みちのくの山野草

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研究家千葉恭

2019-03-18 10:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男
《千葉恭》(昭和10年(28歳)頃、千葉滿夫氏提供)

 では今回は、「宮澤先生を追つて(五)羅須地人協会と肥料設計」(千葉恭著、『四次元14号』(昭和25年12月、宮澤賢治友の会)所収) からである。
 さて千葉恭は、「宮澤先生を追つて(五)羅須地人協会と肥料設計」の最初の方で、次のようなことを述べていた。
 先生の肥料設計を語る前に、先生が調査した岩手縣稗貫郡地帯の地質及土性について書かねばならないと思ひます。稗貫の地勢は北上平地を中央として、其以東は東部丘陵及東部山地に区分し、其西部に於ては西部丘陵地帯及西部山地を区別し東部山地は北上山脈の一部に属し、西部山地は陸羽の境界を南北に走る中央分水嶺の余波に属してゐます。東部の北境に早池峰(一九一三米)を東端とし次第に低降しつゝ西走し、権現山(八二八米)に達する山脈連互し、東境及東南境には薬師岳(一六四五米)を最高点として、海抜千米以上に達する数多の高峰を有する山脈が南西に走つてゐます。…(略)…

〈『四次元14号』(昭和25年12月、宮澤賢治友の会)22p~〉
 そこでこれは、賢治のあれ、「岩手県稗貫郡地質及土性調査報告書」に似ているような気がする。ちなみにそれは次のように始まっている。

 第一章 地形及地質
  第一節 地形の大要
本部ノ地勢ハ北上平地ヲ中央トシ其以東ハ東部丘陵及東部山地ニ区分シ其西部ニ於テハ西部丘陵及西部山地ニ区別ス、東部山地ハ北上山地ノ一部ニ属シ西部山地ハ陸羽ノ境界ヲ南北ニ走レル中央分水嶺ノ余波ニ属ス。
(一)東部山地
本郡東部ノ北境ハ早池峰(一九一三米)ヲ東端トシ次第ニ低降シツゝ西走シ権現山(八二八米)ニ達スル山脈連互シ、東境乃至東南境ニハ薬師岳(一六四五米)ヲ最高点トシ海抜千米以上ニ達スル数多ノ高峰ヲ有スル山脈南西ニ走ル…投稿者略…

<『新校本 宮澤賢治全集〈第14巻〉雑纂 本文篇』(筑摩書房)〉46p~>
 よって、千葉恭はこの報告書をカタカナ書きからひらが書きに直し、併せて多少平易に書き直していると言える。

 一方でこの件に関しては、『四次元123号』(昭和36年2月、宮澤賢治研究会)に掲載されている、〝菊池忠二氏の「賢治の地質調査(1)岩手県稗貫郡地質及土性調査報告書」〟には、

 編集者の言葉――本文は賢治が稗貫稗貫郡の委嘱を受け、関豊太郎博士を首班に助教授神野幾馬、小泉多三郎と共に実地踏査した際の報告書である。この調査図は五六年前元の郡役所の倉庫から発見されたものを、当時の稗貫地方事務所長に乞うて保存してゐる。今回計らずも菊池氏が岩手大学でそれを発見され、賢治の分担した部分を抜粋して送っていたゞいたものである。これに図表を参照されたなら完璧なものであることを信ずる。菊池氏の御厚意に深く感謝の意を現するものである。
             〈『四次元123号』(昭和36年2月、宮澤賢治研究会)13p〉
という前書きがある。ということは、この「岩手県稗貫郡地質及土性調査報告書」が公になったのは昭和36年と判断しても良さそうだ。そこで私はあることに気付く。それは端的に言えば、
    千葉恭ただ者じゃない。熱心な研究家だ。
ということにである。なぜならば、この「報告書」が公になった昭和36年2月頃になるわけだが、千葉恭はそれよりも早く、遅くとも昭和25年12月頃には既に、この「報告書」のことを知っていたし、しかもよく読み込んでいたと言えることになるからだ。
 のみならず、千葉恭はこの「宮澤先生を追つて(五)羅須地人協会と肥料設計」を次のよう書き始めている。
 宮沢先生の肥料設計については、皆さんからの熱烈な要望もあり、又この機会に充分語ることが先生に対する私のはなむけでもあると思ふのです。
〈『四次元14号』(昭和25年12月、宮澤賢治友の会)22p~〉
 そこで私は、この千葉恭の追想を期待しながら読み進めた。それはもちろん、この後に賢治の石灰施用の仕方や、東北砕石工場技師時代の賢治に関する言及があると思ったからだ。だが残念ながら今回の中身は「地質及土性調査」についてであり、この回につい期待していた事柄についての言及は見つからなかった。
 それではしょうがない、次回の「宮澤先生を追つて(六)羅須地人協会と肥料設計」(千葉恭著、『四次元16号』(昭和26年2月、宮澤賢治友の会)所収)では後半の「肥料設計」にはそれがあるであろうから、それに期待しよう。

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