みちのくの山野草

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座談(実は賢治の方こそかなり問題?)

2019-01-26 16:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 実は賢治の方こそかなり問題?
鈴木 ではいよいよ次は本丸の、『校本全集第十四巻』が「内容的に高瀬あてであることが判然としている」ときっぱりと断定している「新発見」書簡下書の「252c」について考えてみよう。
吉田 いやっ、鈴木が見つけたように「252c」と「新発見の下書(一)」は続き物であることはまず間違いないから、それらを繋げて先に名付けた
 「改訂 252c」
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。…(筆者略)…一つ充分にご選択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。…(筆者略)…さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外へお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれる為に書いたもので、あとのは正直に申し上げれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざなものをあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目においでになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあげたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝではだんだん間違ひになるからいまのうちはっきり私の立場を申し上げて置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前后に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでになすってゐるものだと存じてゐた次第です。どんな人だってもにやにや考へてゐる人間から力も智慧も得られるものでないですから。
その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい。それがいま女の人から手紙さえ貰ひたくないといふのはたゞたゞ父母への遠慮です。これぐらゐの苦痛を忍ばせこれ位の犠牲を家中に払はせながらまだまだ心配の種を播く(いくら間違ひでも)といふことは弱ってゐる私にはできないのです。誰だって音楽のすきなものは音楽のできる人とつき合ひたく文芸のすきなものは詩のわかる人と話たいのは当然ですがそれがまはりの関係で面倒になってくればまたやめなければなりません。
で検討すべきだ。
鈴木 そうか、じゃあそうしようか。では荒木、この中身についてどう思う。 
荒木 うん? 俺がか。賢治を尊敬している俺にとっては言いづらいところもあるが、寄ってたかって弱い者虐めをされているが如き露に味方して…正直に言う。はっきり言って賢治らしからぬ点が多すぎる。
 まず、文章構成がめためただべ。またその表現の仕方が、
  ・などといふから悪いですな
  ・(よくお読みなさい)
  ・(この手紙を破ってください)
  ・私みたいなやくざなものをあてにして
  ・もっとついでですからどんどん申し上げませう
  ・あゝいふことは絶対なすってはいけません 
というような露悪的な表現などからは、今まで抱いていた賢治のイメージとは真逆の印象しか受けないんだな、これが。
吉田 そう、これはあまりにも賢治らしからぬ文体の「書簡下書」なので、極めて違和感がある。誤解を恐れずに言えば、他の書簡とは違ってこの〝一連の「書簡下書」〟、とりわけ「改訂 252c」からは、尊大さ、軽薄さ、高踏的、露悪的、お為ごかしなどさえも感じられて、正直やりきれない。
鈴木 私もこれらに対しては、『えっ! 賢治ってこんな文体の手紙を書くことがあるのか』とがっかりしたものだった。
 そして同時にがっかりしてるのが、「252c」のことを『同第十四巻』が「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」と述べてはいても、ここに至っても私には一体それはどこからそう判断ができるのか全くわからないからだ。二人はどうだ?
荒木 例えば、
(1) それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし
とか、
(2) あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので…(著者略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。
というようなことを実際に露がしていたという、他の証言や資料があればそうと言えるかもしれないが…。
吉田 まずは前者(1)については、いくら賢治の発言とはいえ「ただならぬ物言い」だ。こんなことが書かれているとこれを素直に読んだ読者は皆、
・露には前の婚約者があった。
・しかも露はその人との婚約を破棄して、新たな相手と結婚しようとしている。
・賢治はそのような露に対して前の婚約者からはちゃんと了解を求めなさいとアドバイスした。
と、次に後者(2)からは、
・露は賢治に三日続けて手紙をよこしたり、
・夏から三べんも写真をよこしたりもした。
とそれぞれ受け取るだろう。
荒木 果たして本当に露にはそんなことがあったというんだべが。この部分を真に受ければ、露にとっては分が悪いところが少なくないぞ。
鈴木 とはいえ、上田哲は『七尾論叢 第11号』において、いま吉田が挙げたようなことについてどころか、そのような噂があったということさえも一切述べていない。もちろん一般にもそんなことがあったなどとは言われていない。
荒木 となれば、この「ただならぬ物言い」はなかなか厄介者だな。
鈴木 そこなんだ。そのような数々のことが露にあったということを筑摩は検証した上で、「内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定したのであればいいのだが、ここまで調べてみてほぼ判るようにそうとは思えない。
 実はかつてこんなことがあった。『拡がりゆく賢治宇宙』の中に
 楽団のメンバーは
    第1ヴァイオリン 伊藤克巳
       …(略)…
    オルガン、セロ  宮澤賢治
 時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです。
<『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)79pより>
という記述があったので私はこれを見つけて喜んだ。それは、例の楽団に時に千葉恭も加わっていたことをこの記述から知ることができたからだ。
荒木 どういうこと?
吉田 それはさ、約2年4ヶ月の「羅須地人協会時代」、賢治は一般には「独居自炊」といわれているが、実は少なくとも半年間はこの千葉恭と一緒に暮らしていた。そのことをほら、鈴木は以前自費出版した『賢治と一緒に暮らした男―千葉恭を尋ねて―』で実証したわけだが、そのことを裏付けてくれるからだ。
鈴木 そうなんだ。その原稿を書きながら不思議に思い続けたのが、賢治も含めて周縁の人たちの誰一人として千葉恭という人物が賢治と一緒に暮らしていたという証言や資料を残していなかったことだ。
 ところが、この『拡がりゆく賢治宇宙』にこのように記載されてあったから、誰かが千葉恭はあの楽団のメンバーの一人だったということ、つまり、下根子桜の賢治の許に千葉恭が時に来ていたということを実質的に証言していると思ったのだ。
 そこで私は、出版元にこの出典はなんですかと問い合わせた。するとその答えは『あれは間違いです』というものだった。
 ならばと、この部分の執筆者を探し出して訊いてみたところ、
 あれは、私が平來作から直接聞いたことです。ところが、千葉恭については他の人の証言がないからということで、『賢治年譜』には載っておりません。 <平成26年11月14日、阿部弥之氏より>
ということであった。そこで私は思った。そうか、流石「賢治年譜」、資料として載せるか否かの判断は厳しいんだと。ちなみに『新校本年譜』を見てみると、
 しかし音楽をやる者はほかにマンドリン平来作、木琴渡辺要一がおり、時によりふえたり減ったりしたようである。<『新校本全集第十六巻(下) 年譜篇』(筑摩書房)314pより>
となっていた。平や渡辺の場合にはどんな他の人の証言等があって載せたのかを筑摩は明示していないがそれはさておき、確かに肝心の千葉恭の名前だけは抜け落ちている。
 そこで私もその徹底した筑摩の態度を見習って、「一人の証言だけとか、一つの資料だけとかに基づいて賢治の伝記研究をしてならないのだ」と改めて自覚した。
荒木 ということは?
吉田 千葉恭の場合にそれほどまでに徹底しているのであれば、先ほど僕が列挙した事柄についてもちゃんとその他の証言や資料を基にして検証しろと鈴木は怒っているのさ。
荒木 そりゃそうだべ。そうでないと筑摩はダブルスタンダードだ。
吉田 ということは、もしかすると何らかの理由があって千葉恭は意識的に無視されているのかもしれんな。
鈴木 うん、それは十分にあり得る。なお、千葉恭のご子息から直接聞いた(平成22年12月15日)ことだが、『父はマンドリンを持っていました』ということだったから、先の『拡がりゆく賢治宇宙』の件の記載内容はまず間違いないと判断できる。したがって、千葉恭は時に下根子桜に確かに来ていたということを平來作は正しく証言していたことになるだろう。
吉田 だからこそ、この「新発見の252c〔高瀬露あて〕」を活字にして公にしようとした筑摩は、これに対応する露からの賢治宛来簡を見つけ出すなどして、その裏付けを取る最大限の努力をせねばならなかったのだ。
 しかるに現時点でもこの出版社は、賢治に来た書簡はいまだ一切載せておらず、賢治が出した書簡ばかりを載せている。しかも、来簡を一切載せていないというのにかかわらず、賢治の書いた書簡下書、手紙の反古さえも載せている。これはあまりにも不公平なことだ。
荒木 そりゃそうだよ。賢治からの往簡だけではその書簡の内容の信頼性は担保されているとは言い難い。まして反古であればなおさらにだべ。
鈴木 だから不思議なんだよな。あれだけの膨大な全集をあの出版社は何度も出版しているのに、
  なぜ賢治宛来簡が一通も公になっていないのか。
という大問題について、私の知る限り同社出版の全集のどこを開いて見ても全く論じられていない。一体この大問題を同出版社は究明する気があるのだろうか。また、関係者も同様にだ。
荒木 そうなのか、俺はついつい「書簡集」には往簡も来簡もどちらも載っているものとばかり思ってた。来簡が一通も存在しないというのは極めて不自然だべ。
吉田 確かにある雑誌に、著名な賢治研究家の『来簡があるのは公然の秘密みたいな云々』という発言が載ってたな。とはいえ、賢治宛来簡は何らかの事故があって一切なくなってしまったというのならばそれはそれでやむを得ないとことだと僕は思う。しかしあれだけの膨大な『校本全集』を二度にわたって出しているのだから、それならばそのことについて究明した論考や納得のいく説明を『同全集』に載せてしかるべきだ。
荒木 そうだよな。来簡があるならば公開すべきだ。そうしないと、賢治からの往簡やその下書だけが公開されたことによっ不利益を受けた人も当然いたべ。
 実際、「露あてであることが判然としている」と言い切って「252c」などの「書簡下書」が公にされたがために露はすこぶる不利益を被っているのだから。
鈴木 したがって、先ほど荒木が挙げた(1)や(2)に関してはそれを裏付けるものを当事者は提示すべきだし、もしそれができなければ、こんな書簡の反古など公開するなと私は抗議したい<*1>。あまりにもアンフェアな行為だし、安易だ。
吉田 はっきり言って、〝一連の「書簡下書」〟を露宛のものであるなどとかたってその根拠も理由も明示せずに安易に活字にした筑摩の出版行為は詐欺行為みたいなものだ。
鈴木 おいおい、流石にそれは言い過ぎだよ。
吉田 いや、少なくとも僕はそう思っている。露にはもはや為す術がないのだから……
荒木 いずれこうなってしまうと、とりわけ、これだけの「ただならぬ物言い」をしていたということを知ってしまったから、問題なのは露の方ではなくて実は賢治の方にこそかなり問題があると言わざるを得ない。賢治を尊敬していた俺からすればがっくりだじゃ。
吉田 そしてこれらの、賢治の少なからぬ「露悪的な表現」及び「ただならぬ物言い」については極めて問題があるということを、賢治研究家の誰一人として指摘していないことも、それこそ極めて問題があると僕も思うね。

<*1:註> 後ほどわかったことだが、〝賢治宛来簡がないわけではなかった〟をご覧いただきたい。賢治の近縁の方が、平成27年10月11日公的な場における私の質問に対して、 
 来簡は焼けてしまったが、全くないわけではない。例えば、最後の手紙となった柳原昌悦宛書簡に対応する柳原からの書簡はございます。
と答えてくれた。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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