みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

あすこには〝スコラ学徒〟が沢山いる?

2018-12-28 14:00:00 | ガリレオと賢治研究
《『世界の伝記 ガリレオ』(大野進著、ぎょうせい)》

鈴木 ところで荒木、知ってたか、ガリレオの友人にジョヴァン二という友人がいたっていうことを。
荒木 知らねえな。あのカンパネルラの友人ジョバンニと同じな名前のな。
鈴木 うん、そうなんだ。吃驚したよ。実はこの度大先輩から『世界の伝記 ガリレオ』を頂戴してさ、それを読んでいたならばほら、75pに、「この上ない親友となったジョヴァンニ・サグレドが」とあるではないか。
荒木 どこどこ……ほんとだ。たしかこの本なら俺も持っていたはずだ。
   (と言って本棚から抜き出してくる)
な、同じだべ。
鈴木 おっ、嬉しいね。
 実はこの本、なかなか教わるところが多いようだと思って前から順に頁を捲っていったならば、まず第一に目に留まったのが、
 教授は、恭しく教室の天井をふり仰いでこう続けた。
「わたくしたち学級の徒の祖師アリストテレスは、こう言っておられる。」
 ガリレオは、あっけにとられたけれど、思い直して聴き入った。
「われわれが無限に多くの物を知るのは、それらに共通の、ある一つの物があるからである。先師アリストテレスは言っておられる。」
 授業の二日目もこの調子。そしてガリレオ父子にとって貴重な講義の内容は、一学期のほどんどが、「アリストテレスは、こう言っている」で終始したのである。
            〈『世界の伝記 ガリレオ』(大野進著、ぎょうせい)33p~〉
という記述だ。どっかで見ている光景とかなり似た光景に見えるんだよな。
荒木 アリストテレスな……うっすらと記憶はあるが、そっか、当時の象牙の塔は全て「アリストテレス」様々だったということだったのか。そして次に、
 「この世のすべては神の定めたもう法に基づくがそれはなぜか、すべての存在の究極の目的は何かを、アリストテレスは余すところなく教えている。」
というわけだ。アリストテレスの諸著作は半ば信仰的に研究されるようになる。それらに註釈をほどこし、また註釈を重ね、自己の論拠の立証が必要となれば、たちどころにアリストテレスから引用する……それが学者と言えるほどの者なら、やるべきことということになった。アリストテレスは、二流の学者のアラジンのランプになったのである。これらの学者のことを、ふつう〝スコラ学徒〟と言っている。
           〈同35p~〉
と述べられているから、俺は、あの石井洋二郎氏が『平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞』で憂えていたこと、たとえば、
・情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。
・こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。
・研究においても仕事においても、けっして他者の言葉をただ受動的に反復するのではなく、健全な批判精神を働かせながらあらゆる情報を疑い、検証し、吟味した上で、東京大学教養学部の卒業生としてみずからの名前を堂々と名乗り、自分だけの言葉を語っていただきたいと思います。
などを思い返しながら、象牙の塔は遙か昔からそうだったのかと嘆くね。
鈴木 たしかに、この、「それらに註釈をほどこし、また註釈を重ね、自己の論拠の立証が必要となれば、たちどころにアリストテレスから引用する」という構図等は、石井氏の嘆くところだね。だから、どこかでしばしば私がみている光景なんだな。
吉田 うんうん。あすこにはたしかに〝スコラ学徒〟が沢山いる。
鈴木 うん? その「あすこ」ってどこだよ。
吉田 すぐ後に、
「自分の主張を支える真の裏付けを示しもせず、偉い人がああ言っている、こう言っているから、などという人は、あほう<*1>もいいところである。」
           〈同36p〉
と述べられているから、下手すると誤解を受けかねないので今はいいにくい。
 そしてそもそも、このようなこと、つまり、
   「検証するわけでもなく、裏付けを取ることさえもしない」という研究姿勢と態度は研究者に悖ることだ。
というようなことを、鈴木は常々言っていることじゃないか。だからこそ僕は言ったのだ。
鈴木 ……

<*1> 原典では、この太字部分には傍点が付いているのだが、そのような表記はこのブログではできないので、太字で代用させてもらった。これ以降の太字も同じ扱いである。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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