みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

『山荘の高村光太郎』先生の四季

2024-01-23 14:00:00 | 独居自炊の光太郎
〈『山荘の高村光太郎』》(佐藤勝治著、現代社)

 では今度は、
   先生の四季(68p~)
という項からである。そこにはこんなことなどが述べられていた。

 先生の一日は、コトリの声に目を覚ますことから始まります。水はバケツをなわでつるして井戸から汲みます。まず炉でお湯をわかして、一人でお茶を立ててのまれます。この時が一日の中で一番たのしいと言われました。

 春はバッケ(蕗の苔)摘みからはじまり、ヒロッコ、タランボ、フキ、ゼンマイ、ワラビ、ミズ、シドケ--先生の周囲には、山の贈り物は絶えません。そのうちには、御自分の畑にも、エン豆、インゲン、ジャガイモ、ウイキョウ、セルリ、パセリなど、まちがいなく育ってまいります。

 茄子、胡瓜、トマト、南瓜、西瓜、辛子、ねぎ、ニラ、なんでも一通りは作っておられました。

 よって、光太郎の日記を見てみるとこれらの山菜や野菜について事細かく書かれているので、この通りであったであろう。
 また、

 先生は、風呂には長い間入られませんでした。…投稿者略…それでもいつもさっぱりしていられたのは、しじゅうきれいにからだを拭かれ、洗濯はたびたびなさっていたからです。

 先生は、夏はすっかり弱るのでした。動物園の白熊よりも夏には弱いと言っていられましたが、夏はやっと二食、息をしてるのがやっとというくらい、暑いのは苦手でありました。…投稿者略…
 でも涼しい秋がやって来ると、眼に見えて先生の血色はよくなり、声にも力がこもるのでした。冬は御自分でも自慢されるほど、一層元気になられましたが、何しろ雪が深く吹雪の日が多いので、こんどは又穴の中の熊のようにあの小屋の中に冬ごもりをされるのでありました。

ということだが、たしかに冬に強かったであろうことは了解していたが、これほどまでに夏に弱かったということは全く知らずにいた。

 そこで逆に、山口ので光太郎はやはり独居自炊であり、それは相当の覚悟の基に行ったものであり、自己流謫と裏表のものであったと私は改めて認識し直した。

 続きへ
前へ 
「光太郎太田村山口で独居自炊」の目次へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。"
 
***********************************************************************************************************
☆『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))

 アマゾン等でもネット販売されております
 あるいは、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 8 「賢治抄録」より | トップ |  9 「宮澤先生を追つて(四)」より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

独居自炊の光太郎」カテゴリの最新記事