みちのくの山野草

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3425 アナーキスト賢治

2013-08-05 08:00:00 | 羅須地人協会の終焉
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
憚られること
 そこで問題となるのが、「第十章」と「第十一章」とにおいて一般には公言が〝憚られる〟ようなことで何が書かれているかということになる。そのような意識でそれぞれを見てみると、
◇第十章  若きテロリストの群れ においては
   テロリスト田中勇之進の甘粕大尉の実弟襲撃、古田大次郎等の銀行員の襲撃という直接行動
等が描かれており、この田中に対して著者の立野は同書180pにおいて、
 テロリスト田中勇之進には父も母もなかった。兄弟もなく、天涯孤独の身の上だった。もって生まれたロマンティックな性格が、その境涯の寂寞に堪えることができなくて選んだのが、テロリストの道だった。
と同情的な解説をしている。 
◇第十一章 空包(ママ) においては
   甘粕大尉の上官福田大将をピストルや爆弾を用いて襲撃するという同じく古田大次郎等の直接行動
等が描かれている。
 そこで浮かんでくることは、〝黒〟がアナーキズムのシンボルカラーであることは疑いようがないこともあり、行為に倫理上の問題はあるものの理論上だけで考えれば、
   黒い花=アナーキストが行うテロ……③ 
という等式が成り立ちそうなことである。そして、もしこのようなことであったとすれば、小説『黒い花』の中でこの「黒い花」という用語を著者の立野があからさまに説明することを憚ったということは充分に理解できる。
「交換授業」を終えた賢治
 そして一方で、私はあることについて「思い込み」をしていたのかもしれないということに今気付いた。
 昭和2年の夏から秋にかけて賢治と川村尚三は「交換授業」を行ったのだが、
 レーニンの『国家と革命』を教えてくれ、と言われ私なりに一時間ぐらい話をすれば『今度は俺がやる』と、交換に土壌学を賢治から教わったものだった。疲れればレコードを聞いたり、セロをかなでた。夏から秋にかけて一くぎりした夜おそく『どうもありがとう、ところで講義してもらったがこれはダメですね、日本に限ってこの思想による革命は起こらない』と断定的に言い、『仏教にかえる』と翌夜からうちわ太鼓で町を回った。
             <『岩手史学研究 NO.50』(岩手史学会)220p~より>
ということを川村尚三が証言している。そこからは、賢治は共産主義ではだめだと悟り、やはり法華経でなければならぬと思うようになった、と私は今まで解釈してきたが、それはもしかすると単なる「思い込み」だったのかもしれない。
 注意深く読み直せば、この証言の中の賢治の発言は
   『日本に限ってこの思想による革命は起こらない
なのであって、あくまでも「この思想による」という前提条件付きで賢治は断定的に言っただけだとも解釈できることに気付く。言い換えれば
   『レーニンの思想による革命は起こらない』
と断定的に言いったにすぎないともとれる。更に別の表現をすれば
   『ボルシェビキによる革命は起こらない』
と言っただけであり、なにも賢治は
   『社会主義思想による革命は起こらない』
とか
   『アナーキズムによる改革は起こらない』
と言っていたわけではない、ということに。
 考えてみれば、当時の労農党とは浅野晃が
 労農党を左翼の政党といつたのは、それが共産党の指導下にあつた政党だからである
語っているように、いわばボルシェビキである。したがって、『ボルシェビキによる革命は起こらない』と賢治は見切ったかもしれないが、アナーキズムであればそれが可能だと思ったていた可能性もある。


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 なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
   「目次
   「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)
   「おわり
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