みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

3477 望月桂のスタンス

2013-09-02 09:00:00 | 羅須地人協会の終焉
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
望月とテロリズム
 『大正自由人物語』の「10章 大杉栄の復讐」には
 テロリズムの台頭
 関東大震災、そして大杉栄らの虐殺。それに続く一九二三(大正一二)年秋以降の労働運動と社会主義運動は、新たな状況の出現によって、大きく姿勢の変更迫られる。世にいう方向転換の時代の到来である。…(略)…
 ところで、大震災後の新しい情勢下の下に、アナキズム系労働組合が対応に苦慮している頃、労働運動とは別の流れにおいて、危険な黒い嵐が吹き荒れようとしていた。大杉たちの虐殺に対する抗議の表明としての復讐を軸としたテロリズムに賭けるグループの登場である。
 このテロリズムについては、望月が関係しない難波大助による皇太子狙撃…(略)…望月が関わらざるをえなくなるのは、主に和田久太郎が関係する諸事件とそのグループである。
 和田が決行するテロルは、大杉たちの非命非業の死に対する弔い、虐殺に対する復讐のためのものであった。村木源次郎との共同行為である。ただ、その過程で、日本およびイギリスの皇太子に対する襲撃、あるいは資金獲得を計画していたギロチン社グループ古田大次郎の協力もえるので、和田らはギロチン社グループのテロルとも間接的に関係することになる。その結果、望月も、もともと付き合いはもっていたギロチン社グループの救援にも関係することになる。
             <『大正自由人物語』(小松隆二著、岩波書店)246p~より>
というようなことが書いてある。ということは、立野信之著『黒い花』を読んだときには、望月桂が直接テロに関係することはほぼなかったであろうと私は思っていたのだが、どうやら全く無関係だったわけでもなさそうだ。
和田久太郎らのテロ
 同書は続けて、和田久太郎らが大正13年に行ったテロについて述べている。
 大杉たちのために復讐をはかるテロルのうち、もっとも著名なのは、主に和田久太郎と村木源治郎によって計画実行された陸軍大将福田雅太郎に対する狙撃事件である。…(略)…
 当日、和田が狙撃役、村木と古田が見張り、確認役の分担を決めて、福田の到着を待った。…(略)…福田に和田は近付き、至近距離で背後からピストルの引き金を引いた。発射音が大きかったので、和田は一瞬念願を果たしたかと思うが、福田は倒れないので、第二弾を撃とうとした。ところが、その一瞬出迎えの在郷軍人で、菊坂町会長の石浦謙二郎と副会長の山根に取り押さえられる。…(略)…隠れ家を突き止めた警視庁は九月一〇日早朝、刑事部から特別高等課などの選り抜きの警部、巡査三〇数名をそこに踏み込ませ、古田と村木を逮捕した。ここに大杉たちの復讐を果たそうとするテロリズムは目的を果たせずに終わってしまうのである。
             <『大正自由人物語』(小松隆二著、岩波書店)251~より>
と。
 さらに、大正14年9月10日東京地方裁判所はこのテロ等の一連の事件に対する判決を言い渡していて、
  古田大次郎死刑
  和田久太郎無期懲役
だったと記している。
テロリストに対する意外な修辞
 その古田は同年10月14日に死刑が執行され、享年25歳だったという。前掲書は、その古田に関して次のようなことも述べていた。
  心清らかなテロリスト
 一時的であれ、テロルを肯定した古田は、大方が描くテロリスト像とは余りにもかけ離れた、心の美しい青年であった。羨ましいほどの家族愛、純情なプラトニック・ラブ、守や川や草花など自然への憧れ。逮捕後、古田はそのような愛情や純情さを土台に、自らの足跡や恋、妹をはじめとする家族のこと、社会変革や理想社会への取り組みなどを隠さずとる刷る記録を獄中でしたためる。それは死刑後発行される『死の懺悔』ろ『死刑囚の思ひ出』の二著にまとめられるが、どちらも社会主義者やアナキストのみか、多くのインテリゲンチャ、一般読者も感動させ、ベストセラーとなったものである。
             <『大正自由人物語』(小松隆二著、岩波書店)258pより>
私はこの部分を読み直しながら、小説『黒い花』に登場した〝テロリスト田中勇之進〟は「ロマンティックな性格」と修辞されていたが、これと似た修辞が『大正自由人物語』の場合には古田大次郎に対して行われていたと感じた。
 そのせいだろうか、いまだもって「黒い花」の真の正体は私にはわからないままであるが、この〝心清らかなテロリストの田中勇之進〟とか〝ロマンティックな性格の古田大次郎〟とか、そして次に挙げる〝「あの世から一と花咲かせてみたい」と望月に頼み置いていた和田久太郎〟の3人がこの「黒い花」と強く関わっていそうな気がますますしてきた。
 あの世からの花
 望月には、心に大きな責任を感じ続けていた一つの約束事があった。和田久太郎との約束であった。…(略)…
 和田は存命中から、死を予想するように、望月に「後事頼み置く事ども」を書き送っていた。その中に、亡くなったら、自らの死灰を肥料として「あの世から一と花咲かせてみたい」ことを希望していた。そして、わざわざ好きな草花の名を季節ごとにたくさん列挙していた。…(略)…
 望月は明科の実家の庭に降りたった。自ら選んで育てた月見草を手に取ってみた。…(略)…それらの中から、よさそうな花をいくつかいつくしむように手折った。そして一つ一つ丁寧に押し花にした。その傍らに「あの世からの花」と添え書きをした。堺利彦、近藤憲二、古川三樹松、和田栄太郎、布施辰治、山崎今朝弥らに送るときは「……見事に咲いた久太郎!水位は飲ました世話で咲かせた凡太郎の手なみもお目にかけ度くと、一輪お送りしました。永遠に友と離れたがらない久太郎をどうそお愛しみ下さい」としたためた。
            <『大正自由人物語』(小松隆二著、岩波書店)330p~より>
テロリストではなかった望月
 それと同時に一方で私は、こうやって『大正自由人物語』を読み進めてみて、望月が直接的にテロに関わっていたということはなさそうだということが確信できて安堵した。たしかに、テロを行ったアナキストを望月はいろいろと支援・救援していたということは言えそうだが。たとえば、それこそ、無期懲役で秋田刑務所に収監されていた和田久太郎が昭和3年2月20日に縊死した際にその亡骸を引き取りに行ったのが望月であったというように。
 つまり、望月はアナキストではあったが、テロに直接に関わることはしなかったというのが彼のスタンスだったと考えてよさそうだ。


 ”『昭和3年賢治実家謹慎』の目次”に戻る。
 続きの
 ”J.M.ギュイヨウと「黒い花」”へ移る。
 前の
 ”『大正自由人物語』の概要”に戻る。

 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
   「目次
   「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)
   「おわり
クリックすれば見られます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3476 早池峰のオオバセンキュウ | トップ | 3478 早池峰のエゾノヨロイグサ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

羅須地人協会の終焉」カテゴリの最新記事