みちのくの山野草

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賢師が逝く三ヶ月前の書簡より

2019-01-10 14:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)

 さて、昭和3年10月の陸軍特別大演習を前にして行われた凄まじいアカ狩りによって、八重樫賢師は同年8月頃に函館に奔った。そして気の毒なことに、それから2年も経たない昭和5年8月21日逝ったという。さぞかし無念であったであろう。そのことを以下、名須川溢雄の論文「近代史と宮沢賢治の活動」から探ってみる。

 まずは、「労働運動の若き闘士、賢治の教え子賢師ついに函館にて逝く」という項に注目する。それは、次の様にして始まっていた。
 ここに一葉の写真がある。八重樫賢師とその友人たち、大正の終わりから昭和の初めにともに社会運動を学び、賢治の地人協会に集い学び、賢師を労農党に送り出した仲間の写真である。賢師とともに警察に監視・尾行された八重樫与五郎、照井勝蔵、(一名は氏名不詳)の三人が写っている。花巻における当時の進歩的青年グループの人びとであった。この写真の裏には、親友賢師を激励する与五郎の文章(昭和四年一〇月?)が次のように記されている。
             〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)497p~〉
 そこで、もしその写真が昭和4年10月に撮ったものだとすれば、賢師が函館に所払いになったほぼ1年後には既に病はかなり重かったと言えそうだ。そしてそれは、その写真裏に書かれているという、
 吾等の畏友賢志(ママ)君病みて遠く北海の地に在り病愈々重りて生死危しと聞き彼の心を想て深き憂の裡に友人三人勝さんの二階に集合し見舞状と此の写真を郵便に託して賢志(ママ)君の枕辺に捧ぐ 君よ〇〇病医て再び会わん日近きを祈る(花巻市鍛冶町八重樫与五郎家所蔵)
            〈同498p〉
の中の、特に「病愈々重りて生死危しと聞き」という記述からも容易に察することができる。

 次に名須川の論文は、賢師が逝く三ヶ月前(昭和5年5月11日)の、花巻の兄に宛てた書簡の中身を紹介している。ただし、その内容が賢師にとっては気の毒で私も切ないので全部を再掲することは憚るが、そこには例えば次のようなことが書かれているという。
 函館は桜が今満開だ相です。…(投稿者略)…叔母さんも隣人に誘われて花見に行きました。
 私だけ床の中に残りました。花を見たいとは思いませんが花も見れないでいる私が情けないと思います。
 発病以来九ヶ月病苦と不安に悩みつつ来た私ですが、それよりも永い事重態の私を看護して下された叔母様叔父様の厚い深い親切に感謝致さねばならないと思います。
            〈同498p~〉
 よって、「発病以来九ヶ月病苦と不安に悩みつつ」ということだから、賢師は昭和4年8月頃にこの病気が発病したということになりそうだ。となれば、函館に奔ってほぼ1年後にこの重い病に罹ったと言える。この文面からは、賢師の優しさがひしひしと伝わってくるだけに、彼の無念さが容易に想像できる。
 そしてこの書簡はまだまだ続くのだがその内容があまりにも不憫なので途中は割愛し、最後の方にしたためられている次の部分を引例したい。
 私は今すべての人々に感謝致しすがり哀れを求めて生きねばならぬ境遇にあります
 しかし永遠にかくあるべきにもあらず時は総てを運び解決するのであります、
 何卒よろしくお願い申しあげます
 皆様からだを大事に致さる様祈ります
          〈同500p〉
この文面からは、賢師は己の末期が近いことを悟っていたと、私に見える。そして実際、ほぼ三ヶ月後に賢師は逝ってしまったことになる。

 だから私は、ここで改めて賢師に哀悼の意を表したい。それは、賢師という人物は生真面目で純真な青年だとばかり今まで思っていたのだが、賢師はさにあらず、この論文によって彼は極めて有能で熱心な活動家であるということを私は確信しつつあるからなおさらにである。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
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 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
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 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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