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はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大井川の川底から大きな構造物が出現

2015-01-24 11:51:35 | その他
 大井川谷口橋付近で昨年から川底を浚渫する工事が始まっている。
ほぼ毎日工事現場の横のマラソンコースを歩いていて、最近川底から大きな箱状のコンクリートが出現したので紹介します。
     
           下流部から。上流の橋は谷口橋
     
           横から
     
           上から
 近くに立っている案内板には
        「平成24年度 大井川サイホン撤去工事」
(大井川を横断している旧サイホン(水路)の撤去工事と護岸補強工事を行っています)

と書いてあるが 「サイホン」 ってなんだ?

 

 案内板にサイホンの構造図も書いてあるが、管が2本見えるだけで意味は不明だった。
隣の施工断面図には管が土手を越す様子が書いてあるので、水が土手を越すのにサイホンの原理を使っているらしい。

 「大井川 サイホン」 で検索したウイキペディアに
 「大井川サイホン(榛南幹線) 榛南(島田市初倉地区、吉田町、牧之原市)への供給のため、島田市道悦島から同市谷口に
かけて、大井川の下を通るサイホン。」
とある。ついでに 「サイホン」 を調べてみると
 「液体をある地点から目的地まで、途中出発地点より高い地点を通って導く装置」
 それは理解できるが川底には箱状の構造物が連続して幾つもある。平らな場所なのにサイホンが必要なのか?
サイホンが必要と思われる堤防の掘削は行われていない。

 工事現場の写真を撮りながら興味深めに案内板を眺めている私に、作業員の人がチラシをくれた。
       
 1月30日(土)午前10時~12時30分に現地説明会が開催されるので、詳しくは 「静岡河川事務所のHP」を見てください。
現地には駐車場も準備してあるようですが、事前申し込みはメールかFAXで送る必要があるようです。

 矢口橋の地図  

初日の出の時間

2015-01-03 17:43:35 | その他
 満観峰の初日の出は毎年6時55分頃と思っていたが、心配になり確認したところ思わぬことを幾つか知った。
尤もこんな事は世間では承知の事実かもしれないが ・・・・・・・・・

問題1 標高470mの満観峰と焼津海岸では日の出時間に差がありますか?

 今まで日の出時間の確認は 「日月出没計算サービス」で、満観峰の緯度34°55′ 経度138°19′を投入して調べていた。
それによると2015年1月1日の日の出時間は「6時54分」となっていた。試しに焼津海岸の緯度経度を投入しても同じだった。
念のため国立天文台の 「各地の暦 日の出入り」 で調べても同じ結果だった。ただ天文台のは 「標高0m」 と注意書きがある。

 

 今迄はこれで満足していたのだが今回はある事を思い出した。最近ブログの地図表示で使っている 「マピオン」 は右クリックを
すると、その場所の住所・海抜・日の出・日の入り時間が表示されるのを知った。で、早速満観峰でクリックすると 1月1日の
日の出時間は 「6時51分」 になっていた。これは間違いではないかと思い焼津の海岸でクリックすると 「6時54分」 になる。
どうやらマピオンは現在位置の標高も加味して日の出時間を算出しているようだ。 

 

 そこで日本一日の出の早い富士山ではどうかとクリックすると 「6時42分」 。ウンどうやら正しそうだ。
しかし更に念には念を入れ他のサイトの情報を確認したが 「6時42分」 に間違いはなかった。




問題1回答 満観峰が3分早い

問題2 正月から夏至までは日の出時間は早くなる。は正しいですか?

 これも思いがけない事を知った。先ず最初の表の日の出時間で1日から6日までは6時54分だが7・8日は55分に戻っている。
右の天文台の表では1日から3日までは54分で、4日から12日までが55分に戻っている。若干日数に違いはあるが戻っている
事は確かだ。富士山のカレンダーも7日から9日までが1分遅くなっている。
何故こうなるのか分からないが、冬至後でも日の出時間が遅くなる日があることは間違いないようだ。

問題2回答 間違いです。冬至後でも日の出が遅くなることもある

問題3 冬至は1年で最も日の出時間が遅く、日の入り時間が早い。は正しいですか?

 2014年の冬至は12月22日でした。日月出没計算サービスでの冬至の日の静岡の日の出時間は6時50分です。
しかし翌日は51分と遅くなり、大晦日の31日は54分になっています。
天文台のデータでも時間に1分の差違はあるが冬至の22日は51分で、その後徐々に遅くなり31日は54分になっています。
これで冬至の日の日の出が一番遅くない事は分かります。
 一方日没時間は12月10日から既に日没時間は遅くなっています。因み日没が一番早い日は12月1日から10日の
16時35分でした。こうしてみると日の出時間も日没時間も冬至の日が境ではない事が分かります。



問題3回答 冬至の日の日の出の時間は一番早くなく、日没も一番遅くはない

 こうなると気になるのが夜が一番長いのは何日か?と云う事です。当然冬至の日と思いますが確かめてみたくなりました。
日月出没計算サービスの数値を使って計算してみると
  月日       日没     日の出   夜の時間
12月21日    16:39    6:50    14:11
12月22日    16:39    6:51    14:12
12月23日    16:40    6:51    14:11

私の計算に違いがなけれ冬至の12月22日が一番夜の長い日になりました。アー ヨカッタ!

2014年歩行実績

2015-01-02 10:53:55 | その他
              2014年歩行実績

          年間目標     年間実績     1日平均目標     1日平均実績
 歩行距離    2920km      2630km        8km          7.23km
 1日平均8kmの目標距離は残念ながら達成できませんでした。
グラフで分かるのは6月下旬から10月中旬にかけての落ち込みです。これは睡眠障害に落ち込み、薬を飲んでも体調不良で
歩けない日々が続いた所為です。
それも10月下旬になり体調が戻り、薬とも縁が切れると歩く意欲も湧いてきて、歩行距離も増えてきました。
ただ残念ながらその時期は遅く、目標はクリアできませんでした。

 体重は目標を60kgにしたのですが、これも6月から増加の一途を辿り、最終的に年間平均60.47kg、12月31日体重60.5kgと
なってしまいました。たった0.5kgですが中々減らないものですね。



 上のグラフは歩き始めてからの月毎のグラフです。65歳(2009)で歩きに目覚めた頃の一月の歩行距離は150km前後とまだ少なかったのですが
 「海から富士山」 の目標が出来てからは250kmから300kmと飛躍的に伸びました。
これが今年になるとガクンと下がり 「古稀に海から富士山」 は実現できませんでした。

 体重も見てください。2009年1月の平均体重は67kgあったのが、歩き始めるとグングン下がり2010年には59kgを下回ってしまいました。
その後は平均60kg以下の維持は続いたのですが、今年に入り、その60kgを超えてしまいました。
余り痩せる必要はないが、太り過ぎれば 「重い荷を背にして歩くが如し」 です。そこで私の客観的にみた体重を調べてみました。
BMIを計算すれば 体重kg/(身長m)2=BMI   →  60.5/(1.66*1.66)=60.5/2.7556=21.95になります。
BMIは 「22」 が理想数値というから 「21.95」 は適正値だと判断しましょう。

こんな計算が面倒ならネットの 「あなたの体格偏差値はいくつ?」 で体重・身長・年齢を投入すると、こんな回答をしてくれます。
「あなたの身長偏差値は53.6、体重偏差値は47.8です。あなたのBMI指数は22で、 身長から見た理想の体重は60.6kgです。」
ようは今の体重は理想的で私の拘る60kgでは瘠せすぎのようでした。

 2015年の目標は 「無理せず 楽せず 程々に」 を主眼に置いて
年間歩行距離 「2920km」  1日平均歩行距離 「8km」  平均体重 「60.5kg」 とします。

大井川の天正の瀬替えと平成の大改修

2014-12-04 12:16:08 | その他
                                                  2014-11-29(土)
              
 本来の目的の 「殺人光線実験所」 より気になったのは、大井川の河原にあった 「平成の大改修」 の看板。
看板に見える「天正の瀬替え」とは、天正18年(1590)に行われた大井川の流域変更を指しています。

 
 瀬替え前の大井川は、今は金谷側になる牛尾山が島田側の山と陸続きだったため、牛尾山にぶつかった
流れは西に大きく向きを変え、横岡、竹下、志戸呂を経て二軒屋の崖に当たり、今度は東に向きを変えていた。
そのため対岸の旗指、野田方面は大雨の降ると洪水を起こしていたので、牛尾山を掘削し蛇行していた流れを
直線にして洪水を防ぐ対策が取られた。
 それに対し平成の大改修とは、天正の瀬替えで掘削した牛尾山と相賀の間が狭くて、大雨の時は大井川の
流れがとどこってしまい、牛尾山上流の住民に不安を与えていた。そこで平成の大改修で現在は金谷側に
残っている牛尾山の一部を掘削して、大井川の流れをスムーズにするのが目的です。

 
 現在の大井川の流れです。既に牛尾山の一部は削られ始めているが、牛尾山を挟んだ上流と下流の
川幅が広い事が分かると思います。

 
 こんな感じで牛尾山は掘削されるそうです。

 
 工事現場にあった案内図を見れば牛尾山が流れの中に突き出ている事が分かります。

 
 更に現場にはこんな案内図も紹介されていました。
これらを見て天正の瀬替えと平成の大改修の関連は大体は理解できたが、何故天正の時に牛尾山も含めて
掘削しなかったのか疑問を感じた。それに対し現地の説明員は
「当時の土木技術では岩盤が多かった牛尾山の掘削は無理だったのでしょう。掘削した大井川の中にも掘削
しきれなかった大きな岩が 『豊年岩』 として今も残っています」
と説明された。
 
 この件をもう少し詳しく調べると
「島田側から大井川に大きくはみ出していた牛尾山の一部(260m)を切だし、その時の跡と思われる河床に
露出した岩礁(豊年岩)や牛尾山の岩盤面が今でも見られます。
強固な岩盤の切割は難工事だったと考えられます。かってこの地域を治めていた武田氏によりもたらされた
甲州流金掘技術が工事に活かされたと伝えられています。」


 では天正の瀬替えが終わった以降は大井川は氾濫しなかったか? イエそんな事はなかったようです。
大井川扇状地では1600年以降から明治末期までの期間に、およそ70回の堤防決壊による洪水の記録が
残されています。その中で最大級といわれる洪水は、慶長9年(1604)に起きた向谷の決壊では島田宿は
ほぼ全て流失してしまいました。

 この向谷の氾濫は最初に紹介した見取り図の中に 「島田宿が流された後に11年間だけ使用された東海
道」
として書かれています。この時の氾濫の原因は、天正の瀬替えで狭い範囲しか掘削されなかった流路
で勢いを付けた流れが、島田側の山が終わった向谷(現1号線バイパス付近)で決壊し島田宿を流して
しまいました。この向谷だけでも決壊したのは、この後にも5回もあり最近では1906年にも起こっています。
それらを考えると天正の瀬替えは、島田側では決壊場所が変わっただけで効果が無かったのではと思う。

 現地説明会では平成の大改修の目的は 「大雨が降ると牛尾山上流は水位が上昇して神座(左岸)や
横岡地区(右岸)は洪水の恐れがあるので平成の大改修を行う」
との説明だった。
また地元の参加者は 「横岡地区には舟屋敷や沖の島などの地名も残り、水はけが悪い」 と話された。
 では大井川右岸の横岡地区にどんな洪水が起きたのか調べると、規模は不明だったが右岸でも洪水が
4回起きている事が分かった。さらにこんな一文を見つけた。
「1800年以降における破堤・決壊の多くは左岸の扇状地です。自然状態においては大井川本流は牛尾山の
西側を金谷方向に流れていたのですが、天正18年(1590)に山を開削して牛尾山の東に河道が付け替えら
れました。これが決壊の多発に関わったと推定され、また,現在でもこの著しい狭窄部は治水上の問題を
提起しています。このため拡幅や掘り下げによる河道断面の拡大が計画されています。」
とあった。
アレレ?なんか現地説明とは逆な事が書いてある。

 実は私の住んでいる所は、この牛尾山より下流の大井川左岸の上泉ですが、過去の氾濫個所を見ると
この上泉地区が一番多くなっていました。また私の家付近の古称は「裸島」とか。ようは何も無い高台と云う
事でしょう。
最近は「台風や集中豪雨により数十年に一度の降雨量になる大雨が予想されとき」 特別警報なるものが
発令されるなど自然災害増えてきている。更に当地は東海地震の震源域で、津波は勿論大井川上流にある
ダムの崩壊による出水の恐れもある。
更に言うなれば浜岡原発から23km地点でもありその不安も無いではない。
終の棲家と思っていたのに安住の地にはならないのだろうか。

 
                一豊堤                           横岡水神社
 話が後先になってしまったが、この天正の瀬替えを行ったのは駿河側が駿府城主中村一氏、遠州側が掛川
城主山内一豊でした。ここで若干腑に落ちないのは、天正の瀬替えが行われた天正18年です。この年は秀吉に
よる小田原征がが行われ、その功績により二人が城主になっている。
そんな慌ただしい時に何故大井川の瀬替えが行われたのか。城主の住む駿府や掛川から離れた場所にある
大井川の実態が新城主になった二人に、こんなに早く伝わったとは思えないのだが、何か切羽詰まった事でも
あったのだろうか。

 一氏と一豊の二人の顕彰碑が横岡水神社にあると聞いて見に行ってきた。
 中村一氏 山内一豊   天正18年駿河領主中村一氏が駿河山を切り割り 大井川の流れを駿河側に
替えた(現在の牛尾山を駿河山相賀山と言う) 掛川城主山内一豊は堤防を築き 五和金谷河原を開き黄金の
波打つ美田を造成した これを天正の瀬替えと言う (後略) 平成七年五月」

後略の部分は慶長九年の向谷の堤防決壊により変わった東海道の道筋が書いてあった。
碑文の中の「五和金谷河原」の五和とは、瀬替えにより金谷河原には竹下、牛尾、島、番生寺、横岡新田の
五和村が新しく誕生したそうです。その五和の事だと思います。
 こうしてみると遠州側には新村が誕生し所領が大幅に増えたのに対し、駿河側は決壊場所が変わっただけで
メリットは無かった。中村さんは何を急いで牛尾山の掘削を急いだのか増々分からなくなってしまった。

 説明会が終わり「一豊堤」を確認した。写真では見難いが写真左中程から走っている線状の物が一豊堤です。
この天正の瀬替えはまだまだ興味は尽きない。一度この辺りをゆっくり歩いてみよう。

殺人光線実験所跡

2014-12-02 12:07:55 | その他
                                             2014-11-29(土)
 
          凹みの所に実験場があった                      見学用階段
          実験場の場所
 「殺人光線実験所」等と書くと物議を醸しだしそうですが、正式名称は「第二海軍技術廠牛尾実験所跡遺跡」 で、
その現地説明会が29日土曜日に行われたので参加してきました。
これは牛尾山の一部が大井川の川幅を拡張する工事に伴い、遺構が撤去されるため、島田市教育委員会が現地で
説明会を開いてくれました。

 
床が波をうつ電源室、後ろの石塔は反射鏡の支え        南側に新東名が見える
           
 簡単に云ってしまえば、この実験所では太平洋戦争末期、本土攻撃で飛来するB29に向けて、強力な電磁波を
照射して撃墜する電磁波を研究していたようです。配布された資料によれば
「昭和20年には、金谷牛尾山鼻地区に反射鏡施設を有する実験所が建設された。牛尾山の台地上には電磁波の
発振室や反射鏡、電源室等の施設跡が確認されている。」
とあり、現地の講師の説明では
「昭和20年5月に電源室などの天井が崩壊して、修復しないまま8月の終戦を迎えた。」そうだ。
 それらを考えると、ここでは実験所の建設は行われたが、実際の実験を行われなかったように思う。
説明を聞いて疑問を感じたのは、殺人光線を発する反射鏡は太平洋に面している南側には電源室などの建物、
東西は山で塞がれており、殺人光線を照射できるのは北の方角だけだ。
これではB29に向かって殺人光線を有効に照射できない。
否、例え照射できたとしても、常に同じ場所から電波を出していれば、米軍はすぐ気付いて攻撃をかけてくるだろう。
こんな大型で固定された兵器では、幾ら殺人光線を発射できたとしても使い物にならなかったと思う。

 尤もここは実験場で可搬型で小型な殺人光線発射装置の研究も兼ねていたのかもしれないが。
この武器は現代に於いては強力な兵器になるのではないか。最近の飛行機は離着陸の際は無線機器の使用が
禁止されている。そんな状態の飛行機にこの殺人光線を照射したら・・・・・・ 
マレーシア航空の行方不明になった旅客機があったが、この種の殺人光線の照射を受けて計器が異常を起こした
とは考えられないだろうか。

      
 説明会の帰りに寄った金谷支所に実験所のジオラマが展示されていた。
これは北の方角から見た実験所で、海のある南側には建物がある。ジオラマでは左右の山がなだらかだが、実際は
もっと急斜面で高く、反射鏡は余り首を振れないだろう。

      
 実験所の南のドーム型施設が電源室で木造だったという。この天井が崩壊した原因は何だったのだろう。
施工は地元に大工を徴集したらしいが手抜き工事か、それとも床が波打つ位の振動が出て崩壊したのか?
建物の前に車が停まっているが、見学会ではここに行くにも仮設の階段を登った。
果たして当時は車道があったのか疑問だ。

 このジオラマを見ていて思いだした。島田は昭和20年7月に空襲を受けている。
この空襲は、米軍による原爆投下の実戦訓練で、長崎に投下された原子爆弾を模した(模擬原爆)だったという。
こうなると妄想的歴史観が蠢きだす。
 各地に情報網のあった米軍は、島田で殺人光線の研究している事も、それが頓挫している事も察知した。
そこで米軍は島田に対し、報復と恫喝を兼ねて模擬弾を投下したのではないか。
若し天井崩壊などの事故が無く、殺人光線が完成していたら、島田が原爆投下地に・・・・・・

「安倍山系 下」出版

2014-09-09 09:17:04 | その他
             
 「安倍山系 下」(松浦理博著)が出版されたと聞き、先日藤枝の戸田書店へ買いに行ったが売切れだった。
しかし2・3日うちの入荷するとの事だったので、再度昨日行って購入してきました。
 本の著者松浦さんは、このブログに時々コメントをしてくれていたので、ハンドルネームだけは知っていました。
だが、本名や山の本を出版している事など何も知りませんでした。
 それが偶然大崩山塊の北のピークでお会いして色々話を伺うと、この辺りの登山道の詳細を本にして出版する
ための調査をしているとの事でした。

 その後も444m峰下の廻り沢林道からの直登ルート上や、簡保尾根の石部峠から尾根伝いに農道に出る山道でも
お会いした。それらの道は全て一般ルートからは外れていて、普通の人はまず立寄そうもない所だ。そんな所で3回も
お会いしたのだから何か縁があるのだろう。
 それにお互い単独行で歩いていて、その目的も大崩山塊の紹介が目的だ。尤も私の場合はお絵かきのようなHPでの
紹介だが、松浦さんの方は立派な活字の本で、とても私とは比較の対照ですらない。
更に大きく違うのは山の道に対しての感受性が違いだと思う。松浦さんは全ての道を客観的に紹介するのに対し、私は
必要に感じた道だけを主観的に紹介している。ようは私は何らかのメリットがあると感じた道だけしか紹介していません。
でも一つだけ言える事は、私の場合はHPの特性である写真を多く紹介してあることで、松浦さんの紹介文を読みながら
私の写真を見れば案外初めてのコースも理解しやすいと思います。

 そこで私のHPを紹介します。HPの完成はサグラダファミリアではないが、歩けば歩くほど紹介したい事が増え
いつ終了するか分かりません。イヤ終了などないかもしれませんが、コース紹介の部分はほぼ終っています。

 私の大崩山塊のHPアドレスです。 http://www.geocities.jp/s_kiisan/ookuzure/framepageookuzure.html
ブログのブックマークから 「はぐれのHP」(静岡県の低山紹介等)をクリックして入ってください。

 何しろブログと違いHPは手間暇が掛かる割りには、訪問者は殆ど無く淋しい限りです。一度遊びに来てください。
「安倍山系」紹介する積りが自分のHPを売り込むなんて、ズーズーし過ぎるかな。



しばらく休みます。

2014-05-19 09:43:17 | その他
 夫婦揃って古希を迎えた今年は、妻のご機嫌取りを兼ねて遊びに行ってきます。
そしてどうせブログを休むなら、以前から宿題のホームページも前進させようと、続けて休むことにしました。
再開は「海から富士山」に挑戦する時からにしたいと思っています。

satoさんに約束した遠江49薬師の続きは、果たしてどうなるか・・・・・・・・ ご免なさい。





蕨採り

2014-04-18 11:34:21 | その他
- 蕨採り 今年は何処へ 行ったやら -

昨日(17日)満観峰の舟川口から送電線の巡視路を辿って、放置茶畑の横で蕨を採ってきました。
収穫は大鍋2杯で、マートで売っている一束100円に換算するなら5千円以上はあるでしょう。

灰汁抜きが終わったら味噌汁、お浸し、卵とじ、テンプラなどにして食べます。
テンプラ?と思うかかもしれないが、これは我家の実験作ですが中々好評です。
山菜のテンプラと言うと柿、茶、ユキノシタ、モミジなどの葉があるが、どれもカラカラになって同じ感じです。
そこで採り過ぎた蕨をテンプラにしたところ、茎のグニュッとした歯触りが残り、如何にも蕨と言う感じがします。
同じく取ってきた蕗もテンプラにしたが、こちらはキャラ蕗の方が美味しいと言って以後やってもらえません

蕨採りの場所も最初は採れていた放置茶畑も、茶の木が蔓延ってくると日影になり、羊歯が蔓延して蕨は徐々に
生えなくなります。時々は新しい場所を開拓しないとならないけど、最近はそれも面倒で同じ場所で採っているので
年々収穫が減って来てます。
今年はあと一度別の場所に行こうかなと思っています。

             

   ------------------ ********************** -----------------

先日あるコメントがありました。
それはフジTVの「特ダネ!」と言う番組からで、2011年に歩いた東海道の写真を一枚使いたいとの事だった。
当然「ご自由にお使いください」と返信したが少々疑問が残った。
その写真とは滋賀県大津市のゴミの集積場所にあった家庭ゴミの袋だったのだが、そのゴミ袋は透明な大きな袋で
中のゴミが見えないように袋の周りを新聞紙やチラシで覆い隠してあった物だ。
そんな写真が何故TVで必要なのだろう? 必要なら写真を写せに行けば済むのではないのか?
若しかして現在では大津市も、ゴミの周りを新聞紙で覆ってないのかもしれない、など思ったが真相は分からない。
それでもどうと言う事はないだろう。マーいいか。

我家では「特ダネ!」は見ていないので、若し見た方がおりましたら内容を教えてください。
東海道大津の観歩記はこちらです

同級会

2013-11-10 08:52:19 | その他
 高校時代の同級会が伊豆北川温泉で行われるので参加してきます。

当初の予定では、今日は天城の万二郎、万三郎を歩いて同級会に出席。
翌日は熱海の十国峠で、まだ貰い損ねている「駿河一国33観音番外札所 東光寺」のご朱印を受けて
函南駅に出ようと計画していました。
ところが10日の今日は荒れ模様の天候とか、残念ながら初日の予定は中止して今はノンビリしています。
明日も雨が残るようなら、久しぶりに会う友人と朝酒でも楽しもうと思っています。

 新聞に「富士山の夏山シーズン延期」が伝えられていました。
少し気になる点もあるが、以前ブログで「延長すべき」と書いた私としては賛成です。
気になる点については、またいつか紹介します。


 

ミカン狩りウオーク案内&駿河百地蔵

2013-11-01 10:55:03 | その他
 昨年紹介したJA清水の「ミカン狩りウォーク」の案内が来ました。
昨年のこのウォークは、現地でミカン食べ放題、土産のミカン一袋付きでしたが、今年はどうでしょう。
案内にはその点は何も書いてないので少々心配です。

 

アグリウオーキング2013 開催決定!
世界文化遺産の富士山が見えるビューポイントを含む、およそ3時間のコースです。清水の農地を歩いてみませんか?

開催日時 11月16日(土) 雨天決行   参 加 費:無 料
受付時間 スタート/8:30~10:00  ゴール/14:00まで  
受付場所 JAしみず本店 西側駐車場

距  離 約12km  所要時間/約3時間30分(中級者向き)
コース
JA清水本店→原畑総内ビューポイント→茶業センタ→高山ビューポイント→JAグリーンセンタ→JA清水本店
特 典
 ①スタンプラリー押印で、粗品をプレゼント!
 ②先着500人に、オリジナル缶バッチと清水のお茶ボトル缶を配布
主 催 JAしみず    TEL 054-367-3214(開発課)
その他  事前のお申し込みは不要です。当日、直接受付へお越しください)

   ----------------------------------------------------------------------

 昨日(10月31日)駿河百地蔵尊の最終回を歩いてきました。
番外は「高野山大師教会支部日限地蔵」となっていましたが、場所を特定できず諦めました。
代りに函南町桑原の仏の里美術館に展示されている地蔵菩薩像を、勝手に番外奥の院と決めて歩いてきました。
これで2ヶ所の不明な所はあったものの駿河百地蔵も結願です。

 一方ブログの駿河百地蔵は遅々として進まず、まだ35番目が終わったような有様です。
残りは65ヶ所もあり、1日1ヶ所としても2ヶ月以上は必要となり、今年中に終わりそうもありません。
それも困るので、今年中にはブログの百地蔵も結願したいと思っています。