みちのくの山野草

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「聖女の如き高瀬露」(一気読み)

2020-03-29 10:38:50 | 鈴木守著作
                   《高瀬露は〈悪女〉などでは決してない》
 私は上田哲との共著『宮澤賢治と高瀬露』を自費出版した。その構成は次のような二部構成になっている。
 Ⅰ 「宮沢賢治伝」の再検証㈡ ―〈悪女〉にされた高瀬露―       上田 哲
 Ⅱ  聖女の如き高瀬露                            鈴木 守

 不思議なことに、上田哲の上掲論文が所収されている『七尾論叢 第11号』が所蔵されている図書館等は、私の調べた限りでは金沢大学付属図書館しかなく、一般市民が同論文を読むことは事実上困難である。
【参照:本書〝「「宮沢賢治伝」の再検証㈡― <悪女>にされた高瀬露―」の転載について〟】

 そこで、この論文を多くの人々に読んでもらいたいと願って、上田哲のご遺族から同論文の転載許可をいただき、その旨を当時の同論叢の編集委員であった三浦庸男氏(現在は埼玉学園大学教授)にご報告したところ、もはや七尾短期大学は存在していなこともあり、転載は問題ないだろうという御判断を頂戴したので転載させていただいた次第である。
 その「1頁目」は
【参照:本書「「宮沢賢治伝」の再検証㈡― <悪女>にされた高瀬露―」の1頁目】

であり、その最終頁は
【参照:本書「「宮沢賢治伝」の再検証㈡― <悪女>にされた高瀬露―」の21頁目】

となっていて、未完に終わっている。

 さて、次に拙論「聖女の如き高瀬露」についてだが、その出版の経緯を少し述べたい。

 実は、私は宮澤賢治の妹シゲの長男岩田純蔵教授の教え子である。その岩田先生が今から約50年前、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだがそのようなことはおいそれとは喋られなくなってしまった。
というような意味のことを私達に話したことがあったのだが、当時私の尊敬する人物は他ならぬ宮澤賢治であり、その甥のこの一言はそれ以来ずっと気になっていた。そこで、十年程前に定年となってやっと時間的余裕が生じた私は少しずつ賢治のことを調べ始めた。すると、『新校本年譜』等において、常識的に考えればこれはおかしいという点がいくつか見つかる。それは例えば次のようなものである。
(1) 大正15年7月25日には、
 賢治も承諾の返事を出していたが、この日断わりの使いを出す。使者は下根子桜の家に寝泊りしていた千葉恭で午後六時ごろ講演会会場の仏教会館で白鳥省吾にその旨を伝える。
とあるからだ。もしこれが事実であったとするならば、「羅須地人協会時代」の賢治は「独居自炊」とは言い切れないことになるから通説とは違うことになる。
 そこで私なりに検証してみたならば、やはりそうだったということを実証できたので、平成23年に拙著『賢治と暮らした男―千葉恭を尋ねて―』を自費出版してそれを公にした。
(2) 大正15年12月2日には、
 セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち沢里と改姓)武治がひとり見送る。「今度はおれもしんけんだ、とにかくおれはやる。君もヴァイオリンを勉強していてくれ」といい、「風邪をひくといけないからもう帰ってくれ、おれはもう一人でいいのだ」といったが高橋は離れがたく冷たい腰かけによりそっていた。
とあり、その典拠は澤里武治のある証言だと『新校本年譜』は述べている。ところが、実はこの証言に従えば同年譜には致命的な欠陥が存在している。そこで、この欠陥を解消できる仮説を立ててみたところそれが検証できたので平成25年に拙著『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』にてそのことを公にした。
(3) かつての「賢治年譜」の昭和3年8月の記述、
八月、心身の疲勞を癒す暇もなく、氣候不順に依る稻作の不良を心痛し、風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、歸宅して父母のもとに病臥す。
についてもやはりおかしいと私は感じたので、そのことに関して、平成25年に小冊子『羅須地人協会の終焉―その真実―』を自費出版してそのことを公にした。
(4) となれば、いわゆる「高瀬露悪女伝説」も然りで、これはおそらく捏造だろうと直感した私は、その検証をしてみたところやはりそれは捏造であり、その捏造された伝説を全国に流布させた責任は筑摩書房にあるということを実証できたので、それを「聖女の如き高瀬露」としてまとめ、平成27年に『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)の中で公にした。
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              〈 高瀬露と賢治の間の真実を探った『宮澤賢治と高瀬露』所収〉

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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                  ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)          ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』        ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』      ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』


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