はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

仲間ウォーク:静岡空港一周

2016-12-13 12:00:06 | ウォーキング
歩行記録   H28-12-11(日)
歩行時間:5時間40分   休憩時間:1時間45分   延時間:7時間25分
出発時刻:9時00分     到着時刻:14時00分
歩  数: 21、700歩(推定距離15.4km)    GPS距離15.3km
行程表
 静岡空港 1:00> 東泉寺 0:40> 八兵衛碑 0:40> 東展望台 0:35> 坂口神社展望台 0:55> 石雲院 0:05>
 石雲院展望デッキ 0:05> 静岡空港



 先月の仲間ウォークは紅葉の小國神社を予定していたが天候不順で中止。今日は2か月ぶりの顔合わせです。
空港で車を見学者用の駐車場に止めようとしたら、
 「正面の駐車場の方がいい」
 「あそこは搭乗車専用の駐車場だよ」
 「いや俺がこの前韓国に行った時は、何の制限もなかったぜ」
と早速論争。
内心は多分ガードマンに注意されると思いつつ行った正面の第1駐車場はフリーパスだった。
どうやらまだ時間も早いので見張り役がいなかったようだ。
空港ではトイレだけを使わせてもらって出発。

 前回9月の家から空港を一周したときは、吾亦紅や女郎花が咲いていた取り付け道路の法面に
 “ヤギさん草取りをしてもらっています” の横幕が張られていた。法面のフェンスと電気柵に囲まれた中には、ブルーシートで
覆われた小屋があった。
 以前からここを歩くたびに草茫々の花壇を見て、「静岡県の入口なんだから何とかならないか」 と思っていた。
これでその思いも少しは鎮まるだろう。

 
             東海ガス太陽光発電所                              案内スペース

 冷たい風の下り坂は自然と足を速めさせるが、今日の16kは仲間ウォークにしては長距離だ。少しブレーキを掛けないと後半の
登りでバテテしまう恐れがある。
新しくできた太陽光発電で休憩を兼ねて案内棟を見ていると 「今、何キロワット発電しているのが分からないじゃ意味が無いぜ」
声がした。確かにパネルの販売会社ならそうだが、ここは発電する会社。こんな案内板を作ってくれただけで感謝しないと。

 そうだ思い出した。以前ここでもヤギを使って除草をしていたが、そのヤギはレンタルしたと聞いた。このヤギの除草を見て
空港でもヤギ除草を採用したのだろう。役人にしては前向きな発想だと思う。

 
                化石案内板                                  貝の化石

 新幹線のガードを潜った先にある貝の化石の案内板を見て
 「この辺じゃぁ川の貝かなぁ」 「それじゃぁシジミだろう」 。シジミかどうか分からないが東泉寺の境内に入り貝の化石を見せると
 「小さいから やぱぁシジミだ」 と、一応シジミになってしまったが、本当だろうか?

 
                 進入灯開始点                               進入灯中間点

 空港トンネルの信号を渡ると今日最初のゴルフ場横の登りに入る。今日は風が冷たく下りや平らな道では体が温まらなかったので
少しの登りは暖かくなるので歓迎だ。
最初の上りは短くて簡単にクリヤ。次は川中島八兵衛さんまで下って長い登りになる。途中には空港の東端から始まる進入灯がある。

 
                 古戦場道                                    いくさ道

 地元の坂部区で立ててくれた標識に 「静岡空港 空の道ハイキングコース 武田徳川古戦場道」 の案内と
 いくさ道 武田氏の築いた金谷の諏訪原城と、今川氏によって築かれたいわれる 吉田の小山城をつなぐ戦道として 武田氏の
支配の頃につくられた道である」
があるが、方や “武田対徳川” で、もう一方は “武田対今川” と取れなくもない。
ではこの道を進軍したのはどの部隊だろうか。

 小山城は今川氏によって築かれてはいるが、規模は小さく砦程度だったようだ。その後、今川氏を倒した武田氏が整備を加え、
1571年大井川西方の防衛ラインと高天神城攻略の為に築城された。
一方諏訪原城は武田氏が築城したのが1573年なので、その頃の今川氏の当主は駿河を追われて小田原城に逃げ込んでいた。
なのでこの道を今川軍勢が諏訪原城に向けて進軍することはありえない。

 諏訪原城が徳川の攻撃を受けて落城したのは1575年で、その後は徳川が諏訪原城を増強し東海道に近接した縄張りとした。
となると諏訪原城の武田を滅ぼした徳川が、依然小山城を死守していた武田方に攻撃をしたとは十分考えられる。
逆に敗色濃厚の小山城の武田軍は専守防衛で、攻め落とされた諏訪原城を奪還する気力も勢力も無かった。
よってこの “いくさ道” を進軍したのは徳川勢だったと思う。

 こんな七面倒な話は仲間は好かないので 「諏訪原城の徳川が小山城の武田を攻めたらしい」 と言っておいた。

 
                 東展望台                                    山道入口

 東展望台は前回来た時に除草作業をしていたのでスッキリしていた。矢張り造る事は容易でも維持する事は大変だ。
ここで昼飯を取る気でいたが、次の便は30分後の着陸機があるだけだった。冷たい風に吹かれながらの飯より、もう一頑張りして
坂口神社の展望地へ行く方がよさそうだ。

 ここから神社の展望地までに、前回は草茫々でパスした所とススキと格闘した所があったが、果たして今日はどうだろう。
用心のため苅込バサミを持参しようと思ったが、空港で不審者と思われ事情を聞かれるのも嫌なので止めておいた。
東展望台下の山道の入口は標識と階段の手摺も見えている。これなら大丈夫だろう。

         
              林の中の道                                山道出口

 入口の棘のあるタラの木に注意して林の中に入れば後は大丈夫。林の中には古い昔からのあったと思われる道が続いている。
出口側も陽が射すせいで草が多い。草だけなら良いが、棘のあるタラの木やバラの小枝が伸びていて、折るに折れず、曲げるに
曲げれず少々痛い目にあった。この出入口さえスッキリしていれば近道で歩きやすい道になるのだが。
農道から出口を見れば、前回は標識は勿論、境のコンクリートも見えなかったのが今日は見えていた。
誰かが除草してくれたのだろう。感謝! です。

         
                      千頭ヶ谷池                           まんさくコースの階段

 千頭ヶ谷池の付近には鮒釣りの人の車が何台も停まっている。この北風の中をよくやるよと思ったら池に下ると風は吹いていない。
谷間になっている池の付近は尾根が風を遮っているのだろう。坂口神社の展望台も風が吹いていなければ良いが。

 ビオトープから展望台までの道は途中で合流するが、尾根を行く “まんさくコース” と下から登る “竹林コース” がある。
どちらの道も大した違いはないが、以前竹林コースのビオトープで蛇に出合ったことがある。それ以来尾根を行くまんさくコースを
歩くようになった。今日もまんさくコースを行く。

 
       まんさくコースと竹林コース合流点                             展望地横の草地

 前回9月16日に歩いたときはキノコが沢山生えていたが、今日はただの一つもない。当然かもしれないがキノコは何処に消えて
しまうのだろう。腐って溶けてしまうのだろうが、今までキノコが倒れていたり、立ち枯れになっているのは見た事がない。

 本日最大の心配事の展望地横の草地に着いた。アー良かった。草地の雑草は刈り取られていた。
今日歩けば5分で行ける所を前回は30分も掛かってしまった。勿論猪の鳴き声も遁走する音も聞こえない。

 
             坂口神社の展望地                               進入灯の上のANA機

 展望地には大砲レンズを持った3人のカメラマンがいて、飛行機の時間を訪ねると 「あと20分位で来るよ」と教えてくれた。
時間は12時20分とチョッと遅い昼飯になったが、昼飯を食いながら待てば丁度良い。
カメラマンたちがザワザワと動き出した。どうやら飛行機が来るようだ。 
 「もう来るんですか?」 と聞くと 「機体が光って見えているよ」 と言う。だが滑走路の終点の方が見るが見えない。
 「見えています?」 「ほら」 と今度は指を指してくれた。方向は滑走路の終点方向ではなく、もっと右の南方向だった。
確かに光った小さな物体が見えている。早速仲間に教えると、皆が見た方向は私と同じように滑走路の方だった。
素人は飛行機の着陸と云えば、条件反射のように滑走路方向を見てしまうようだ。

 
           オット行き過ぎてしまった                             追っかけてよう

 事前にカメラを構え準備していたのに行き過ぎてしまった。本来ならこのショットには富士山が写っているのだが今日は駄目。
更に飛行機を追っかけてもう1枚。こちらには南アルプス前衛の山々が写っている。あの三角の山は黒法師かな?

         
           進入禁止横の階段                               閉じられているフェンス

 展望地の横から坂口神社に向かう階段の横は、側溝に遮られた立入禁止区域の空港の管理地だ。
今年9月の空港のイベントで 「空の道」 が一般開放され、管理地内にある “富士見の丘展望台” の立入りが許された。
 (その時の記事はこちら
私も参加して歩いてみたら、石雲院展望デッキから少し下った広い平坦な舗装路1kほどを東に歩き、擬木の階段を上った所が
富士見の丘展望台だった。眺めは坂口神社の展望地と似ているが、離陸時の撮影には富士見の丘の方が上だと思った。
 普段は立入禁止の空港管理地なので、何か重要な施設でもあるのかと思っていたが、そんな施設は皆無で、何故立入禁止
なのか理解できなかった。
そんな疑問と坂口神社の展望地と富士見の丘を結べば、より楽しい 「空の道」 になるだろうと思い、県のHPのご意見欄に
 「空港の運営に支障が無いようなら、空の道を常時開放して欲しい」 と挙げてみた。

そしてこんな返信がきた。
 「「空の道」 常時開放についてですが、 「空の道」 雲院展望デッキと異なり、目の行き届かない箇所が多く、管理事務所として
現状では、経費的な面も含めパトロールを日常的に行うことができません。また、「利用者の自己責任」 いう御意見もいただき
ましたが、当日も散策中の御高齢の方が気分を害され、管理事務所職員による担架搬送等の対応を行っ ております。
空港管理事務所としましても 「空の道」 開放時に事故等が発生した場合、管理者としての責務を常に問われるものと考えています。
空港は、何よりも保安体制確保が最優先される施設であり、常に高いリスク 管理が求められています。
このようなことから、現状では 「空の道」 の開放は、イベントの開催に合わせたスタッフ配置による臨時的なものとさせていただいて
いることに御理解いただきたく存じます。」


で、私の反論は
 「空港管理には “高いリスク管理が求められている” ことは理解しております。
故に 「空の道」 なる地域に重要な空港施設が存在するなら、当然付近の立入りは敵わないと思います。
しかし解放できない理由の中には、そのような文面は見当たりませんので、重要施設は無い物として質問します。

・「目の行き届かない箇所が多く・・・・パトロールを日常的に行うことができません」
 ・・・・様は石雲院の展望デッキから石雲院への道を歩かれたことがありますか?
 空の道は一般の農道より立派な舗装路です。それに比べ石雲院への道は簡易舗装はされているものの
 傾斜の強い小径です。どちらが危険かは考えるまでもないと思います。
 しかし石雲院でパトロールをしているとは聞いた事はありません。
 また、井川地区に県民の森があります。その自然に囲まれた広大な森を常時パトロールしておりますか?
 私は何度か歩いた事がりますが、パトロールしている人に出会った事はありません。

・「開放時に事故等が発生した場合、管理者としての責務を常に問われる。」
 公と私では責任の度合いは違うでしょう。
 しかし一般道として常時開放された空の道で怪我をして、空港側の責任を追及する人がいるでしょうか。

・「当日も御高齢の方を職員により担架搬送等の対応を行った。」
 それはイベントして開催した以上、当然主催者の責務だと思います。

折角空の道には案内板や展望台を作ってあるのですから、年数回の開放が前提でなく、常時開放を前提に
再検討して頂きたいと思います。」

 その回答はありません。

         
                         坂口神社                                 参道の階段

 坂口神社の階段を下るか、車道を下るか意見が分かれた。私は 「転ぶとと怪我をする」 と車道歩きに賛成したが
 「この階段は途中に平らな所があるから落ちても死なないよ。」 の意見に押されて階段を下った。
一人ときは当然階段を下るが、花沢山の例もあり安全そうな所でも危険が潜んでいる。仲間とのときは、より注意をしたいのだが。

         
                      石雲院の総門                                 山 門

 石雲院では以前から疑問に思っていた謎が解消できた。境内で僧が柿の実を収穫していたので
 「石雲院の山号は “龍門山” ですか、それとも 「高尾山」 ですか」 と聞いてみた。
 「寺院としての届けは “龍門山” で、通称は “高尾山” です。今は飛行場が出来てなくなってしまったけど、この山は昔は “高尾山” と
呼ばれていたので、地元の人は通称 “高尾山” と呼んでいます。」


         
                      山門の竜の彫り物                               唯一の紅葉

 これからは 「龍門山石雲院」 と表すことにするが、その “龍門” は、山門にある竜の彫り物から来ていると今まで思っていた。
それがどうやら勘違いで、本堂の両袖で彫り込まれた 「龍門の滝」 からきているようです。
私はまだ見ていないので次回には見てみよう。
しかしどちらかと云えば山門にある龍から “龍門” になった方のが、素直に納得できるし恰好もいいのにな。

 
            滑走路と空の道                               石雲院展望デッキの案内板

 石雲院展望デッキの手前から閉鎖されている空の道が見える。右の林の下がった所から遠くに見える林に向っての割れ目が空の
道です。林との境の階段を上り、そこから舗装された道をこんもりした最初の高台手前まで行けば、そこが “富士見ヶ丘” でした。
石雲院の展望地は、もう一つ先の高台の下がそうだと思います。

 展望デッキには周囲の山を写した長い写真に山の名前を書いてくれてある。見やすく分りやすい案内板です。