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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
「ライスカレー事件」はあったのだが
では、例の「ライスカレー事件」についてはどうなんだろうか。
◇「ライスカレー事件」はあった
この「ライスカレー事件」だが、もはや虚構が多いということがわかってしまった「昭和六年七月七日の日記」は当てにならないので、まずは高橋慶吾の「賢治先生」の方で見てみよう。
某一女性が先生にすつかり惚れ込んで、夜となく、晝となく訪ねて來たことがありました。その女の人は仲々かしこい気の勝つた方でしたが、この人を最初に先生のところへ連れて行つたのが私であり、自分も充分に責任を感じてゐるのですが、或る時、先生が二階で御勉強中訪ねてきてお掃除をしたり、臺所をあちこち探してライスカレーを料理したのです。恰度そこに肥料設計の依賴に數人の百姓たちが來て、料理や家事のことをしてゐるその女の人をみてびつくりしたのでしたが、先生は如何したらよいか困つてしまはれ、そのライスカレーをその百姓たちに御馳走し、御自分は「食べる資格がない」と言つて頑として食べられず、そのまゝ二階に上つてしまはれたのです、その女の人は「私が折角心魂をこめてつくつた料理を食べないなんて……」とひどく腹をたて、まるで亂調子にオルガンをぶかぶか彈くので先生は益々困つてしまひ、「夜なればよいが、晝はお百姓さん達がみんな外で働いてゐる時ですし、そう言ふ事はしない事にしてゐますから止して下さい。」と言つて仲々やめなかつたのでした。
<『イーハトーヴォ創刊號』(宮澤賢治の會)より>
次は、関登久也著『宮澤賢治素描』所収の「宮澤賢治先生を語る會」を見てみよう。
K …何時だつたか、西の村の人達が二三人來た時、先生は二階にゐたし、女の人は臺所で何かこそこそ働いてゐた。そしたら間もなくライスカレーをこしらへて二階に運んだ。その時先生は村の人達に具合惡がつて、この人は某村の小學校の先生ですと、紹介してゐた。餘つぽど困つて了つたのだらう。
C あの時のライスカレーは先生は食べなかつたな。
K ところが女の人は先生にぜひ召上がれといふし、先生は、私はたべる資格はありませんから、私にかまはずあなた方がたべて下さい、と決して御自身たべないものだから女の人は隨分失望した樣子だつた。そして女は遂に怒つて下へ降りてオルガンをブーブー鳴らした。そしたら先生はこの邊の人は晝間は働いてゐるのだからオルガンは止めてくれと云つたが、止めなかつた。その時は先生も怒つて側にゐる私たちは困つた。そんなやうなことがあつて後、先生はあの女を不純な人間だと云つてゐた。
<『宮澤賢治素描』(關登久也著、協榮出版社)255p~より>
なお、Kとは高橋慶吾のことであり、Cとは伊藤忠一であることを後に関は『賢治随聞』(角川選書)で明かしている。また、Cは信頼に足る人物だと判断できる。それは、佐藤勝治や菊池忠二氏の論考におけるCに関する記述内容から読み取れるからだ(後述する)。そのようなCとKが共にこの「ライスカレー事件」を目の当たりにしていたと思われる証言をそれぞれしているのだから、その中身がどうであったかはさておき、少なくともこの「ライスカレー事件」があったことだけはまず間違いなかろう。
◇その事件の真相は?
次に、両者における高橋慶吾の証言を比べてみると、
【オルガンを弾く迄の状況対比表】
「賢治先生」 「宮澤賢治先生を語る會」
来客について:数人の百姓 西の村の人2、3人
客の居場所 :1階 2階
賢治 〃 :2階→1階→2階 2階
料理中の露 :1階台所 1階台所でこそこそ
食事場所 :1階 ライスカレー2階へ運ぶ
オルガン演奏:1階で 2階から下りて1階で
となるから両者の間には結構違いがある(当時のことだから「数人」とはおそらく5~6人)し、しかも「こそこそ」という表現を用いていることからは高橋の悪意が拭い取れない。
さらに高橋は「一階」としているが、実は
・宮澤清六:『私とロシア人は二階に上ってゆきました。…レコードが終わると、Tさんがオルガンをひいて…』(『宮沢賢治の肖像』(森荘已池著)236p)
・松田甚次郎:『早速二階に通された。…先生は色々な四方山の話をしたりオルガンを奏してくれたり自作の詩を御讀みになつたり…』(『宮澤賢治研究』(草野心平編、昭14)424p)
・高橋正亮:『二階へいきました。そこは…ちいさいオルガン、小さい蓄音機…』(『拡がりゆく賢治宇宙』63p)
・梅野健造:『二階に案内された。…部屋の左側に机、整理棚、そしてオルガンが置かれ…』(『賢治研究33号』8p)
というように、高橋以外は皆一様に当時オルガンは2階にあったと証言しているからオルガンは2階に置いてあった可能性がかなり高い。そしてもちろんそれが2階にあったとすれば、この高橋の一連の証言は根本から崩れ去る。
したがって「ライスカレー事件」が実際にあったとしても、高橋のこのことに関する証言内容の信頼度は低く、せいぜい高橋の証言から「修飾語」を取り去ったものだけが考察の対象となり得る程度のものであろうと考えざるを得ない。
その上でのことだが、賢治が「ライスカレー」を食べなかった理由を合理的に説明できるのは、時間的な推移と賢治の心境の変化の仕方を考えてみれば前者の「賢治先生」の方だと考えられる。つまり、次のような時系列で大体ことは流れて、
ある時、賢治は2階で勉強していた。
→その時露は賢治の許に来ていて、「ライスカレー」を作っていた。
→ちょうどそこへ肥料設計の依頼に数人の百姓たちがやって来た。
→彼等は、料理をしている露を見てびっくりした。
→それを突然見られてしまった賢治は、露がまるでお嫁さんの如く思われたのではなかろうかと思って焦った。
→ばつが悪くなった賢治はその「ライスカレー」をその百姓たちに御馳走した。
→そして賢治はつっけんどんに「私は食べる資格がない」と言って取り繕い、2階に上がってしまった。
→当然露は「折角つくった料理を食べないなんて…」とがっかりし、心を落ち着けるためにオルガンを弾いた。
→その傷心振りを察知した賢治は1階に下りていって露を慰めた。
→しかし、露の気持ちは直ぐには元に戻らなかった。
という顚末だったのではなかろうか。
というのは、下根子桜時代、ロシア人のパン屋が来た頃の露と賢治はとてもよい関係であったということを知ってしまった私には、その時賢治は露が「ライスカレー」を作りに来ることを承知していたかあるいは依頼していたはずだと考えられるからだ。しかも、この流れであれば、賢治が「ライスカレー」を食べなかった理由もそれなりに合理的に説明できる。このあたりがことの真相であったとしてもほぼ間違いなかろう。
◇「ライスカレー事件」で露を<悪女>にはできない
さて、Kの証言に基づくならば少なくとも2~3人の来客があり、しかも賢治の分の「ライスカレー」も用意したということがわかるから、最低でも3人分の「ライスカレー」を作っていたことになる。ところが下根子桜の別宅にはそれ用の食器等が十分にはなかったはずだから、食材の準備だけでなくそれらも露は準備せねばなかったであろう。
ちなみに、当時下根子桜の別宅にどれだけの食器があったのかについては、賢治と当時一緒に暮らしていて炊事なども手伝っていたという千葉恭が次のような証言している。
大櫻の家は先生が最底((ママ))生活をされるのが目的でしたので、台所は裏の杉林の中の小さい掘立て小屋を立て、レンガで爐を切り自在かぎで煮物をしてをられました。燃料はその邊の雜木林の柴を取つて來ては焚いてをられました。食器も茶碗二つとはし一ぜんあるだけです、私が炊事を手傳ひましたが毎日食ふだけの米を町から買つて來ての生活でした。
<『四次元7号』(昭和25年5月、宮澤賢治友の会)所収
「宮澤先生を追つて(三)―大櫻の實生活―」 より>
したがってこの証言によれば、下根子桜の別宅には「茶碗二つとはし一ぜんあるだけ」だったから、別に新たに「ライスカレー」用の大皿、スプーン、コップなど最低でも3人分、そしておそらく露はその他に食材や調味料なども用意してきたはずだ。多分この事件の起こった日は勤務校が休みの日曜日か長期休業中であり、鍋倉の下宿から向小路の実家に戻っていた露は実家から約1㎞ある道のりそれらを運んできたことになる。
その上、下根子桜の別宅の場合、炊事場はちょっと離れた外にあったということもあり、その別宅で当時3人分以上の「ライスカレー」を作るということは、普通の家庭とは違って何から何まで大変なことだった。とはいえ、そうでもしなければ「ライスカレー」はつくることができなかったのだから、露はとても優しく甲斐甲斐しい人だったということもこれでわかる。
それに対して、賢治は突如自分の都合が悪くなったので頑なに食べることを拒否したというのであれば、仮に露が『私が折角心魂をこめてつくつた料理を食べないなんて…』と詰ったとしても、そしてまた心を落ち着けるためにオルガンを弾いたとしてもそれは至極当たり前のことであり、その責めは賢治にこそあれ、露にはほとんどなかろう。
ましてや、そんなことで露が<悪女>にされたのではたまったものではない。恩を仇で返すようなものだ。ちなみに<悪女>とは「性質のよくない女」のことをいうようだが、こんなことで「性質のよくない女」と決めつけられたのでは、世界中の女性が皆〈悪女〉になってしまうだろう。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
【新刊案内】
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))
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