みちのくの山野草

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光太郎の山口での自炊生活(菜園作り)

2024-01-16 14:00:00 | 独居自炊の光太郎
〈「雪白く積めり」の詩碑》(平成22年7月29日撮影)

 さて、前回最後に、「それは、同日記から、菜園作りにも着々と取り組み始めていたことが容易に読み取れるからだ」と述べた。そこで今回はその菜園作りに関する記述を、光太郎の昭和21年4月下旬の日記から探してみた。

4月21日
 午后ゑん豆を蒔く。ツルの手を木の枝にてつくる。畝の土に灰タンカルをまぜる。肥料不足なり。明日糞肥を与へん。
4月22日
 去秋蒔いて二葉の出た菜類はそれ以上育たず。酸性の為ならん。午后畑仕事。地面掘り起し。
 今日は時無大根を蒔く。堆肥と糞を水にとかしたものとを基肥にやる。尚糞汁をゑんどの畝の横にもやる。タンカルは十分土にまぜたつもり。
4月23日
 畦にあるカンコの芽を見つけ、根ごと四五株掘り取り来たり。小屋の近所の田の畦に移植す。
 小屋前にササゲを一うねまく。堆肥人糞を基肥に入れる。尚胡瓜予定の畝に人糞を入れておく。外にタンカルを土にまぜる。
4月25日
 午后地面を起し、一うねばかり、ねぎを植ゑこむ。田頭さんにもらつた若葱なり。同じくニラをも植ゑつける。いづれも堆肥と人糞と、灰とをかける。
4月26日
 起した地面にタンカルをまく。
午后畑おこし。ジャガイモを日にあてる。播種の準備、
4月27日
 午后種しらべ。ホウレン草をまく。山東奈すこし。ホウレン草と一緒に小松奈をまく。尚ジャガ芋のうねをすき返す。水野君よりのブンヅウ豆一。
4月28日
 午后畑仕事。ジャガイモ六うねばかりいける。紅丸。人糞をほどこしたものの上へわらや木の葉まじりの土をかぶせその上へ中位のイモは丸のまま、大なるは半切にして起き、上へ又同じやうな土をかぶせ、その上へ木の葉などを更におき、土をかぶせる。灰を少しかけて置く。時無大根の芽は皆出たやうばり。二葉まだ十分開かず。夕方うすき人糞のとかしの(ママ)を流しおく。
4月29日
 朝ジャガイモをいけたうねのうえより人糞水ときを少しつつかける。
 尚新夕刊所載のジャガイモ播種法を試みに一うねだけやつてみるつもりで小便の新しきものの中に種イモを切りてつける。
 午后……畑の事。ジャガイモを植ゑ込む。小便法一うね、紅丸也。白いのは一うねだけうゑる。……肥料は木の葉、わら屑等と自家の糞を水にてとかしたものとなり。
4月30日
 前の畑地をおこす。四分一の面積にてやめる。
          〈『高村光太郎全集〈第20巻〉 補遺(2)』(高村光太郎著、筑摩書房)72p~〉
 これらの記述に従えば、光太郎の菜園づくりもまた地に足のついた、かなり本格的なものであったことが導かれる。正直、ここまで実際的な作物作りであったことは予想だにしていなかっただけに、光太郎の「自己流謫」は単に単に己を罰するというものではなかったようだということが示唆された。

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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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