みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

八重樫賢師の大活躍振り

2019-01-25 12:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)

 ではここでは、八重樫賢師の活躍ぶりが覗える史料が載っていたのでその一部を転載させてもらう。
   賢師、全国大会代議員となる
 八重樫賢師、労働農民党全国大会に代議員として出席した。
㈧ 労働農民党年次大会に代議員出席す(昭和二年一二月一〇日)
 十二月労働農民党年次大会開催、此の頃は労農党・評議会の最も盛んなりし頃にて、日本共産党裏面に画策大いに努めつゝありし時なり、本県の代議員泉国三郎・野々村善二郎・福地正治・八重樫賢志・横田忠夫等出席す。…(投稿者略)…

   八重樫賢師、弁士として大活躍す
■第一隊(稗和)は去る九日(昭和三年二月)夜花城小学校で演説会を開催した。聴衆六百余名
小館君の熱弁が中止を食うや聴衆憤激して其不法を臨監に詰り退散せず、之を見て若き闘士八重樫賢志君やおら壇上に飛び上がり雄弁を揮ふこと四十分、聴衆感激して嵐の如き拍手を送る、臨監も恐れたか中止せず

 この普選において、若き闘士として先頭にたって活動していたのである。なお、すでに賢師は昭和二年九月二三日、横田忠夫の県議選挙応援で「彼等地にひれ伏すまで」との題で演説し雄弁は知られていた

   賢師、大演説会の開会宣言
若いながらも賢師は活躍していた

   中止!中止!倒閣大演説会
          三日夜県公会堂で
 労農党岩手支部主催の内閣糾弾大演説会は三日夜六時半から公会堂第一ホールで開かれた…(投稿者略)…やがて八重樫憲司(賢師の間違い)氏開会の辞を述べ…(投稿者略)…

   賢師、岩谷堂農民争議の指導
   岩谷堂の争議
     批判演説会 ゆうべ開会
江刺胆沢に亘る黒石、姉体の北上川護岸工事にからまる争議批判演説会は(昭和3年3月)二八日午後六時より岩谷堂町公会堂で労会(ママ)労農党支部連合会より応援に来岩した八重樫賢志(ママ)、福地正治、伊藤勇雄、和田一夫の諸氏熱弁を奮い聴衆に感激を与えて午後十時閉会した
       〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)483p~〉

 というわけで、たしかに当時八重樫賢師は大活躍していたということが容易にわかった。しかも、八重樫賢師は明治41年生まれだから丁度この頃は約二十歳であり、まさに弱冠なれども、その大活躍振りとずば抜けた雄弁さが容易に想像がつく。
 しかし、あの凄まじい「アカ狩り」に見舞われた賢師は賢治とは違った。父政次郎の庇護によってであろうか自宅謹慎できた賢治とは違って、それが成らなかった賢師は函館に所払いとなり、しかもその2年後にあっけなく客死した。享年23才であった。雄弁で熱血だった賢師はおそらく傷心を癒やすこともできずに亡くなったことであろう。夭折があまりにも惜しまれる。

 続きへ
前へ 
 ”「八重樫賢師と宮澤賢治」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『土に叫ぶ人 松田甚次郎』... | トップ | ロウバイがもう咲いていた(1... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢師と賢治」カテゴリの最新記事