みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

似たような横車は他でも押されていた

2021-11-19 18:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり
《『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)の表紙》

 前回、あの〝関『随聞』二一五頁の記述〟を典拠としていることになる大正15年12月2日の「賢治年譜」の現定説は、どういうわけか昭和52年になって突如現れ、逆に、同時にあの(b)も(c)もそれ以降は消え去ってしまった、ということを知った。
 したがって、昭和52年に出版された『校本全集第十四巻』において、従来の「賢治年譜」が大幅に書き変えられたと言える。それも、関登久也は疾うに亡くなってしまったというのに、〝関(関登久也の)『随聞』二一五頁の記述〟をたてにしてである。しかも、「「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている」と非論理的に、いわば横車を押してだ。
 そこで私はデジャヴを感じた。そうだ、これは本書の〝第一章 「絶版回収事件」と「252c等の公開」〟で考察した、「252c等の公開」の場合の構図とほぼ同じではないか、と。つまり、高瀬露が亡くなって程なく、書簡252cは「新発見」とは言えそうにないのにそう表現し、しかもその典拠も明示せずに、「新発見の書簡 252c」は「露あてであることが判然としている」と同十四巻で公的に断定したという、これまた横車が押されたわけだが、このこととほぼ同じではないか、と。
 言い方を換えれば、「倒産直前の筑摩書房は腐りきって」いたことの事例の一つが「252c等の公開」であったことを既に第一章で実証したところだが、実はそれだけでなく、「「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている」という、非論理的な、この横車もまたその事例の一つであった蓋然性が高いということだ。
 よって、『校本全集第十四巻』における、
  〝「新発見の書簡 252c」等の公開〟
という横車が、「倒産直前の筑摩書房は腐りきって」いたことの一つの現れであったばかりでなく、同巻における、
  〝「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている
という横車もまた、その一つであったということになりそうだ。

 要は、似たような横車は他でも押されていたのだった、と私は言わざるを得なくなった。

 続きへ
前へ 
『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

《ご案内》
 来る12月16日付で、新刊『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))を発売予定です。
【目次】

【序章 門外漢で非専門家ですが】

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北上市国見山(11/17、納めの... | トップ |  緒ヶ瀬滝(11/18) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

「賢治年譜」等に異議あり」カテゴリの最新記事