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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
論じてこられなかったことの意味
一方、荒木の方は
「なるほどそういう見方があったのか。こうなってしまうと、賢治は重病だったから実家に帰ったというよりは、やはり蟄居・謹慎のためだったということの方がますます信憑性を帯びてきたような気がする。しかし弱ったな…まさか賢治がそんなだったとはな…」
と溜息をついてから、やや気を取り直して
「でもさ、賢治が当時の凄まじい「アカ狩り」を恐れて実家に戻って蟄居・謹慎していた、という類の説はいままで全く論じられてこなかったと思うんだよな…」
と首を傾げると、吉田は
「賢治は気の毒なことに、死んでからはいつも誰かに利用され続けて来た。賢治が当時はたして「主義者」であったか否かはさておき、賢治が少なくとも「アカ」と見られていたことはほぼ確実だから、特に戦時中は、賢治を利用しようとしていた人達にとってそのような類のことは極めて不都合だったんだ。だから彼等はそのことに完全に蓋をしてしまった。アンタッチャブルなことになった。そして、後にやっと再びその蓋をこじ開けたのが名須川溢雄と言える。僕はそんな不自然な扱いを受けてきた宮澤賢治が気の毒でならない…」
と嘆いた。そこで私は、
「そうだよな。私たち素人三人組でさえも、それも平成の時代になってからでもこのような合理的な推論が出来るくらいだから、当然宮澤賢治研究家ならかなり早い時点からこのことに気付き、この類の説を精緻に論考することが出来たはずだ。「演習」とは実は何のことを指し、なぜ昭和3年に実家に戻ったのが「8月」だったのかをたちどころに解明出来ていたはずだ。ところが、私の管見のせいかもしれないが、そのようなことが今までに公的に論じらたことは一切なさそうだ。まさしくこの実態こそがこの類のことに触れることはタブーだった、ということを意味しているということか」
と相槌を打った。
「そっか、このような類の説が今まで公に語られてこなかったことこそが逆に、実は賢治は実家にて蟄居・謹慎していたのだったということを暗示しているとたしかに言えるかもしれんな。…賢治を尊敬している俺にとってはちょっとしんどい話だが…」
と荒木がしみじみ言うと、吉田は穏やかに、
「奇しくも今年は賢治没後80年だ。創られ過ぎた賢治を本来の賢治に少しずつ戻すのに相応しい時機がやってきたということなのではなかろうか。今までの賢治はあまりにも聖人君子すぎて我々凡人には近づけない。しかし、羅須地人協会時代の賢治を調べてみるとこのように普通の人と同じようなところが少なからずあったようだし、そうであったとしてもそれは何等不思議なことではない」
と語ったので、私も調子に乗って、
「そしてそのような賢治ではあるが、それまでもそしてこれからも誰にも詠めないような素晴らしい心象スケッチ「春と修羅」等を残したり、それこそ「第四次」感覚を持つ賢治でなければ書けないような「やまなし」や「おきなぐさ」等の素敵な童話を創作してくれたりした作家だった、ということで一向に構わないのではなかろうか。
そもそも、創られすぎた賢治像をまさに賢治自身が一番苦々しく思っていると私は思うんだ。ひたすら求道的な生き方を求めたはずの賢治にとって何が一番かけがいのないものかというと、それは「真実を求め続ける姿勢」だと思うからだ。だからそろそろ《創られた賢治から愛すべき賢治に》移行してもよい時機がやって来ている、ということなのだ」
と偉そうなことを言ってしまった。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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《新刊案内》この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
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を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。延いては、
小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、 『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。
そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。
そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。
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