの逸話については理解してもらえましたか? 太田道灌は意外と駿河とは縁があって・・・・
止めておきます話が長くなってしまうので。
太田道灌の逸話を知っていると、ヤマブキには実が付かないと思ってしまいますよね。かく言う私もその一人でした。
それについて3年前のブログではこんな事も書いてありました。

 「でも、ここに咲いているヤマブキは七重八重ではなく一重だ。調べてみると山吹には一重咲と八重咲があり、一重の山吹には
実が付くが、八重には付かないとある。なら道灌が暮らしていた武蔵野の山野には八重の山吹が咲いているのだろうか。
 私は今まで山吹の七重八重の意味は花びらの形ではなく、花の咲いた山吹の枝が重なりあい、それが七重にも八重にも見える
姿だと思っていた。それはどうやら勘違いのようでした。」


 道草を喰っているうちに空模様がズンズン怪しくなりポツンポツンとしてきた。
今日は降水確率0%で晴れマーク一色だったのに、全く天気予報があてにならない。長い林道歩きで少しだらけてきた気分は更に
落ち込んでしまった。これから先の宇津ノ谷峠先の道探しはどうしよう? 

  
            今の急斜面の茶畑                              5年前の急斜面の茶畑

 廻沢集落の開拓された山の斜面は、急斜面のうえに上の方まで開拓されしかも今も現役の畑が多かった。
廻沢集落には平地が無いので斜面を耕すしかないが、いずれにしても廻沢の人は働き者が多いことは確かだ。

 以前ここを歩いた時に集落入口の茶畑を写したことがあるので、今回もそこの写真を撮ろうと思っていた。
だがそこに着くと、その茶畑の大部分は放置状態になっていて見る影もなかった。
最後の写真がそれでは味気ないと5年前の写真で締めくくります。写真技術が下手で傾斜度が分かりにくいが、そのとき機械で
お茶刈りをしていたのを見て怖く感じた事を思い出します。

 雨はポツンポツンだがまだ落ちている。空模様は明るくなってきたが気分は暗いまま。
結局宇津ノ谷峠まで行く気力は復活せずバスで藤枝駅に帰ってしまいました。