みちのくの山野草

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こんなものは考察の対象たり得ない

2018-12-30 08:00:00 | 検証「Wikipediaの高瀬露」
《『宮澤賢治幻の恋人』(澤村修治著、河出書房新社)》

鈴木 では今度は、

の後半、
この露の行動に賢治は怒り、

聖女のさましてちかづけるもの
たくらみすべてならずとて
いまわが像に釘うつとも

云々という詩を「雨ニモマケズ手帳」に記している[15:p.158-159]。
についてだ。

吉田 それではまず[15:p.158-159]について、例のリストの中の該当項目を確認したい。
鈴木 ない。
荒木 またもやないのかよ。
鈴木 いや、それらしきものがないわけではないが、それらは断定しているとまでは言い切れないので割愛した。しかも、今回の件に関して澤村氏は、
 露の言動が賢治の耳に入ってくる。恋に破れた女の中傷らしきものもあっただろう。しかし、彼女に対する誤解から発したものもどうやら多かったようだ。
             〈《『宮澤賢治幻の恋人』(澤村修治著、河出書房新社)159p〉
というように、露の側に立った発言もしていたので、なおさらそうは言い切れないと判断した。
 それから、それ以前の大問題もあるからだ。
荒木 なになに、それ以前の大問題だって。
鈴木 そう、この詩〔聖女のさまして近づけるもの〕のモデルは巷間露と言われているが、それはほぼ嘘であって、逆に露以上に限りなくそのモデルであるといえる別の女性の名を私は明らかにすることができた。
荒木 な~んだ、ここにもまた賢治のとんでもない「あやかし」があったのかよ。
鈴木 具体的には、拙著『本統の賢治と本当の露』の〝㈦「聖女のさまして近づけるもの」は露に非ず〟において、
    〈仮説〉「聖女のさましてちかづけるもの」は少なくとも露に非ず。
が検証できた。
 長くなるが、同書から当該部分を一部抜き出してみると、
  では、一方のちゑは賢治との結婚について当時どのように考えていたのだろうか。まずは、前掲(95p)の10月29日付藤原嘉藤治宛ちゑ書簡により、昭和3年6月の大島訪問以前の秋に花巻で賢治とちゑの「見合い」があったと判断できるわけだが、実はこのことについて後にちゑは、『私ヘ××コ詩人と見合いしたのよ』というような直截な表現を用いて深沢紅子に話していたという。このちゑのきつい一言をたまたま知ることができた私は当初、ちゑは「新しい女」だったと仄聞していただけに流石大胆な女性だなと面喰らったものだが、それは、前述したような当時のちゑのストイックで献身的な生き方をそれまでの私が少しも知らなかったことによる誤解だった。
 次に、前掲の引用文に従えば、当時の賢治はかつてのような賢治ではなくなってしまったことを彼自身が森荘已池に対して言っていたということになるし、佐藤竜一氏も主張しているように、この時の上京は「逃避行」であった(『宮沢賢治の東京』(佐藤竜一著、日本地域社会研究所)166p)と見ることもできるから、もはやかつてのような輝きは当時の賢治からは失われていたということが十分に考えられる。
 となると、そのような状態にあった賢治と大島で再会したちゑは賢治の「今」を見抜いてしまい、自分の価値観とは相容れない人であると受け止めたという蓋然性が低くない。それは、先の「きつい一言」から端的に、あるいは、スラム街の貧しい子女のために献身していたという当時のちゑの生き方を知った今となれば、充分あり得たことだと考えられるからだ。
 またそれ故に、昭和16年1月29日付森宛露の書簡中に、「あの頃私の家ではあの方を私の結婚の対象として問題視してをりました」とちゑは書き記したと解釈できるし、その後、いくら森が賢治とちゑを結びつけようとしても頑なにそれを拒絶したのはちゑの矜恃だったのだ、と解釈できる。つまるところ、当時のちゑは賢治との結婚を拒絶していたと言える。

 さてこれで、〔聖女のさましてちかづけるもの〕のモデルとしては、露のみならず「聖女のさまし」た女性として別にちゑがいることがわかった。そしてその一方で、賢治周縁の女性でしかもクリスチャンかそれに近い女性は他にいないから、結局のところ、
 〔聖女のさましてちかづけるもの〕のモデルとして考えられる人物は高瀬露か伊藤ちゑの二人であり、この二人しかいない。
ということを肯んじてもらえるはずだ。では、一体この二人の中でどちらが当て嵌まるのかを次に考えてみたいのだが、結論を先に言ってしまえば、
 「聖女のさましてちかづけるもの」のモデルは限りなくちゑである。
となる。なぜならばそれは以下のような理由からだ。
 これまでのことを簡単に振り返って見れば、
・賢治は昭和6年の7月頃伊藤ちゑとならば結婚してもいいと思っていたが、そのちゑは賢治と結婚することを拒絶していたという蓋然性がかなり高い。
・それに対して高瀬露の方だが、賢治は昭和2年の途中から露を拒絶し始めていたということだし、しかも昭和3年8月に「下根子桜」から撤退して実家にて病臥するようになったので露との関係は自然消滅したと一般に云われている。
から、
  ・ちゑ:賢治が「結婚するかも知れません」と言っていたというちゑに対して、その約2ヶ月半後に、
  ・露:「レプラ」と詐病したりして賢治の方から拒絶したと云われている露に対して、その約4年後に、
どちらの女性に対して、例の「このようななまなましいの文字」を連ねた〔聖女のさましてちかづけるもの〕という詩を当て擦って詠むのかというと、それは
   ちゑ ≫ 露  (「A≫B」とは「AはBより非常に大きい」という意味)
となる、つまり、ほぼ間違いなくちゑに対してであるとなることは自明だろう。とりわけ、ちゑは賢治との結婚を拒絶していたと判断できるからなおさらにだ。いやそうではないと言う人もあるかもしれないが、もしそうだとすれば〔聖女のさましてちかづけるもの〕は露に対して当て擦った詩となるから、賢治は異常に執念深くて腑甲斐無い男だということになるし、賢治が大変世話になった露に対していわば「恩を仇で返す」ということになるから、流石にそれはなかろう。
 したがって、この昭和6年10月に詠んだ〔聖女のさましてちかづけるもの〕は、同年7月頃、ちゑとならば結婚してもいいと思っていた賢治がちゑからそれを拒絶されて、自分の思い込みに過ぎなかったということを思い知らされた末の憤怒の詩だったと判断するのが極めて自然であろう。つまり、「聖女のさまして近づけるもの」とは露のことではなくてちゑのことである、という蓋然性が極めて高いということであり、それ故に、〔聖女のさまして近づけるもの〕のモデルは限りなくちゑである、と言える。
 よっておのずから、次の
  〈仮説7〉「聖女のさましてちかづけるもの」は少なくとも露に非ず。
が定立できることに気付くし、反例の存在も限りなくゼロだ。しかし、それでもやはりそれはちゑではなくて露だと主張したい方がいるのであれば、それを主張する前にちゑがそのモデルでないということをまず実証せねばならない(さもないと、いわば排中律に反するようなことになるからだ)。だが、その実証は今のところ為されていないので、この〈仮説7〉の反例は実質的に存在していないと言えるから、現時点では限定付きの「真実」となる。言い換えれば、高瀬露をモデルにしているとは言い切れない一篇の詩〔聖女のさまして近づけるもの〕を元にして、露を〈悪女〉にすることができないのは当然のことだ。
            〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)103p~〉
というような論陣を張った。
 そして、この〈仮説7〉に対する反例は相変わらず何一つ突きつけられていない。
吉田 ということは実質的に、少なくともこの詩のモデルは露ではないということなのだから、今回はこんなものは考察の対象たり得ないということだ。
 それにしても悲しいことだ。賢治研究家の誰一人として、今までこのような仮説を検証できてなかったこと、いや、検証すらしようとしてこなかったということが。……唯々諾々と従ってきだけか。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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