《1 》(2021年1月9日撮影)
《2 》(2021年1月9日撮影)
《3 》(2021年1月9日撮影)
ところで、今から94年前の今日(昭和2年1月10日)賢治は何をしていたか。『新校本年譜』によれば、
〔講義案内〕による羅須地人協会が行われたと見られる。午前一〇時より午後三時まで。
ということだから、羅須地人協会の集会・講義を行っていたという蓋然性が極めて高い。
一方、この時期の『岩手日報』を見てみると、たとえばその前日の昭和2年1月9日には、
【4 昭和2年1月9日付 岩手日報】
という記事があって、「未だかつてなかつた紫波地方旱害惨状」を詳細に報道していた。のみならず、この時の大旱害の救援については、前年の早い時期から連日のように大干魃の赤石村等に陸続と義捐が届いているという新聞報道等がなされていた。
となれば、昭和2年1月10日の羅須地人協会の集会の際には、あの「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」の賢治なわけだから、普通であれば、前日のこの新聞報道を話題にしたはずだし、協会員の間から俺たちも何か出来ることをせねばという話が出たはずだ。東京の小学生でさえも義捐を送ってきているのだから、我々も義捐活動をしようではないかなどという話が出て、早速そのための活動をしたはずだ。
しかし、協会員の伊藤克己は「先生と私達―羅須地人協会時代―」において、この頃の集会については、
その頃の冬は樂しい集まりの日が多かつた。
<『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋版)395p>
と、同じく会員の高橋光一は「肥料設計と羅須地人協會」で、
と羅須地人協会時代の賢治について語っていた(たしかに、この頃の羅須地人協会の集まりはたしかに楽しかったにちがいない)ものの、そのような救援活動を、賢治あるいは協会がしたということを裏付ける資料も証言も何一つ見つからない。まことに不思議だ。
のみならず、この時の「未だかつてなかつた紫波地方旱害」と賢治に関連して、賢治研究家の誰一人として言及していないことはそれ以上にもっと不思議なことだ。
なお、このことに興味・関心がおありの方は、『本統の賢治と本当の露』の中の「㈢ 「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」賢治 」を是非御覧ください。
続きへ。
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《新刊案内》
『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))
は、岩手県内の書店で店頭販売されておりますし、アマゾンでも取り扱われております。
あるいは、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
☎ 0198-24-9813
なお、目次は次の通りです。
また、2020年12月6日)付『岩手日報』にて、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』の「新刊寸評」。
《2 》(2021年1月9日撮影)
《3 》(2021年1月9日撮影)
ところで、今から94年前の今日(昭和2年1月10日)賢治は何をしていたか。『新校本年譜』によれば、
〔講義案内〕による羅須地人協会が行われたと見られる。午前一〇時より午後三時まで。
ということだから、羅須地人協会の集会・講義を行っていたという蓋然性が極めて高い。
一方、この時期の『岩手日報』を見てみると、たとえばその前日の昭和2年1月9日には、
【4 昭和2年1月9日付 岩手日報】
という記事があって、「未だかつてなかつた紫波地方旱害惨状」を詳細に報道していた。のみならず、この時の大旱害の救援については、前年の早い時期から連日のように大干魃の赤石村等に陸続と義捐が届いているという新聞報道等がなされていた。
となれば、昭和2年1月10日の羅須地人協会の集会の際には、あの「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」の賢治なわけだから、普通であれば、前日のこの新聞報道を話題にしたはずだし、協会員の間から俺たちも何か出来ることをせねばという話が出たはずだ。東京の小学生でさえも義捐を送ってきているのだから、我々も義捐活動をしようではないかなどという話が出て、早速そのための活動をしたはずだ。
しかし、協会員の伊藤克己は「先生と私達―羅須地人協会時代―」において、この頃の集会については、
その頃の冬は樂しい集まりの日が多かつた。
<『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋版)395p>
と、同じく会員の高橋光一は「肥料設計と羅須地人協會」で、
藝事の好きな人でした。興にのってくると、先にたって、「それ、神楽やれ。」の「それ、しばいやるべし。」だのと賑やかなものでした。
御自身も「ししおどり」が大好きだったしまたお上手でした。
ダンスコ ダンスコ ダン
ダンダンスコ ダン
ダンスコダンスコ ダン
と、はやして、うたって、踊ったものです。
<『宮澤賢治研究』(筑摩書房、昭和44年)283p> 御自身も「ししおどり」が大好きだったしまたお上手でした。
ダンスコ ダンスコ ダン
ダンダンスコ ダン
ダンスコダンスコ ダン
と、はやして、うたって、踊ったものです。
と羅須地人協会時代の賢治について語っていた(たしかに、この頃の羅須地人協会の集まりはたしかに楽しかったにちがいない)ものの、そのような救援活動を、賢治あるいは協会がしたということを裏付ける資料も証言も何一つ見つからない。まことに不思議だ。
のみならず、この時の「未だかつてなかつた紫波地方旱害」と賢治に関連して、賢治研究家の誰一人として言及していないことはそれ以上にもっと不思議なことだ。
なお、このことに興味・関心がおありの方は、『本統の賢治と本当の露』の中の「㈢ 「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」賢治 」を是非御覧ください。
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『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))
は、岩手県内の書店で店頭販売されておりますし、アマゾンでも取り扱われております。
あるいは、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
☎ 0198-24-9813
なお、目次は次の通りです。
また、2020年12月6日)付『岩手日報』にて、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』の「新刊寸評」。
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