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『事故のてんまつ』の出版と〝「新発見の252c」等の公開〟は酷似

2021-11-10 18:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり
《『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版)の表紙》

 『事故のてんまつ』の出版と〝「新発見の252c」等の公開〟はほぼ同じ構図にあったことを知って、私には見えてしまったのだった。そのことを、『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』中の下掲の頁等で論じている。
【6p】

【7p】


 つまり、このようなことになるのではなかろうか。

 『校本宮澤賢治全集第十四巻』は、その客観的な典拠も明示せずに、全く論理的でもなく、しかも一般人である女性「高瀬露」の実名を顕わに用いて、「(252cは)内容的に高瀬あてであることが判然としている」と公に断定した。のみならず、「推定は困難であるが、この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか」と前置きして、
⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)         
⑵、本書簡(252a)(法華信仰の貫徹を望むとともに、病気で会えないといい、「一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。」として、愛を断念するようほのめかす。ただし、「すっかり治って物もはきはき云へるやうになりましたらお目にかゝります。」とも書く)
⑶、高瀬より来信(南部という人の紹介で、高瀬に結婚の話がもちあがっていること、高瀬としてはその相手は必ずしも望ましくないことを述べ、暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)
というように想像力豊かに推定し、スキャンダラスな表現も用いながら、「「困難」なはずのものにも拘わらず」延々と推定を繰り返した推定群⑴~⑺を同巻で公にした。さて、「良心的な出版社<*1>」であったはずの筑摩書房に果たしてこのようなことが許されるものなのだろうか。
 そしてその結果、何を招いたか。それは、それまでは一部にしか知られていなかった、賢治にまつわる〈悪女伝説〉が〈高瀬露悪女伝説〉に変身して、一気に全国に流布してしまったと、筑摩がそれを全国に流布させてしまったと言われかねないことをだ。
 一方で、『事故のてんまつ』の出版と〝「新発見の252c」等の公開〟の二つは次の5点、
㈠ 両者とも、「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」という、まさに倒産直前の昭和52年になされたことである。
㈡ 両者とも、当事者である川端康成(昭和47年没)、高瀬露(昭和45年没)が亡くなってから、程なくしてなされたことである。
㈢ その基になったのは、ともに事実ではない。前者の場合は「伝聞の伝聞そのまた伝聞」である「鹿沢縫子」の原話であり、後者の場合は賢治の書簡下書(所詮手紙の反故であり、相手に届いた書簡そのものではない)を元にして、推定困難なと言いながらも、それを繰り返した推定群⑴~⑺である。
㈣ ともに、故人のプライバシーの侵害・名誉毀損と差別問題がある。
㈤ ともに、スキャンダラスな書き方もなされている。
でほぼ同じ構図にある。
 ということは、
 筑摩の社史に従えば、『事故のてんまつ』の出版は「腐りきって」いたことの一つの事例そのものであったと判断せざるを得ないし、これと酷似した構図が〝「新発見の252c」等の公開〟にもあったから、〝「新発見の252c」等の公開〟もまた、一つの「腐りきって」いた事例であったと判断せざるを得ない。
ということになるのではなかろうか。

<*1:投稿者註> 筑摩の社史『筑摩書房 それからの四十年』は、 
 一九七〇年代の筑摩書房は、目先の現金ほしさに紙型新刊を乱発するなど、必ずしも「良心的出版社」とはいいがたい実態があったし、
             〈『筑摩書房 それからの四十年』(永江朗著、筑摩選書)146p〉
と述べている。

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《ご案内》
 来る12月16日付で、新刊『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))を発売予定です。
【目次】

【序章 門外漢で非専門家ですが】

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