みちのくの山野草

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「聖女のさましてちかづけるもの」は限りなくちゑ

2019-06-30 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈「白花露草」(平成28年8月24日撮影、下根子桜)

「聖女のさましてちかづけるもの」は限りなくちゑ
吉田 ではここで思考実験は止めにして、ここからはオーソドックスな考察に戻ろう。
鈴木 了解。とはいえ、ここまでの実験によって、 「聖女のさましてちかづけるもの」は露であるとは限らず、露以外の女性だとも考えられるということが明らかになった、ということは少なくとも言える。
荒木 たしかに。今までの合理的な実験によって、その可能性が否定できないことがわかったからな。
吉田 そして、その候補者としては露とちゑの二人がいて、今のところこの二人しかいないということもまたわかった。しかもそれぞれ、
・露 :「レプラ」と詐病までして賢治の方から拒絶したといわれている露に対して約4年後
・ちゑ:結婚するかもしれませんと賢治が言っていたちゑに対して約2ヶ月半後
となる。
 さあ、ではどちらの女性に対して、例の「このようななまなましい憤怒の文字」を連ねた〔聖女のさましてちかづけるもの〕という詩を当て擦って詠むのかというと、その可能性は
    ちゑ ≫ 露
となることは明らかだろう。
荒木 つまり、露と比べて、ちゑであることの方の可能性が遙かに大ということだな。
 そりゃ、「約4年後」と「約2ヶ月半後」とを比べれば明らか。いくらなんでも「約4年後」までも相変わらず執念深く思い続けていることはなかなかいないし、普通でぎねえべ。
吉田 そう。「聖女のさましてちかづけるもの」が露であるという可能性を完全には否定しないが、そうでない可能性が、それもかなりの程度あるということが言える。したがって、
    聖女のさましてちかづけるもの」は限りなくちゑである。
ということになる。
荒木 当然この可能性の方が極めて大なのだから、こんな詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕を用いて〈仮説:高瀬露は悪女ではなかった〉の検証作業などやれない。検証以前だべ。
鈴木 実は、「昭和6年」の場合に問題となるのはこの〔聖女のさましてちかづけるもの〕と、例の徳弥の『短歌日記』だったが、この日記のことも織り込んで既にここまで考察してきたから「昭和6年」に関しては以上で検証作業は終了。
荒木 ということは、「昭和6年」の場合も〈仮説:高瀬露は悪女ではなかった〉は検証に耐えたわけだ。さあ、それじゃいよいよ残るは「昭和7年」だけだから早くそこに移るベ。
吉田 ちょ、ちょっと待て。ほらさっきの〔われに衆怨ことごとくなきとき〕のことがあったじゃないか。
荒木 やべぇ、そうそうそうだった。俺が質問したというのに情けねえ。
吉田 では。それは「雨ニモマケズ手帳」の32p~33pに書かれていて、小倉豊文によればここには、
   ◎われに
    衆怨ことごとく
          なきとき
    これを怨敵
       悉退散といふ
   ◎
    衆怨
     ことごとく
          なし
           <『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)116pより>
と書かれていて、小倉はどちらの頁も〔聖女のさましてちかづけるもの〕の書かれた日と同じ10月24日のものらしいと推測している。
 そして、小倉は賢治がこの〔われに衆怨ことごとくなきとき〕をここに書き付けた理由を次のように解説している。
 恐らく、賢治は「聖女のさましてちかづけるもの」「乞ひて弟子の礼とれる」ものが、「いまわが像に釘う」ち、「われに土をば送る」ように、恩を怨でかえすようなことありとも、「わがとり来しは、たゞひとすじのみちなれや」と、いささかも意に介しなかったのであるが、こう書き終わった所で、平常読誦する観音経の「念彼観音力衆怨悉退散」の言葉がしみじみ思い出されたことなのであろう。そして、自ら深く反省検討して「われに衆怨ことごとくなきとき、これを怨敵悉退散といふ」、われに「衆怨ことごとくなし」とかきつけたものなのであろう。
             <『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)119p~より>
鈴木 そうかそういうステップを賢治はちゃんと踏んでいたのか。実は私は今まで、10月24日に詠まれた〔聖女のさましてちかづけるもの〕と、そのたった10日後に書かれたという〔雨ニモマケズ〕の間にある両極端とも思えるほどの賢治の心の振幅の大きさがどうしても理解できなかった。
 ところが賢治は、〔聖女のさましてちかづけるもの〕を詠んだ後にそのことを実はしっかりと「自ら深く反省検討」し、そして〔雨ニモマケズ〕を詠んだということか。これでやっと腑に落ちた。
荒木 実は、賢治は感情の起伏が激しかったと俺も人づてに聞いていた。まあ、そこが天才の天才たる所以の最たるものの一つなのかもしれないのだが。少なくともこれら二つの間に〔われに衆怨ことごとくなきとき〕が書いてあったということならば、それならば「雨ニモマケズ」もありだな。
 よし、これでまた《愛すべき賢治》にまた一歩近づけたような気がしてきたぞ。

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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