みちのくの山野草

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答えは風に吹かれている

2018-10-10 22:00:00 | 「賢治学会」におけるハラスメント
《花巻の円万寺境内から見た鍋倉のみのり》(平成29年年9月21日撮影)
方十里 稗貫のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる
 病のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てば うれしからまし

〔答えは風に吹かれている〕
 さて、そろそろこのシリーズ〝『「賢治学会」でもハラスメントが行われている』〟をとりあえず終えることにしたい。

 すると思い浮かぶのが、かつて、三陸の被災地にしばしばボランティアに行っていた際に私が抱いた、ボランティアにやって来る多くの若者たちに対する畏敬の念だ。詳しくは下掲の【参考資料】をご覧いただきたいのだが、ボランティアにやって来る若者たちの心構えと心意気がすごいのだ。しかも、衒いもないから逆に、なおさらに彼らが神々しく見えたからだ。
 彼らは、あの当時しばしば唱われた「雨ニモマケズ」を高らかに唱うわけでもなく、また賢治精神を実践しようということで駆けつけているわけでもない。ただ純粋に、『困った時にはお互い様ですから』と言って、額の汗を拭うことも忘れて泥や埃にまみれながら、ひたすら動き回るのである。週末に、遠くから夜行バスに乗ってやって来て、サボることもせずに笑顔でボランティア活動をし、また夜行バスに乗ってとんぼ帰りして翌日にはそのまま職場に出るというのだ。

 さて一方で、「三陸支援を支援しましょう」ということで「宮沢賢治 花巻市民の会」が「賢治学会理事会」に募金を呼びかければ、「同理事会」はあろうことか禁止命令を出すという現実
 それこそ、「賢治学会」としてまさに相応しいことなので大いに支援しましょうと言ってくれるどころか、逆にそれを押し潰し、しかもそれを完膚なきまで叩きつぶそうと今でも画策している「同理事会」であり、為すべき事を為さずに、為すべからざる事を為している、というように私からは見えてならない。言い換えれば、意に沿わない個人や組織に対して「同理事会」は平気でハラスメントをし続けているとしか、私には見えないのである。

 そこで、「この両者の間にあるあまりにも大き過ぎる隔たり、この実態を賢治はさぞかし悲嘆していることでしょう」と私があの先輩に訴えたならば、先輩は、
 「賢治精神」を発揮して三陸支援をしようとする地元「宮沢賢治 花巻市民の会」の活動を押し潰す「賢治学会理事会」
 「賢治精神」を発揮して三陸支援のボランティア活動をしている「賢治学会員ではない多くの若者たち」
という、たしかに皮肉な構図だわな。
と手厳しく批判した。そして併せて、
 しかし、「宮沢賢治学会」など全然頼らなくとも、こうやって「図書カード」を贈ってくれる人が、それも継続して贈ってくれる人も実際いるじゃないか。
 そして、高瀬露の濡れ衣の件も同じこと。鈴木さんは先の「賢治学会」の総会において、
 仮説「高瀬露は悪女ではない」が検証できたし、これに対する反例は一切突きつけられていないから、この仮説「高瀬露は悪女ではない」は、今後反例が突きつけられない限りという限定付きの真実だ。
と述べたわけだ。
 だから当然、露はずっと濡れ衣を着せら続けられて来たということになり、これは賢治が直接関わっている重大な人権問題であり、しかも現代は何にも増して人権が重視される時代だから、「賢治学会」は早急にこの件の再検証が迫られていて、喫緊の課題だ。
 ところが、同学会は端から取り組むつもりはないのだから、「賢治学会」は人権意識が極めて乏しかったと、後々歴史によって厳しく裁かれることになる。
と私を諭し、慰めても下さったので、そっか、この悲しむべき実態はそう遠くない時期にやがて改善されるにちがいない、という確信が私に生まれ始めた。

 そうだ、ボブ・ディランも「答えは風に吹かれている」と教えてくれているではないか。
How many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
How many years can some people exist
Before they're allowed to be free?

How many times can a man turn his head,
And pretend that he just doesn't see?

The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

********************************《三陸支援の呼びかけ》*********************************
 なお、このブログをご覧になった方々、今からでも遅くありませんので、どなたもご遠慮なさらずにご支援下さい。
 ちなみに私の住所等は下記のとおりです。図書カードを贈ったいただきましたならば責任を持って大槌町教育委員会にお届けいたします。
  〒 025-0068
   岩手県花巻市下幅21―11
            鈴木 守
   電話 0198-24-9813

 あるいは、私が個人的に勝手に呼びかけているのですが、直接大槌町教育委員会へお届け下頂いても結構です。
 東日本大震災によって罹災したが、それにも負けずに健気に頑張っている(花巻から見て東に位置する)大槌町の子どもたちを支援したいという方がおられましたならば、下記宛先に図書カードを直接郵送をしていただければ、大槌町教育委員会が喜んで受け付けて下さるはずです。新設された小中一貫校・大槌町立『大槌学園』の図書購入のために使われますので、大槌の子どもたちを支援できることになります。
  〒 028-1121
   岩手県上閉伊郡大槌町小鎚第32地割金崎126
        大槌町教育委員会事務局
                  教育長 様
   なお、大槌町教育委員会事務局の電話番号は
        0193-42―6100
   です。

【参考資料】
・2011-10-22付投稿
2393 ありがとうございます。
 今回のボランティアは北上市社協災害復興ボランティアセンターが主催したものであったが、その参加者の中に沢山の県外の人たちがいた。遠く栃木県やさらに遠くの神奈川県からの若者たちが多かった。
 ところで今回の大震災を期に再び賢治の「雨ニモマケズ」が持ち出されることが多いようだが、この若者たちは賢治に負けていないのではないかと私は肌で感じた。あるいはもしかするとその賢治は天国で、この頃のこのような若者たちははるかにを自分宮澤賢治を超えている、と甚く感激しているかもしれないと私には思えた。

・2011-11-05付投稿
2409 釜石市鵜住居の今(11/5)
 なお今回も東京の若者がボランティアに来ていたし、外国の若い女性も来ていた。
 頼もしくて素晴らしい若者が多いのだということをいまさらながら知った。

・2011-11-11付投稿
2416 8ヶ月後の朝、下根子桜より
 あれから8ヶ月が経ってしまった。
 この大震災にあたっては、賢治は津波のあった年に生まれて津波のあった年に亡くなったとかが話題になったり、「雨ニモマケズ」がしばしば公の場で朗読されたりするようになった。
 一方被災地にボランティアに行くと、遠くからも多くの若者たちがボランティアに来ていることを知り、感激する。
 彼等の行為は
  東ニ病気ノコドモアレバ
   行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ
   行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
とダブって見えてくる。賢治がかくの如くしたためたこのような行為は何も賢治の専売特許という訳ではなく、このような若者たちの行為を目の当たりにして、かれらの行為そのものだと私は感じる。

・2011-11-24付投稿
2434 『宮沢賢治のことば』より
本日も三陸の被災地にボランティアに行ってくるが、そこでは
 「人のために役立つことが嬉しい」
とか
 「困っている人を助けるのは当たり前です」
と言って懸命に働く多くの若者たちが汗しているはずだ。彼等は爽やかであり、私には眩しく見える。

・2011-11-25付投稿
2435 陸前高田の今(11/24)
 今回も、遠くからも沢山の若者たちがボランティアに来ていた。そして気が付いた、当たり前のことかも知れないが、彼等はサボることなど全くせず黙々と働ていたことに。かつて若かりし頃の自分を思い返せば、その当時の私は奉仕活動の際にはちょっとサボろうかなどという不謹慎なことをたしか考えたことがあったような気がする。とても『今の若者は』などとは言えない。
 一方で、どうして大正15年に賢治は赤石村や不動村に支援の手を差し伸べることなどせずに、それどころか近くの若者たちを集めて夜な夜な素人楽団活動などに熱心だったのだろかということが、この若者たちの活動振りを見るにつけますます理解しづらくなってきた。  

・2012-06-30付投稿
2740 陸前高田(6/29)
 今回も遠く関東などからの方々も参加していた。地元の一人としたその人達に感謝するとともに、いままでしばし参加せずにいた自分を恥じた。ボランティア活動できることはまだまだ沢山あるということだから、少なくとも今後は1ヶ月に1回は参加するように心懸けたい。
 因みに今回参加したボランティア活動は北上市の社会福祉協議会が主催するものであり、なんと参加費は無料、さらにはボランティア保険料も負担してくださるというありがたいものである。是非花巻市におかれましても、このような支援活動を今年も企画していただきたい。賢治の生まれ育った所なればなおさらに。

・2012-07-17 付投稿
2772 今の鵜住居(7/13)
 遅々とした復興・復旧の歩みにむなしさを感じたが、一方では、東京方面からさえも多くの若者達がボランティア活動に来ていることに救いと頼もしさを感じた。
 現場に行くこともせずに他人の言葉(それも美しい言葉が並んでいるだけで実践を伴ったものではない)を借りて遠くでかたっている人達よりも、夜行バスで来てその足で現場にやってきて笑顔で活動するこの若者達の方からこそ私達は学び取らねばならぬと思った。少なくとも美しい言葉の羅列よりも彼等の拭おうともせぬ玉の汗こそが美しく、その実践にこそ価値があるのだ、と。

・2012-10-01付投稿
2923 大船渡でのボランティア(9/28)
 その活動内容は大船渡湾岸のある側溝の泥上げ作業であった。
 最初は、そこにまさか側溝があるなどとは思わなかったが、土や泥などを取り除くと見事に立派な側溝がよみがえった。
 なお、生憎昼近くなると雨足が激しくなってきたので、午後の活動は中止になった。

・2012-10-21付投稿
2967 陸前高田(10/17)
 昼休みに周辺を見て回って、現状を知ってもらうための投稿用写真を撮っていた。すると、ボランティアに来たのであろう人達の自家用車がかなり駐車していた。その中には〝山口〟ナンバーの車があった。つい嬉しくなってその持ち主に声を掛けた。
 『遠くから大変ありがとうございます』
と。すると、その車の持ち主は歳の頃25、6歳の若い青年で、衒いもなく
 『いやあ、困っているときはお互い様ですから』
と爽やかに応えてくれた。私はその青年がまぶし過ぎて次の言葉を探せなかった。
 今の若い人達はやはり「凄いな」とつくづく思った。そして私のような年寄りはもしっかりせねば、とも。

・2012-11-11付投稿
2993 釜石(11/9)
 私ならば草刈り機械が操作できるので、一人でほぼ30分もあれば刈り終えることが出来る程度の広さの所だったが、ボランティアセンターは安全に配慮してくれて皆さん小さい鎌を使っての草刈りであった。考えてみれば、効率だけを優先するのも良し悪しで、皆んなで少しずつだけれども力を併せて一つの仕事を為し遂げるということにもそれはそれで意味があることで、そこから人は多くのことを学ぶことが出来るかもしれないなどと考えながら働いた。サボらずに。実は私は今から35年~30年前に釜石で働いており、大変お世話になった所でもありご迷惑を掛けてしまった所でもある。それゆえ、とりわけサボる訳にはいかなかったのである。

・2013-11-01付投稿
3606 いまの陸前高田(10/30)
 そして、毎回そうだが今回も遠く関東方面等からも若者達が参加していたし、しかも一生懸命に働いていた。「雨ニモマケズ」を歌い上げるのもいいが、しょせんあれは賢治が出来なかったことであり、それを悔いて懺悔したもの。だからこそ「サウイフモノニワタシハナリタイ」といったものである、と私は思っている。
 しかるに、この若者達はそれを声高に歌い上げるようなこともせずに、ひたすら黙々と光る汗を流している。それこそ、いわば「賢治精神」を実践しているといえる。見上げた若者達であるし、頭が下がる。必ずや、将来の日本を彼等は背負ってゆくだろう。

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