みちのくの山野草

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安易で杜撰そして無責任?

2019-01-23 16:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《早池峰薄雪草》(平成23年7月11日撮影)

 さて前回
 附記「(不2・不4・不6)」はただただ読者を混乱させているだけであるか、あるいは編者が混乱しているかのどちらかだということになりそうだ。
という結論が得られた。そこで、今迄に明らかにできた事柄を次の三段階に分けて、それぞれ確認してみよう。

 まずは、【第一段階】
 すなわち、『旧校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房、昭和52年)出版段階でのことであるが、明らかにできたことは主に次の5項目である。
⑴ 『同第十四巻』はセンセーショナルに、新発見の書簡下書「252c」等が見つかったと活字にした。
⑵ そして同巻は、書簡下書「252c」は「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定表現はしているものの、その根拠等は何ら明示できていない。つまり、その裏付けも示していないし、検証した結果だということも言ってさえもいない。したがって「判然としている」といくら述べられていても、読者にとっては、「客観的に見て判然としていない」ことだけがせいぜい判然としているだけだ。
⑶ また、この「断定」を基にして、従前からその存在が知られていた「不5」を含む宛名不明の下書「不2」「不4」等の一連の書簡下書群約23通を〝昭和四年〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟として一括りにした。
⑷ なぜ年次が「昭和四年」なのかというと、同巻は、
 252cが四年十二月のものとみられるので、252a~252cはすべて四年末頃のものと推定し  〈同29p〉
たと述べている。しかしその説得力は乏しい。
⑸ そしてもちろん、あくまでも推定にすぎない252cを基にして、さらに推定を重ねて一連の書簡下書群も〝昭和四年〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟としたわけだから、推定に推定を重ねれば重ねる度に確かさはどんどん減るので、一連の書簡下書群約23通は確たるものは殆ど何もない。

 次に【第二段階】
 すなわち、高瀬露が亡くなった(昭和45年2月23日)後の段階でのことであるが、次のことが明らかになっている。
⑺ 「旧校本年譜」の担当者である堀尾青史が、
 そうなんです。年譜では出しにくい。今回は高瀬露さん宛ての手紙が出ました。ご当人が生きていられた間はご迷惑がかかるかもしれないということもありましたが、もう亡くなられたのでね
            〈『國文學 宮沢賢治2月号』(學燈社、昭和53年)177p〉
と境忠一との対談で語っている。
⑻ 天沢退二郞氏も、
 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。
          〈『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房、昭和55年)415p〉
と述べている。
 したがって、この二人の発言と記述によって、『旧校本第十四巻』が「新発見」とした書簡下書252c等は、実は露が亡くなった(昭和45年2月23日逝去)後に「新発見」と嘯いて同巻は公にしたものであって「新発見」でも何でもなかった、ということを私は明らかにできた。

 そして【第三段階】
 すなわち、『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡』(筑摩書房、平成7年)出版段階のことだが、
⑼ 『旧校本集第十四巻』では、
    252c 〔日付不明高瀬露あて〕下書
と記述していたものを、『新校本第十五巻 書簡』では、
    252c (不2・不4・不6)〔日付不明 小笠原露あて〕下書
と記述の仕方を変えた。
 したがって、この附記の仕方が、いわば『第十五巻』が書簡下書「252c」等は「新発見」などではなかったということをはしなくも裏付けている、ということを私は明らかにできた。しかも、同巻は、
⑽ 252c (不2・不4・不6)〔日付不明 小笠原露あて〕下書 と記述してはあるものの、252c と(不2・不4・不6)は基本的には別個のものだということが読み比べてみれば容易にわかるので、新たな問題を引き起こしている。
ということも明らかにできた。

 つまところ、
 第一段階では判然としていないものを判然としていると強弁し、
 第二段階では「新発見」が嘘だったということを一部の関係者が吐露し、
 第三段階ではそれが嘘だったということを、『新校本第十五巻 書簡』がはしなくも裏付けてしまった。
 その上に、252c (不2・不4・不6)という記述の仕方は奇妙であり、新たな火種を抱えてしまった。
といえよう。おのずから、これでは『校本全集』の記述内容がが果たしてどこまで正しいのかと、私は疑心暗鬼になってしまう。
 だから、人によっては、嘘を誤魔化すために糊塗しようとしたが、それが中途半端だから新たな火種を抱えてしまった、と言い募る人も出てくるのではなかろかということを、私は危惧している。しかし私は、
    この一連の行為は、あまりにも安易で杜撰そして無責任である、と責められても仕方がないのではなかろうか、
と突き放すしかない。多少私もそう思わないでもないからだ。
 それにしてもだ、
    この一連の行為によって、濡れ衣の〈悪女 高瀬露〉が一瀉千里に全国に流布した。
ということを否定できないのだから、その周辺近くにいる多くの賢治研究家(上田哲等のごく少数の研究家を除いて)がなぜ揃いも揃って冤罪とも言える、人権に関わる重大事を等閑視しているのかが、私には残念ながら全く理解できない。

 では次回からは、この件に関するある座談を載せたい。
 
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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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