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終章 (テキスト形式)

2024-04-09 16:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり
『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(テキスト形式タイプ)

終章 
 今から三年前に出版した『本統の賢治と本当の露』の「おわり」を見返してみる。私は次のようなこと、

 恩師の岩田純蔵教授(賢治の甥)の嘆きに応えようとして、今まで約10年をかけて「羅須地人協会時代」を中心にして検証作業等を続けてきたのだがその結果は、常識的に考えておかしいと思ったところはほぼ皆おかしかった。つまり、現「賢治年譜」は歴史的事実等には忠実ではなくて、正反対なものや果ては嘘のものもあるということを明らかにできて、幾つかの隠されてきた真実や新たな真実を、延いては本統の賢治を明らかにできた。
 そこで譬えてみれば、「賢治年譜」は賢治像の基底、いわば地盤だが、そこにはかなりの液状化現象が起こっているのでその像は今真っ直ぐに建っていないと言える。当然、それを眺める私たちの足元は不安定だから、それを的確に捉えることは難しい。まして、皆で同じ地面に立ってそれを眺めることはなおさら困難だから、各自の目に映るそれは同一のものとは言い難い。したがって、「賢治研究」をさらに発展させるためには、皆が同じ地面に立ててしかも安定して賢治像を眺められるようにせねばならないのだから、まずは今起こっている液状化現象を解消せねばならない。
 …略…私の一連の主張が世間から受け容れてもらえることは今しばらくは難しいであろうことを充分承知している。それは、このような主張は私如きが申すまでもなく、少なからぬ人たちが既に気付いているはずであるのにも拘わらず、このような液状化現象が長年放置され続けてきたことがいみじくも示唆していると私は考えているからでもある。おそらく、そこには構造的な理由や原因があったし、あるのであろう。
 〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)〉

をそこで述べていた。
 そして今回論じた、昭和52年発行の『校本宮澤賢治全集第十四巻』における、とても筑摩らしからぬ事柄、
・なぜ、「賢治の書簡下書252c」を「新発見の」と形容して公開し、しかも関連する書簡下書群及び人権侵害の虞もあるあの推定群⑴~⑺を公開したのか。
・なぜ、「「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている」という非論理的な「理由」で、他人の証言内容を一方的に書き変えてしまったのか。
・「一次情報に立ち返れ」、という研究における大原則を蔑ろにしたが故の、「昭和二年は非常な寒い氣候…ひどい凶作」という誤認。
などは、この「液状化現象」の具体的な事例である。
 では、どうしてこのような事柄が第十四巻で引き起こされたのか。三年前の私にはそれがとても不思議だったし、その理由や原因も全く分からなかった。
 それがこの度、その大きな原因が私なりにはっきりした。それは、「倒産(昭和53年)直前の筑摩書房は腐りきっていました」ということがなさしめたのだと領会できたからだ。それも「腐っていた」ではなく、「腐りきっていました」という表現だったからなおさらにだ。言い方を換えれば、前掲したような、筑摩らしからぬ事柄が倒産直前に起こったことと、『事故のてんまつ』の「絶版回収事件」とは根っこが同じだったのだ、と知ったのだった。
 ところが残念なことは、筑摩は『事故のてんまつ』の出版に関しては昭和52年のうちに絶版回収とし、厳しく「総括」し、それを公にして詫びたのだが、『校本全集第十四巻』の出版に関してはそれらを為さなかったことだ。しかも、これらの筑摩らしからぬ事柄については、その後平成になってから出版された『新校本年譜』でもほぼそっくりそのまま引き継がれているので、「液状化現象」は解消されずに残ったことだ。
 その結果起こったことの最たるものが、高瀬露はとんでもない悪女であるという濡れ衣が着せられて、それが等閑視されてきたという人権侵害である。その一方で、これと関連する書簡下書群の安易な公開によって、賢治には、「背筋がひんやりしてくるような冷酷さ」があったということを世に知らしめてしまい、賢治のプライバシー権を侵害してしまったことである。

そもそも、現「賢治年譜」には、常識的に考えておかしいことが少なからず記載されているということに研究者等が気付かぬはずがない。しかし、それらが訂正されそうな気配は相変わらずない。ということは、それぞれ諸般の事情があるからなのであろう。が、門外漢で非専門家の私は何も失うものはない。そこへもってきて、先に述べたように高橋征穂先輩からの助言もあり、私はもう筑摩に遠慮などせずに、はっきりと意義を申し立てる、
 いつまでもこれらのことを筑摩書房が等閑視していることは許されない。賢治研究の発展のために、そして賢治の名誉や露の人権等を取り戻すために、まずは、『校本全集第十四巻』についての「総括見解」を、『事故のてんまつ』の場合と同様に公開せよ。
 そしてまた、『新校本年譜』についても再検証せねばならないはずだ。
 それとも、このままでいいのだと仰るのですか。
という異議をである。
 それは、社史『筑摩書房 それからの四十年』の「あとがき」の中に、

 もしも、あのとき倒産していなかったら、筑摩書房はどんどん腐り続けていったことでしょう。しかし、幸いにして倒産した。倒産したから一から出直すことができた。もちろん、そのために払った犠牲はとても大きなものです。多くの人に迷惑をかけました。だけど、倒産しなかったなら、もっと大きな犠牲を払わなければならなかったのではないか。

というような省察があり、確かにそのとおりだと肯えるからでもある。つまり、もし、第十四巻に関してこの「省察」のとおりにしていなかったならば、その結果はどうなっているかということをこの「省察」自体が教えてくれるからである。
 そこで、はばかりながら正直に申し上げる、
 たしかに『事故のてんまつ』に関しては、この「省察」のとおり「一から出直すことができた」と言えると思うが、『校本全集第十四巻』に関しては一から出直したとは言えないのではないですか。
と。さらに危惧されることは、
 このまま等閑視を続けていれば、あまりにも安易な論理に基づいた、あるいは論理以前で、根拠さえも示さずに決めつけている個所が散見される現「賢治年譜」が、今後も人々に使われ続けることになる。すると、とりわけ、純真な子どもたちに今後も嘘の賢治を教え続けることになりかねず、それは避けねばならない。
ということである。そして懸念されることが、
 これらの筑摩らしからぬ事柄が引き起こされた最大の原因は、当時の「筑摩書房は腐りきって」いたからだということがもはや疑いようがないと認識してしまった私には、『校本宮澤賢治全集第十四巻』の記載内容はどこまでが本当のことなのだろうかと、延いては『新校本年譜』についても同様に疑心暗鬼に陥ってしまったことだ。また、そのような疑心暗鬼をこの拙著を読んだ方も抱くであろう。
ということだ。
 ついては、筑摩書房にはこのような疑心暗鬼の払拭にも取り組んでいただきたい。あるいは逆に、私の主張(検証できた仮説等)には間違いがないものと確信はしているが、もし間違っていると仰るのであれば、その反例等を突きつけていただきたい。その場合には私は潔く当該の仮説等を棄却いたしますので。例えば、なぜ「新発見の252c」とし、はたまた、「判然としている」と断定できたのかというその典拠を突きつけていただきたい。

 さてこれで、恩師からのミッションはほぼ全て果たし終えることができたかなと安堵する。そしてまた、門外漢で、非専門家の老いぼれからの「遺言」でもある本書を書き終えることができたことに、私は今胸をなで下ろしている。
 
†††††††††††††† 
 
 最後になりましたが、今までご指導ご助言、そしてご協力賜りました皆様方に深く感謝し、厚く御礼申し上げます。
 なお本書において、敬称の付け方が章によって統一されていないことをお詫び申し上げます。
 令和3年11月9日
                       鈴木 守
│ │
│     『露草協会』 │
│ │
│ 会の目的:高瀬露の濡れ衣を晴らすこと。 │
│ 活動内容:高瀬露が着せられた濡れ衣の実態を知る。│
│      または、その理不尽な実態を周りに訴える。│
│ 会  費:なし │
│ 会  長:高橋 征穂(「イーハトーブ本の森」代表) │
│ 入会申込:入会を希望される方は、ご氏名等を左記 │
│     へお知らせ 下さい。 │
│    〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 │
│               電話 0198-24-9813 │
│           露草協会事務局 鈴木 守 │

『露草協会』推奨図書案内

『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)
             定価(本体価格1,500円+税)
 はじめに  
 第一章 本統の宮澤賢治
  1.「修訂 宮澤賢治年譜」
  2.「賢治神話」検証七点
   ㈠「独居自炊」とは言い切れない
   ㈡「羅須地人協会時代」の上京について
   ㈢「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」賢治
   ㈣誤認「昭和二年は非常な寒い氣候…ひどい凶作」
   ㈤賢治の稲作指導法の限界と実態
   ㈥「下根子桜」撤退と「陸軍大演習」
   ㈦「聖女のさまして近づけるもの」は露に非ず
  3.「賢治研究」の更なる発展のために
 第二章 本当の高瀬露
  1.あやかし〈悪女・高瀬露〉
  2.風聞や虚構の可能性
  3.「ライスカレー事件」
  4.「一九二八年の秋の日」の「下根子桜訪問」
  5.捏造だった森の「下根子桜訪問」
  6.「新発見」と嘯いたことの責め
  7.冤罪とも言える〈悪女・高瀬露〉の流布
おわりに
資料一 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)
資料二 賢治に関連して新たにわかったこと
資料三 あまり世に知られていない証言等
 
『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』
  (森義真、上田哲、鈴木守 共著、露草協会編、
    ツーワンライフ出版)定価(本体価格1,000円+税)
 発刊に寄せて 高瀬露と伊藤チヱのこと
     宮沢賢治学会イーハトーブセンター元代表理事 萩原 昌好
 目次
 はじめに                      森 義真
 Ⅰ 賢治をめぐる女性たち―高瀬露について―    森 義真
Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露― 上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか ―賢治と〈悪女〉にされた露― 鈴木 守
おわりに                     高橋 征穂
 付録 
  森 義真 講演 『賢治をめぐる女性たち―高瀬露について―』
                           配布資料
 続きへ。
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 〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
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☆『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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