みちのくの山野草

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詩は単独では伝記研究の資料たり得ない

2019-07-01 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈「白花露草」(平成28年8月24日撮影、下根子桜)

詩は単独では伝記研究の資料たり得ない
吉田 ところで、いつもの荒木なら、
    〈仮説:高瀬露は悪女ではなかった〉を棄却する必要はないということになる。いやあ嬉しいな。
と言って抃舞していたはずなのに、今回の「昭和6年」の場合それはなしか。
荒木 いやあ、おかしいと思うんだよ俺は。この前までは賢治周辺の人たちの証言や客観的な資料等に基づいて検証を行った来たのに、今回は詩によるものだったろ。
 確かに、この詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕はさておき、賢治の詩は素晴らしいものが多いということは俺でもわかる。しかしな、詩は所詮詩でしかないべ。創作の一つだ。だから、〔聖女のさまして近づけるもの〕に書いてある内容全てが事実であるという保証はないだろう、と思っていることもまた俺にはあるからさ……。
鈴木 いわゆる詩は還元できないというやつだな。だからこそ、もし詩を伝記の資料として使うのであればその裏付けを取ったり検証をしたりした上で使わねばならないのは当然だ。
吉田 ところが、この詩に関してはそのような為すべきことを為していないだけでなく、露はクリスチャンだ、クリスチャンは聖女だ、だからこの詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕は露のことを詠んでいるんだというあまりにも杜撰すぎる三段論法が採られてしまっていると言える。結果、露のことをこの詩は<悪女>にしてしまったという責任の一端を免れられない。
鈴木 もちろん、この詩そのものにその責任があるわけではなく、そう理解したり、そう仕向けたりした人たちの責任だけどね。
荒木 一方、実はそれは露ではなくてちゑである可能性が極めて大であるということを俺たちは導けたのだから、この詩を元にして<悪女>扱いされた節もある露にすれば踏んだり蹴ったりだ。濡れ衣もいいどこだべ。
吉田 確かにそうだが、実証的な考察をいつも心がけているはずの小倉豊文でさえもこの〔聖女のさましてちかづけるもの〕を引き合いに出して、「この詩を読むと、すぐに私はある一人の女性のことが想い出される」(『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)111p)と言って、これは露のことを詠んだのだと実質的に断定している。
 あるいは佐藤勝治でさえもまた、例の「このようななまなましい憤怒の文字はどこにもない」と言いつつも、この詩は露のことを詠っているのだとつゆほども疑っていない。それは境忠一でさえもそう言えなくもないし、他の多くの人もおしなべてそのように認識し、これだけ賢治が憤怒を込めて詠っているくらいだから、多くの読者は、露は相当な<悪女>だと短絡的に決めつけてしまうだろう。
荒木 しかしだよ、単に手帳に書かれた一篇の詩によってだぞ、その一枚の紙切れによって一方的に一人の人間の尊厳が傷つけられ、人格が貶められているということは許されていいのがよ!
吉田 荒木が怒るのももっともだ。それもこれも、然るべき人たちがその裏付けも取らず、検証もせずに漫然と<悪女伝説>の再生産を繰り返してきたからだ。いかな賢治の詩といえども単独であっては「伝記研究」の資料たり得ないことは当たり前のことなのにさ。
鈴木 何かというと、それらしいことや不都合なことがあるといつもそれは露だと決めつけられてきた傾向がある。例えば、露であることが全く判然としていないのに「判然としている」と決めつけられた「昭和4年の書簡下書群」、そして今回の〔聖女のさましてちかづけるもの〕の「聖女」、さらにはこの次の年に出てくる「悪口を言いふらした女性」、皆そうだ。
吉田 これらのことに鑑みれば、そこには明らかに何者かによるそれこそ「悪念」や「奸詐」があったということがもはや否定できなかろう。
荒木 おいおい憶測でそんな物騒なこと言ってもいいのか。ちょっとまずいよそれは。
吉田 実はある作家が、
 もし硬い、高い壁と、そこに投げつけられて壊れる卵があるなら、たとえ壁がどんなに正しく、卵がどんなに間違っていても、私は卵の側に立つ。
             <『朝日新聞、平成21年2月25日、斎藤美奈子・文芸時評』より>
と言ったということだが、僕は今このことを思い出している。
 誰しも皆、自分が高い壁の側に立つとは言わないとは思うが、高い壁となって立っている人がいるのも紛れもない事実。そしてちょうどこの「卵」とは露、あるいはこの〈仮説:高瀬露は悪女ではなかった〉のことかもしれない。
 しかも、ここまで調べた来た限りにおいては「卵がどんなに間違っていても」どころか露の行為はほぼ間違っていないと言えるし、一方の壁については「壁がどんなに正しく」てもどころかかなり間違っていることがわかったのだから、少なくとも僕は「卵の側に立つ」。
荒木 何だよ突然に、それも一人だけかっこつけて。しかもそれって村上春樹のスピーチのパクリだべ。
鈴木 じゃじゃじゃ、すっかり吉田にしてやられたな。
荒木 なあに、さっき言い過ぎたからその照れ隠しだべ。
吉田 ばれたか。
鈴木 それでは、「昭和6年」に関わる検証結果をここで確認すれば、「そもそも詩を単独で伝記研究の資料として使うことには無理がある」ということを肝に銘じつつ、
聖女のさましてちかづけるもの〕の内容によって、〈仮説:高瀬露は悪女ではなかった〉を棄却する必要はない。
ということだ。
 これで「昭和6年」に関しての考察は一切終了。
荒木 それでは、〈仮説:高瀬露は悪女ではなかった〉は相変わらず検証に耐え続けているのだから、さしずめ検証に耐え続けている「卵」というところだな。じゃ脆くて弱い「卵」よ、今はまだそうかもしれんがこの次の「昭和7年」においても検証に耐え得れば、晴れて雛になって歩み始めることができ、そのうち空も飛べるかもしれんぞ、あと少し頑張れと願いつつ最後の年の検証作業に移ろうか。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
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 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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