みちのくの山野草

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チェロの購入にも

2016-02-19 08:30:00 | 「不羈奔放な賢治」
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》

 例えば、『チェロと宮沢賢治』(横田庄一郎著、音楽之友社)の口絵に載っているからわかることだが、賢治のチェロには、その胴の中に
   1926.K.M.
というサインがある。「1926」とはもちろん1926年のことだろうし、「K.M.」とはKennji Miyazawa のK.M.であることは間違いなかろう。したがってこのチェロは1926年(大正15年)に賢治が購入したものだと言えそうだ。
 ところで、賢治はこのチェロをどこで購入したか現時点では判明していないようだが、前掲書の中で著者横田庄一郎氏は、
   ・もし地元花巻で購入したのであれば〝このあたりからの証言がでてきそうなものである〟
と指摘している。たしかに地元にいる私もそのようなことは聞いていない。一方で、横田氏は同書で
   ・藤原嘉藤治の方は賢治のチェロは東京で買ったとの証言もある。
とも述べているし、実際に、藤原嘉藤治は「思い出対談 音楽観・人生観をめぐって」において、
    で、そのうちに宮沢君もチェロが欲しくなったのか、東京で一八〇円だかで買ってきました。
                   <『宮沢賢治 第5号』(洋々社)22pより>
と語っているから、賢治はこのチェロを東京で購った蓋然性が大である、と言えそうだ。
 そして同書によれば、
 このチェロは鈴木バイオリン製の六号だということがわかっており、当時の価格表によると百七十円だった。
ということであり、しかもこの6号とはチェロの中では最高級品だったとのことである。また、チェロ本体に弓も含めればその合計価格は約180円になるだろうとも言う。さらに同書には、
 賢治がチェロを習いに上京するとき、教え子沢里武治は、この箱にヒモをつけて運んでいった。ヒモは縄だったという。
とも書かれてあった。そういえば、『宮沢賢治と遠野』(遠野市立博物館)の「澤里武治の略年譜」の中にも
    賢治のセロを背負い花巻駅同行し、賢治の上京を見送る。
とあったことを思い出した。この略年譜の記載内容ともこれは符合するから、賢治はチェロを納める〝セロ箱〟も同時に購入していたことは間違いなかろう。すると、同書に載っている価格表には50円と60円の「セロ箱」があるから、最高級品だったチェロ6号と弓とセロ箱の一式で合計価格は
   180円+(50~60円)=230~240円
となる。
 それにしても、花巻農学校を依願退職する頃の賢治の月給は約105円だから、このチェロ一式を手に入れるためにはその2ヶ月分以上を要するほどの高額であったようだ。となれば、「羅須地人協会時代」の賢治はそのような大金を一体どうやって工面したのだろうか。もしかすると、上京中に父政次郎に無心したあの「200円」がこのチェロを買うためのお金だったのかもしれない、などと想像したくなった。

 さて、その購入代金という大金を実際にどうやって賢治は工面したか気になることだが、少なくとも
    「羅須地人協会時代」の賢治は200円前後するチェロ一式を買った。
という事実は動かない。一方で、その購入時期以前にもう既に退職金の520円は使い果たしていたと判断できる<*1>ことからは、常識的に考えればいくらそれが欲しいとはいえ、現金収入の当てもない「羅須地人協会時代」の賢治がこのチェロ一式を購入する、いや、したいということさえも凡人の金銭感覚ではあり得ないこと。しかし現実には、賢治は高級チェロ一式を手に入れていたわけだし、このチェロの購入後の大正15年末の大津三郎による特訓や、昭和2年11月頃から滞京しての「三か月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました」というほどのチェロの猛勉強を経て、あの「セロ弾きのゴーシュ」を生み出すことになる。無収入だから無理だなどという常識に縛られずに何らかの方途で大金を工面して思いどおりに最終的には高級チェロを入手したというわけで、まさに「不羈奔放」な賢治の本領を遺憾なく発揮したと言えるようだ。

<*1:注> 平成11年11月1日付『岩手日報』によれば、
    賢治の請求を受けて県は大正十五年六月七日に一時恩給五百二十円を支給する手続きをとった。
ということがわかったと報道しているから、この520円は大正15年6月に支給され、しかもその大金は「高級蓄音機」の購入のためにすぐに使われたと言えそうだ。もしかりにこれだけの大金520円を上京時にまだ持っていたとすればこの高級蓄音機を売却する必要はなかったはずだからである。

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《鈴木 守著作案内》

 『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』         『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』       『羅須地人協会の終焉-その真実-』

 『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)               『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』

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