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《『批評空間 Ⅱ 14』(太田出版)の表紙》
そして、関井氏は、
それは農本主義者も、ファシストも同じですね。めざしていたのは、日本の改造です。大正期に起こった日本の改造運動というのは、それを「文化」という言葉で表現したりしている。文化住宅だとか、文化釜だとか、それは産業化、近代化に結びついている。でも、精神の構造は温存されるわけです。
〈『批評空間 Ⅱ 14』(太田出版)27p〉とも言っていた。そこで私の固定観念はガラガラと崩れ落ちそうになる。彼らが「日本の改造」を目指していたなどということは毛ほども考えたことがなかったからだ。
さらに関井氏は、
田中智学の近代宗教改革が神武天皇に結びついてしまうのは、そういう構造があるからでしょう。宮澤賢治は父親に質屋の職業をやめて産業家になることを奨め、実際に東北砕石工場をやっている。…投稿者略…それは智学の教学にしたがっているからです。賢治は新しいことをやっているわけじゃなく、田中智学の産業資本家ぶりをここで踏襲している。…投稿者略…その意味で宮澤賢治は産業資本家として特別なことをしているわけじゃない。
〈同27p~〉とも述べていた。
かつての私は、賢治はいつもオリジナリティーを発揮していたと思い込んでいたが、ここ十数年間ほど賢治の実践等を検証し続けてきた結果そうとばかりも言えないということを思い知らされてきた(例えば、陸羽132号の推奨)。ところが真相は、時代の流れの中で、他の人がやっているようなことを賢治もやったということに過ぎないと。だから、「賢治は新しいことをやっているわけじゃな」いし、「産業資本家として特別なことをしているわけじゃない」という関井氏の評価に私は納得する。
さらに、関井氏はこう続ける。
智学は「本郷郷団」という「法華経村」のプランを立てたりしてる。これは宗教的なことを除けば武者小路実篤の「新しき村」に似ています。
〈同28p〉そいえば、智学はそんなプランを立てたっけということぐらいは私も知っていたが、そうか宗教的なことを除けば、二つはほぼ同じような組織だったのか。すると、これに対して村井氏はこう決めつけていた。
ぼくが「東北の白樺派」ということを言い出したのは、結局白樺派をさらにマイナーにしているからです。白樺派は「新しき村」を作ったり農場を開放したり、実際に行動しているわけですが、賢治は羅須地人協会というサークルをつくっただけでしょう。自分の生徒や金持ちの農民を集めて遊んでいた人ですね。
〈同〉たしかに今となっては、かつての私とは違って、「自分の生徒や金持ちの農民を集めて遊んでいた人ですね」と決めつけられても、私にはあまり反論ができない。それは、巷間いわれている「賢治像」と比べれば、村井氏のこの評の方が遥かに本当の賢治に近いということを私は知ってしまったからである(詳しくは拙著、『本統の賢治と本当の露』をご覧頂きたい)。
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森 義真氏の高瀬露についての講演会(ご案内)
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