はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

伊豆3山縦走

2016-12-21 10:34:31 | 低山歩き
歩行記録   H28-12-6(火)
歩行時間:5時間05分   休憩時間:1時間15分   延時間:6時間20分
出発時刻:8時10分     到着時刻:14時30分
歩  数: 18、701歩(推定距離13.3km)    GPS距離11.2km
行程表
 大仁駅 0:25> 城山登山口 0:35> 城山峠 0:15> 城山 0:40> 背面登山口 0:35> 葛城山 1:00> 益山峠 0:20>
 発端丈山 0:55> 農道 0:10> 学校前BS 0:10> 小海BS

 今週は富士山がスッキリ見える日が続いていたので、山の上から富士山の絶景を見たくなった。
だが、今歩いている藤枝のハイキングコースは、富士山は見えるが見えると云うだけで余り大した場所はない。
なら何処が良いかと候補に上げたのは、伊豆3山、金冠山、真富士、パノラマ台などだった。
歩く予定の次の土日は、冷え込みは厳しいが晴マーク一色だったので、絶好な機会だと思い、妻に 「歩きに行く」 と伝えると
 「車は使わないで」
とつれない返事。
そうなると電車で行く伊豆3山と金冠山しかないので天秤にかけ、5年前に一度登っただけの伊豆3山に決めた。
道を調べるの面倒で5年前のブログと写真を見てヨシ!としたが、その中で葛城山の背面登山口が気になった。
あの時は案内板にマジックで書かれた 「上はトラバス」 の文字が気になりパスしてしまったが、その時のブログのコメントに
 「葛城山への直登コース、登らなくて正解です。小生も誘惑に負けて登ったことがありますが、傾斜メチャクチャ急で、おまけに滑り
やすときている。経験者、ベテラン向き、または同行が必須です」
といただいた。
その時は登らなくて良かったと思ったが、今思うに “急登” であって “急攀” ではないし、 “滑りやすい” であって “落ちやすい” では
ない。それにそれほど危険なら案内板は建っていない筈だ。なら今回あの案内板が建っていたら登ってみようと決めた。

 
              大仁駅前の足湯                                   城 山

 大仁駅は5年前と変わらず駅前は湯気を立てている足湯があった。さすが温泉地だけの事はあり天然温泉を利用しているので
一日中温泉がかけ流しのようだ。でも今は温泉ではなくトイレが必要だったが見当たらない。嘘だろう!駅にトイレがないなんて!

 駅前を左曲り太い道に出たら再度左折して、踏切を渡って直進すれば大仁南IC交差点に出る。そこを左折して狩野川大橋を渡る。
城山の写真はその橋の手前から写した物です。
城山の登山道は左下の岩場の下から尾根の低い所に出て稜線伝いに山頂に向かいます。勿論岩場など通りませんのでご安心を。

 
               お化け屋敷?                                  子育て地蔵

 狩野川大橋を渡ったあと強引に国道を横断して、かっては食道などの店が数軒並んでいた場所に出る。
修善寺道路が開通して観光客の車の通行が激減して、今ではお化け屋敷になってしまった商店の残骸あった。
城山登山道入口はこのお化け屋敷を過ぎた所を右折し、更に次の道も右折して橋を渡れば、信号まで行くより若干の近道になる。

 橋を渡ったら右に行く車道を行かず直進する民家の方に行くと、子育て地蔵を祀った摩崖仏の前に出る。
この子育て地蔵には 「弘法大師様がここを訪れたとき、子供のいない夫婦の悲願を聞いて地蔵を供養させたところ、子宝に
恵まれた。」
弘法大師伝説が伝えられている。
地蔵尊の入口に石碑に彫った 「お地蔵さんの借り方」 があったので紹介しておきます。
 「借りるとき 授かり帳に住所と氏名を記入してください。
  返すとき   子宝が授かった方は、借りたお地蔵さんにもう一体のお地蔵さんを添えてお礼回りしてください。」

遍路をしていると仏の功徳を授かったお礼に、もう一ち増やして返す風習はあちこちで見たが、借りるときに住所氏名を書くのは
初めての気がする。わざわざ住所氏名を書かせるのは貸し出した地蔵が帰ってこないのが多いのか。
なら子育て地蔵の功徳に与かれなかったのだから仕方ないのかと思うが・・・・・
並べられたお地蔵さんを見回しても新しいお地蔵さんは見当たらなかった。

     
                    城山登山口                                     城山登山口

 登山口に近づくと路肩に駐車した車が7台もあり、その内県内車は浜松の1台だけで後は県外車だった。
5年前は何の車か分からなかったが、今は岩場でロッククライミングする人の車だと分かっている。だが車の中に神戸ナンバーを
見た時は驚いた。神戸といえば日本のロッククライミング発祥の地として知られている六甲山がある。そこからわざわざここ城山へ
攀りに来たとは信じがたいが、それだけ城山の岩場は価値があるのだろうか?

 登山口には車道の左側に3枚の案内板が建っているので見落とす事はない。小さな地蔵が登山の安全を祈ってくれている。

         
           ごろ石の道                   石丁場跡?                     城山峠

 登山口の入口の石がゴロゴロして歩きずらかった道も、じきに歩きやすい道になる。と思ったらまた歩きにくくなったり、湿って
いて滑りやすい道になったりを繰り返す。
 正面に真っ平らな白い壁があり、隧道の入口かと思ったがどうも違うようだ。よく見ると壁はコンクリートではなく石を切り取った
ようにも見え、水平に掘り跡のような線も見えている。
ここで思い出したのは登山口にあった案内板の地図に 「石丁場跡」 なる表示があったことだ。若しかしてこれが石丁場跡か。

 伊豆半島から産出する石は伊豆石とよばれ昔から利用されていて、古くは静岡市浅間神社裏にある国指定の賎機山古墳の
石棺も伊豆石を使っていると現地に建つ案内板には書いてあった。
さらに近年では金持ちの屋敷の塀や蔵の壁などでも伊豆石を見ることがある。

 今回調べて初めて知ったのは、伊豆石には安山岩系と、凝灰岩系の二種類があり、安山岩系は耐火性に優れ風化しにくい
特徴がある。一方の凝灰岩系は耐火性に優れ、軟らかいので加工がし易く、比較的軽いという特徴があるが、風化しやすいと
いう欠点があるという。
ではここの石切り場の石はどっちだろう? 真っすぐな水平な掘り跡や平らな面を考えると柔らかい凝灰岩系が考えられるが
正確なことは分からない。
ところで今回は案内板に “石丁場” とあったので多分 “石切場”の事だろうと判断したが 「丁場」 て何のことでしょうね?
調べてみると丁場とは 「工事現場のこと」 「江戸時代の鉱山で坑内の天井、側壁または支柱を施した箇所、またはその
工事中の場所」
の二つがあったが、ここの丁場はどっちの丁場からきたのだろうか、石の採掘なら支柱はいりそうもないが。

ここまで書いてきて私の妄想的歴史観が蠢きだした。
かって鉱山等人里を離れて仕事をしていた労働者の唯一の娯楽は “丁半博打” だった。彼らは仲間同士の隠語で仕事現場を
 “丁場” と呼び、寝起きする所を “半場” と呼んでいた。
それが時代と共にたこ部屋的集団生活の温床だった半場の宿泊所は、いつしか食事や休憩が主となる場所に変わっていった。
それに伴い “半場” の表記も “飯場” に変化した。なんて説はどうでしょう。一見尤もらしい説と思いませんか。

 城山峠の写真が前後してしまいました。城山峠は岩場の近くを通った後で出てきます。

         
              岩 場                                 岩場ズーム

 岩場の方から甲高い女性の声が聞こえてきた。岩場の下の緑の木の下に2人の赤シャツが見えたので、動き出すのを待って
いたが一向に登る気配はない。仕方なく諦めてこちらが先に登る事にした。
家で写真を拡大してみると左側の人の上にはカラビナが見え、そこにザイルが繋がっている。しかしハーケンを打つ音は聞こえ
なかったので古いハーケンを利用するのだろうか。前回来た時も人声はしたがハーケンの音はしなかったように思う。

           
                                       城山への道

 城山峠までの道は歩きにくい部分もあったが普通の山道だったが、峠から城山山頂までは一転して登りやすい道になった。
麓の狩野川の橋から見た雰囲気では、かなりの急坂にみえたが、途中岩場らしきものがあり、オット思ったがそれだけだった。
この石は峠と山頂の丁度中間辺りにあり、そこから上にウバメガシの林が出てきた。

                  
                  城山山頂                           4等三角点金属標

 城山に9時半に到着。手前の岩の上をセメンで固めて金属標の三角点を埋め込んである。
金属標の表面の周りには 「この測量標を移転き損すると測量法により罰せられます 建設省国土地理院」 。その中央には
 「四等三角点 基+本 NO102406」 なっていた。
国土地理院の点の記等を見ると、ここの三角点は 「四等三角点 城山 標高:342.34m 標識番号:NO102406 設置:昭和51年
6月7日」
となっていた。
若しかすると新しい三角点は、この金属標に変わったのか、それとも城山独自の理由があって金属標になったのか?

 
                  案内台                                     富士山

 金属板の洒落た感じの案内板は5年前に無かったと思うが定かではない。洒落てはいるが案内板の役目は果たしていない気がする。
 富士山は見えてはいたが、6合目付近は帯雲が掛っているし全体的にスッキリしていない。
昨日は冷え込みが厳しく一日中スッキリした富士山が見えていたのに残念だ。どうも今年は富士山についていない。


                                   富士山と狩野川

 それでも一応パノラマ写真を写しておこう。

     
     意味の分からない標識                神島小富士                   小富士の案内    

 城山峠まで戻りそこから林道峠までは歩き易い快適な道が続く。こんな道なら20kでも30kでも歩けそうな気がする。
峠の名前の通りの林道に合流すると10数台の車が停まっていた。この殆どの車はロッククライミングの人の車だろう。
駐車している車は全て東京や湘南のナンバーだったが、静岡県人は余り岩登りをしないのだろうか。

 林道を10mも左に行くと山道の入口はある。さっきの道と同じように歩きやすかったが、少し上りになってきてペースが落ちる。
四辻に出ると、前回は標識を見たが意味が分からず正面の踏み跡を少し行ってしまった。
今回もその標識はあったが、左の “外山” の下に、小さくマジックで 「かつらぎ山 発端丈山 益山寺方面」 と書いてくれてある。
これなら初めての人でも迷う事はない。

 さっきと同じ団体が建ててくれた案内板に 「神島小富士」 の説明があった。前回はその富士の場所が分からなかったが今日は
簡単に見つける事ができた。尖がり帽子の山で、低いが登るには大変そうな山だ。
案内板には 「万古不易の美観あり」 と恰好の良い表現をしているが、見た目が美観にしては????だった。
名前も里人が “篠鉢山” と呼んでいるなら、わざわざ “神島小富士” としなくても良いのに思う。

 
              外山の観音様                                 葛城山背面登山口

 一般的に観音さんといえば女性の立姿をイメージするが、馬頭観音も観音さんには違いない。ただ馬頭観音は観音さんと言わず
馬頭観音と呼ぶのが多いように感じる。そう思った誰かがマジックで “馬頭” の文字を追加してあった。

 本日唯一の新ルート葛城山の背面登山口に到着。上に登る踏み跡はハッキリしていて歩く人はいそうに見える。
5年前に見た案内板には 「上はトラバース」 とか 「急登」 と書いてあったが、今は “急登” の文字は薄れて読めない。
あの時はこの “トラバース” の文字に不安を持ってパスしてしまったが、今回は案内板が建っていたら挑戦する積りで来た。
その案内板が建っているのだから行くしかない。
何故そんなに構えるのかって? 実は私のトラバースでイメージする場所は、木の生えてない斜面を横断する細い道。
下を見ればはるか下まで見えていて、一度滑ればそのままout。って感じです。
ここにわざわざ “トラバース” と追い書きしてあるからには、きっとそんな場所に違いないと思ったのです。
でも、のんびり 「姥目樫の自然美林あり」 と書いてある案内板には、そんな不安感は無い。

                                                     つづく