みちのくの山野草

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「新発見」の「露宛書簡下書」とは

2019-06-10 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈「白花露草」(平成28年8月24日撮影、下根子桜)

「新発見」の「露宛書簡下書」とは
吉田 実際、筑摩がこれらの「書簡下書」は露宛のものであると推定して活字にしてしまった結果、その影響は極めて甚大で、このことがあたかも事実であるかの如くに全国へ流布してまってこの有様だ。それまでは「彼女」「女の人」などという表現では、あるいは仮名(かめい)「内村康江」では一部にはある程度知られていたが、いきなり実名で全国的に公表された。しかも果たしてその人宛なのかどうかも検証等されぬままにだ。
荒木 いくら、配慮をしたので亡くなった後に公にしたと弁明したところで、もしこのことを露が生きているうちに行った場合に、露が『それは事実でない』と異議を申し立てるということがなかったと誰が保証できるんだべがね。
鈴木 そして、露その人の人格や尊厳を一体何と思っているんだろうか。もし仮に、露が亡くなるのを手ぐすね引いて待っていて、「死人に口なし」を悪用したと誰かに糾された場合に筑摩は果たして何と答えるのだろうか。亡くなった後ならば露に迷惑がかからないなどとよく言えたものだよ、まったく!
吉田 まあ、そう怒るな。検証もせず裏付けもとらなかったと僕らが言い募っていても、それらは賢治が露に宛てて書こうとした正真正銘の書簡下書であり、しかもほとんどその下書と同じような内容の書簡が露宛てに投函されていたとなればとやかく言ってばかりもいられない。
 もしかすると、全く公にされていない賢治宛来簡が実は存在していて<*1>、その中に露からの来簡もあるので「露宛書簡下書」であるということが判断ができていたから、露が帰天したのを見定めて「新発見」とかたって公にしたのかもしれんしな。
 つては、そのような可能性もないとは言い切れないから、ここは他人のことをとやかく言うのはちょっと措いといて、その「新発見」の「露宛書簡下書」とは如何なるものかを実際僕らの目で見て考えてみることがまず先だろう。 
鈴木 それもそうだな。それじゃ、『同第十四巻』を見てみよう。まずは、どのような「書簡下書」が新たに発見されたかについてだが、それについては次のように述べられている。
(1) 昭和四年のものとして〝〔252b〕〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟が新たに発見された。その内容は以下のとおり。
お手紙拝見いたしました。
南部様と仰るのはどの南部様が招介(ママ)下すった先がどなたか判りませんがご事情を伺ったところで何とも私には決し兼ねます。全部をご両親にお話なすって進退をお決めになるのが一番と存じますがいかがゞでせうか。
 私のことを誰かゞ云ふと仰いますが私はいろいろの事情から殊に一方に凝り過ぎたためこの十年恋愛らしい

             《用箋》「丸善特製 二」原稿用紙
            <『校本全集第十四巻』(筑摩書房)30pより>
(2) 昭和四年のものとして〝〔252c〕〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟も新たに発見された。その内容は以下のとおり。
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。…(投稿者略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
            《用箋》「さとう文具部製」原稿用紙
            <『校本全集第十四巻』(筑摩書房)31p~より>
 つまりこの2通の書簡下書が「新発見」だったと筑摩はしている。
吉田 それから、今の2通は同巻では「本文」として載せているもので、その他にも「新発見」と銘打っているものとしては次の二つ
(3) 「新発見の下書(一)」
なすってゐるものだと存じてゐた次第です。…(投稿者略)…誰だって音楽のすきなものは音楽のできる人とつき合ひたく文芸のすきなものは詩のわかる人と話たいのは当然ですがそれがまはりの関係で面倒になってくればまたやめなければなりません。
             《用箋》「丸善特製 二」原稿用紙
(4) 「新発見の下書(二)」
  お手紙拝見しました。今日は全く本音を吹きますから
             《用箋》「丸善特製 二」原稿用紙
             <共に『校本全集第十三巻』(筑摩書房)33pより>
もあると記述している。
鈴木 実はこれらに関しては、私は〔252c〕と「新発見の下書(一)」は連続ものであり、次のように一つにまとまると判断している。いわば、
〔改訂 252c〕として
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。…(投稿者略)…もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
      ←(すんなり繋がる)→ 
なすってゐるものだと存じてゐた次第です。どんな人だってもにやにや考へてゐる人間から力も智慧も得られるものでないですから。
その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。
のように一つにまとまる。
荒木 な~るほど。前者の最後が「……買ひ被っておいでに」で、後者の始まりが「なすってゐるものだと存じてゐた次第です」だから、確かに〝(すんなり繋がる)〟な。
吉田 しかも、前者では「私を遠くからひどく買ひ被っておいでに」とあり、後者では「その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます」とあるから、文章的にも「対」になっている。よく気付いたな。
鈴木 まあな。でもさ、こんなのは少し読み比べてみれば直ぐ気がつくことだろうから、逆になんか釈然としないんだよな。
荒木 そういやあそうだよな。一緒に見つかったものであれば当然その可能性を探るはずだからな。
 それにしてもそもそも、普通、賢治って「主義などといふから悪いですな」などというような言葉遣いをするか?
鈴木 確かにな。

<*1:投稿者註> 平成27年10月11日、私は盛岡のとある会合で宮澤賢治の血縁のA氏と同席できた。そこでずばりお願いをした。
 賢治の出した手紙はお父さん(政次郎)宛を含め、下書まで公になっているのに、賢治に来た書簡は一切公になっていない。賢治研究の発展のために、しかも来年は賢治生誕120年でもあり、そろそろ公にしていただきい。
と。するとA氏からは、
 来簡は焼けてしまったが、全くないわけではない。例えば、最後の手紙となった柳原昌悦宛書簡に対応する柳原からの書簡はございます。
という意味の、極めて核心を突く重大な意味合いを持つ回答だった。私はこの回答からは、やはり、
    賢治宛来簡はないわけではなかった。今でもある。
ということを100%確信した。

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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