みちのくの山野草

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「判然としているが」と言われても

2019-06-11 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈「白花露草」(平成28年8月24日撮影、下根子桜)

「判然としているが」と言われても
荒木 それにしてもな、何と昭和50年代になって突如、というかタイミングを見計らったように、露が亡くなった後に4通もの「書簡下書」が新たに発見されたと筑摩は嘯いたわけだ。
吉田 そしてしかも筑摩は、「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」(『校本全集第十四巻』(筑摩書房)34pより)と、「内容的に」の〝内容〟が具体的にどのようなものかも、あるいはまた「高瀬あてであることが判然」の根拠も示さぬままにあっさりと断定し…
荒木 待て待て、ここでいう「本文」とは何を指すのだ?
鈴木 それは同巻によれば、「新発見」の〔252b〕及び〔252c〕のことを指すのだそうだ。
 そしてこの「断定」を基にして、従前からその存在が知られていた宛名不明の下書「不5」については、
 新発見の書簡252c(その下書群をも含む)とかなり関連があると見られるので高瀬あてと推定し
            <『校本全集第十四巻』(筑摩書房)28pより>
て、「不5」に番号〔252a〕を付けた、と説明はしている。
荒木 な~んだ、〔252b〕及び〔252c〕は露宛のものだと断定できるだけの十分な根拠がない上に、そのようなものを基にして〔252a〕も「高瀬あてと推定し」たということに過ぎないのか。
鈴木 推定を基にさらに推定するのだから、その信頼度がもっと薄まるというのにさ。
荒木 そしてそんなものを、露が亡くなったのでここぞとばかりに公表したというわけだ。いいんだべがね、「校本」と銘打っている割には甘いんじゃねぇ。
吉田 僕も以前、同巻が「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」としている理由をあれこれ推考してみたがなかなか合点がいかないでいる。
 ここはやはり、読者に対してもう少し具体的な理由を提示し、読者が納得のいくような説明をしてほしいものだ。そうしないと、このような断定の仕方は、実は露からの賢治宛来簡があってそれを基に判断したのだが、賢治宛書簡は一切ないと公言している手前、明らかにできないのであろう、などと勘ぐられかねない。
鈴木 まして従前の「不5」、つまり〔252a〕、
お手紙拝見いたしました。
法華をご信仰なさうですがいまの時勢ではまことにできがたいことだと存じます。どうかおしまひまで通して進まれるやうに祈りあげます。…(投稿者略)…けれども左の肺にはさっぱり息が入りませんしいつまでもうちの世話にばかりなっても居られませんからまことに困って居ります。
私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。さういふ愛を持つものは結局じぶんの子どもだけが大切といふあたり前のことになりますから。
  尚全恢の上。
            《用箋》「丸善特製 二」原稿用紙
           <『校本全集第十三巻』(筑摩書房)454p~より>
については当時はどのように見られていたのかというと、『校本全集第十三巻』では次のような「注釈」、
 あて先は、法華信仰をしている人、花巻近辺で羅須地人協会を知っていた人、さらに調子から教え子あるいは農民の誰か、というあたりまでしかわからない。高橋慶吾などが考えられるが、断定できない。
             <『校本全集第十三巻』(筑摩書房)707pより>
を付けていて、「あて先」は実質的には男性の誰かであろうと推測している。その「注釈」からは、それが女性であること、まして露その人であることの可能性もあるなどということは読み取れない。
荒木 それは、クリスチャン高瀬露がまさか「法華信仰をしている人」に変わっていたなどとは、普通は誰だって考えもしないであろうことからも当然だべ。
鈴木 しかもだ、次のことを筑摩の担当者は知らないわけがなかろうと私は思うだが、森荘已池が『宮澤賢治全集 別巻』の中で、
   書簡の反古に就て
 書簡の反古のうち、冒頭の數通は一人の女性に宛てたものであり…(投稿者略)…反古に非ざる書簡は、二人の女性とも手元に無いと言明してをりますが、眞僞のほどは、いまは解りかねます。…(投稿者略)…
 ――これら反古の手紙の宛名の人は、全部解るのでありますが、そのままにして置きました。
            <『宮澤賢治全集 別巻』(十字屋書店、昭和27年7月30日第三版)附録72p~より>
と述べている。そして、森が言っている「冒頭の數通」の中の一通としてこの「不5」をそこで挙げている。したがって、同じ「不5」に対してであるのというのに、先ほどの「注釈」と森の認識とでは異なっている。「注釈」では男性なのに、森の認識は女性だからだ。
吉田 なおかつ、森は「宛名の人は、全部解るのでありますが」と述べているので、この言を信じれば森は早い時点からこの「不5」すなわち〔252a〕の宛名を、その女性の名を知っていたということになる。
鈴木 しかし一方で、森はここで「二人の女性とも手元に無いと言明してをりますが」と述べ、しかもこの「二人の女性」とは伊藤ちゑと露であるということもそこで実質明らかにしている。これも奇妙なことだと思わんか、荒木。
荒木 あっそうか。前に話題になった、森が上田に直接証言したという「〈一九二八年の秋の日〉〈下根子を訪ねた〉その時、彼女と一度あったのが初めの最後であったと矛盾している。先ほどの森の記述「二人の女性とも手元に無いと言明してをりますが」を信じれば、森は露とこの時も会ったことになるから、計二回会っているということになるからな。
吉田 でもその「言明」は、森と露との間の書簡のやりとりによる可能性も否定できないぞ。とはいえ、以前に触れたことだが、『ふれあいの人々』の中にも似たようなことがあっただろう。
荒木 あっ、そうそう。そこで森は「何人もの子持ちになってから会って云々」と述べていたっけ。だめだこりゃ。森が露に関して述べていることはもはやあまり当てにならんということだ。
吉田 要するに、一般読者が知り得る証言等を基にする限りでは、件の「判然としているが」に関して判然としていることは、「判然としていないこと」が判然としているということだけだ。
鈴木 おっ、吉田も結構辛辣なことを言う。でもそう、「判然としているが」と言われてもな、首を傾げるだけだ。

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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