![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/8f/0a001ca642c2324ac830c0465df2a033.jpg)
あれから8ヶ月が経ってしまった。
この大震災にあたっては、賢治は津波のあった年に生まれて津波のあった年に亡くなったとかが話題になったり、「雨ニモマケズ」がしばしば公の場で朗読されたりするようになった。
一方被災地にボランティアに行くと、遠くからも多くの若者たちがボランティアに来ていることを知り、感激する。
彼等の行為は
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
とダブって見えてくる。賢治がかくの如くしたためたこのような行為は何も賢治の専売特許という訳ではなく、このような若者たちの行為を目の当たりにして、かれらの行為そのものだと私は感じる。
一方、実は下根子桜に移り住んだ年大正15年、稗貫郡(花巻の属していた郡)の隣の紫波郡では大干魃に見舞われしまい全国から支援の手が陸続として差し伸べられた。しかるに賢治はそのような義捐活動は一切せずに下根子桜で楽団活動などに熱心だったと思われる。なぜ賢治はその時に
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
にあたる行為をしなかったのだろうかということが、私には大きな謎である。
その訳をいくらかでも探りたくて、あれから8ヶ月が経った今日11月11日下根子桜を訪れてみた。下根子桜で賢治と一緒に暮らしたことのある千葉恭は次のように語っていたからである。
たゞ先生は一番その家に居て嬉しかったのは、四季ともに共通にれた朝を北上山脈の頂上から、新しい空を破つて静かにのぼる太陽を見た時です。その時は何をやめてもまばたき一つせず、ぢつと見つめ朗々とした聲を張り上げて法華経を讀上るのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/8f/9bc9b2d9f6eec5706cf4372d2a6bbe83.jpg)
《2 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/f2/9aa4547626a55ef68fdeb5700cf76289.jpg)
《3 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/65/8464e3ad47252b0512e1f74d9f59f934.jpg)
《4 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/01/047314d5cc5ade3038299cb7d92b2579.jpg)
《5 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c0/33bd4cf25dd70e204088964bb0aa3849.jpg)
《6 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/e8/54a08978086e396e1feadfe051dfd5b5.jpg)
《7 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/46/c4636dcd4dbbf4986a8aaf92deb8ae4c.jpg)
《8 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/de/b9197dcdab4b7981114b7665a8527f28.jpg)
《9 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a3/feb2abc936c6fb7079d5df57591d7615.jpg)
《10 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/9a/ae6f3d020cd4b4b95906ecdbe62850e5.jpg)
《11 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b5/fbb8d16e5bfa9d3d0bd61c8c80bb9aea.jpg)
《12 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/89/e54193e0bb46f8def58447f6ab60324a.jpg)
《13 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/21/d3beed8c63ffb2bc2697b1a014737750.jpg)
《14 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/95/43ccf8dcafb457352c0b31fac9adaab5.jpg)
《15 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ba/db71f0a16ccdbc0bfd0655588f7b6c1d.jpg)
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この大震災にあたっては、賢治は津波のあった年に生まれて津波のあった年に亡くなったとかが話題になったり、「雨ニモマケズ」がしばしば公の場で朗読されたりするようになった。
一方被災地にボランティアに行くと、遠くからも多くの若者たちがボランティアに来ていることを知り、感激する。
彼等の行為は
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
とダブって見えてくる。賢治がかくの如くしたためたこのような行為は何も賢治の専売特許という訳ではなく、このような若者たちの行為を目の当たりにして、かれらの行為そのものだと私は感じる。
一方、実は下根子桜に移り住んだ年大正15年、稗貫郡(花巻の属していた郡)の隣の紫波郡では大干魃に見舞われしまい全国から支援の手が陸続として差し伸べられた。しかるに賢治はそのような義捐活動は一切せずに下根子桜で楽団活動などに熱心だったと思われる。なぜ賢治はその時に
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
にあたる行為をしなかったのだろうかということが、私には大きな謎である。
その訳をいくらかでも探りたくて、あれから8ヶ月が経った今日11月11日下根子桜を訪れてみた。下根子桜で賢治と一緒に暮らしたことのある千葉恭は次のように語っていたからである。
たゞ先生は一番その家に居て嬉しかったのは、四季ともに共通にれた朝を北上山脈の頂上から、新しい空を破つて静かにのぼる太陽を見た時です。その時は何をやめてもまばたき一つせず、ぢつと見つめ朗々とした聲を張り上げて法華経を讀上るのでした。
<『四次元 7号』(宮沢賢治友の会 May-50)より>
《1 》(平成23年11月11日撮影)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/8f/9bc9b2d9f6eec5706cf4372d2a6bbe83.jpg)
《2 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/f2/9aa4547626a55ef68fdeb5700cf76289.jpg)
《3 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/65/8464e3ad47252b0512e1f74d9f59f934.jpg)
《4 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/01/047314d5cc5ade3038299cb7d92b2579.jpg)
《5 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c0/33bd4cf25dd70e204088964bb0aa3849.jpg)
《6 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/e8/54a08978086e396e1feadfe051dfd5b5.jpg)
《7 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/46/c4636dcd4dbbf4986a8aaf92deb8ae4c.jpg)
《8 》(平成23年11月11日撮影)
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《9 》(平成23年11月11日撮影)
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《10 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/9a/ae6f3d020cd4b4b95906ecdbe62850e5.jpg)
《11 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b5/fbb8d16e5bfa9d3d0bd61c8c80bb9aea.jpg)
《12 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/89/e54193e0bb46f8def58447f6ab60324a.jpg)
《13 》(平成23年11月11日撮影)
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《14 》(平成23年11月11日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/95/43ccf8dcafb457352c0b31fac9adaab5.jpg)
《15 》(平成23年11月11日撮影)
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早池峰山の近景写真をじっと拝見していて、子供のころが懐かしく思い出されました。
外台に霜が降りて、朝日が眩しいですね。
子供の頃、オミンチィヤンとカッパサンの中間の崖上で育った小生には、懐かしさがいっぱいで、朝の風景写真をみとれてしまいました。
早池峰山の風景は変わらないが、外台はまるっきり変りましたね。
突然の書き込み、失礼致しました。
お晩です。
ご訪問いただきありがとうございます。
私は花巻出身ではないので昔の外台のことは全く解りませんので、貴重な情報ありがとうございます。
そうしますとヤジュルさんは「下ノ畑」などは正しい場所を知っていらっしゃるのではないですか。現在のその案内は多分違っていると思いますれば。
またこのオミンチィヤンとは明神様の湧水のことで、カッパサンとは河童沢のことなのでしょうか。
これからもお暇なときは拙ブログを是非ご覧になって下さい。
「春と修羅 第三集」中に記されている「水揚げ場ができる」件について、以前ブログで触れた事が有ります。
「宮澤賢治の里より」も拝見して居ります。
お早うございます。
ご教示いただきありがとうございました。
以前、シゲが賢治に「あん、いまお明神様の湧水で脳味噌をよく冷やして、洗ってあげるから」と言ったということを知って、それはどこにあるのだろうかと思って探し廻ったことがあります。そういえばその隣が滝清水神社でした。
また、お陰様で貴ブログの〝壺中の天地〟における
〝「下ノ畑」〟
を拝見でき、一帯の事情も分かりました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。