
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
では明日からは、拙著『羅須地人協会の終焉-その真実-』の連載を開始したい。この小冊子『羅須地人協会の終焉-その真実-』は、本ブログ上で以前投稿し続けたカテゴリー「昭和3年賢治実家謹慎」の内容をコンパクトにまとめたものである。
その内容は、当時の花巻の天気をこの度やっと私は知ることができたので、これらのこと等を基にして、賢治が愛弟子の一人澤里武治に宛てた手紙の中の『演習が終るころはまた…』という一文の謎解きに挑んでみた結果、どうやら
昭和3年8月10日に賢治が実家に帰ったのは体調が悪かったからということよりは、「陸軍大演習」を前にして行われた特高等の凄まじい「アカ狩り」から逃れることがその主な理由であり、賢治は重病であるということにして実家にて蟄居・謹慎していた。
という可能性が頗る大きいということを論証したものである。乞うご期待。

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