みちのくの山野草

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松館精一や煤孫利吉

2019-01-20 08:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)

 では今度は新たな項「軍国主義反対、労農党青年の活動」に入る。名須川溢男はまずこんなことをそこで述べていた。
 労農党員のため郵便局をクビにされた松館青年、当時の手記。

           松館精一日記
昭和二年五月一四日 県下青年団大会に緊急動議として青訓総動員反対書提議せんとするに、横暴なる知事はこの提議撤回を強要。「処理のため気づかわれたが、どうやら九名程の会合が得られお互い満足したわけ。我等の暁民会第一回集会。

 と、このように青年訓練所=軍国主義青年教育に真正面から反対してたたかっていたのは労農党とその青年たちであった。花巻で特に反対演説会も開催されたのである。

昭和二年五月一五日 花巻で青訓総動員反対演説会開催。県下青訓総動員一万余千は降り続く雨中を可憐にも真面目に彼等のために至誠?を表示す。
…(投稿者略)…
花巻はこのように、労農党の演説会に「白熱的民衆」となって盛り上がっていたのであった。
          〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)471p〉
私は今まで全く知らなかった松館精一という青年活動がいたということをここで知った。したがって、当時の花巻では労農党の運動がかなり盛んであったということが容易に想像がつく。

 次に名須川はこの項では煤孫利吉についも述べていて、
 昭和二年頃の宮沢賢治先生について、教え子の照井謹二郞氏は語る。

 農学校の先生をやめて一年ぐらいたってから羅須地人協会に宮沢賢治先生を訪ねたことがあった。
 お逢いしてびっくりしたのは、たくましい頑丈な体つきになったことだった。…(投稿者略)…
 それから先生は、その頃は「危険人物」と見られていたようだ。特に私の同級生だった煤孫利吉などは、先生と親しくいろいろと教えられたり、助けられたりしており、若いひとたちのめんどうをよくみたために、先生は危険人物のレッテル貼られている、と言っていた。元花巻警察署長の伊藤儀一郎は、宮沢先生にあって話しを聞いたことがある(事情取り調べ)とも言っていた。
            〈同473p〉
ということであるから、やはり賢治は伊藤儀一郎から事情聴取を受けていたことは事実であったと言わざるを得ないようだ。

 なお、この続きの項は、
    ㈢ 八重樫賢師
となっているので、このシリーズ〝「八重樫賢師と宮澤賢治」〟の最初に戻ることになる。

 さて、ここまで、賢治周辺の人物を幾人か取り上げてきた。ちなみにそれは主に、〝賢治と労農党系の活動家たち〟で列挙した人物たち、
(地人協会・社会運動青年集団)
八重樫賢師(国民高等学校教え子、小作人となり、協会出入、労農党員)
川村尚三(賢治との学習会、地人協会出入、労農党員、無産党員執行委員、啄木会)
梅木文夫(社会運動で盛中を中退、労農党書記、学習リーダー 御田屋町)
照井勝蔵(賢師の友人、労農党員、花巻一般労組代表)
八重樫与五郎(賢師の友人、労農党員、学習会サークル中心者)
高橋慶吾(古くから賢治の世話になる、地人協会活動、労農党党員、共済活動等)
煤孫利吉(労農党員、古い活動家、御田屋町)
島清次(賢師の友人、労農党シンパ、豊沢町)
猫塚耕一(労農党員、学習会場は桜の住宅・農学校教師時代賢治は近くの住宅(桜町二-七一一四付近)に住む)
菊地一郎(労農党シンパ、学習会参加)
伊藤秀治(労農党員、画家文化活動家、椅子張所、豊沢町)
木村清(地人協会楽器演奏、労農党シンパ)
照井克二(労農党員・学習会)
についてであり、その総体のイメージがこれである程度掴めた。そして少なくともはっきりわかったことは、賢治の周りには沢山の労農党系の活動家たちがいた、ということだ。それは、このことに関する名須川の一連の記述を青江舜二郎が裏付けてくれているからなおさらにである。

 なお、相変わらず気になっていて、いまだ進展がないのが、「猫塚耕一(労農党員、学習会場は桜の住宅・農学校教師時代賢治は近くの住宅(桜町二-七一一四付近)に住む)」の、
    農学校教師時代賢治は近くの住宅(桜町二-七一一四付近)に住む
についてだ。このことについては、この他にも、
という記述もあったから、なおさらに気になる。一方で、「桜町二-七一一四付近」に賢治が一時住んでいたなどということは、名須川以外に誰も公的には言っていないはずだ。一体どういうことなのだろうか。そして、こんな事実が果たしてあったのであろうか?

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