《創られた賢治から愛すべき賢治に》
このたび、賢治の詩「神田の夜」の中で、神田の夜
一九二八、六、一九、
十二時過ぎれば稲びかり
労れた電車は結束をして
遠くの車庫に帰ってしまひ
雲の向ふであるひははるかな南の方で
口に巨きなラッパをあてた
グッタペルカのライオンが
ビールが四樽売れたと吠える
…(略)…
湯屋では何か
アラビヤ風の巨きな魔法がされてゐて
夜中の湯気が行きどこもなく立ってゐる
シャッツはみんな袖のせまいのだけなんだよう
日活館で田中がタクトをふってゐる
と詠われている「日活館」のその跡地(現神田神保町1丁目6番地)辺りを訪れてみた。
《1 「日活館」跡地》(平成25年11月27日撮影)
《2 〃 》(平成25年11月27日撮影)
《3 〃 》(平成25年11月27日撮影)
《4 〃 》(平成25年11月27日撮影)
今は『石井スポーツ』のお店のあるところに、かつてその「日活館」はあったという。
そして、こうやって実際その跡地を訪ねてみると、それまでと違うことを感じてしまう。思い返してみれば、昭和3年6月の上京の際の予定は以下のようなものであったはずだ。
6/7(木) 花巻発、仙台東北産業展覧会
6/8(金) 水戸、水戸偕楽園、県立農場試験場、神田上州屋泊
6/9(土) 滞京
6/10(日) 築地小劇場?
6/11(月) 滞京
6/12(火) 大島へ?
6/13(水) 大島滞在
6/14(木) 大島発、東京へ
6/15(金) 帝国図書館、府立美術館浮世絵展、新橋演舞場
6/16(土) 帝国図書館、府立美術館浮世絵展、築地小劇場
6/17(日) 帝国図書館
6/18(月) 帝国図書館、新橋演舞場
8/19(火) 農林省、商務省、新橋演舞場
8/20(水) 農林省、商務省、市村座
6/21(木) 帝国図書館、浮世絵展、本郷座、明治座
6/22(土) 東京発、甲府
6/23(日) 長野
6/24(月) 新潟
6/25(火) 山形
6/26(日) 帰花
実際には、6/24には賢治は帰花していて、「甲府-長野-新潟-山形」の予定は取りやめたと思われると「新校本年譜」は判断している。とはいえ、農繁期のこの時期に賢治はこのような予定を立てていたことを知り、しかも実際「日活館」跡地をこの度訪れてみると、やはりこの頃の賢治はもやはかつての賢治ではなくなっていた可能性がある、ということを否定できなくなって了った私がいた。6/8(金) 水戸、水戸偕楽園、県立農場試験場、神田上州屋泊
6/9(土) 滞京
6/10(日) 築地小劇場?
6/11(月) 滞京
6/12(火) 大島へ?
6/13(水) 大島滞在
6/14(木) 大島発、東京へ
6/15(金) 帝国図書館、府立美術館浮世絵展、新橋演舞場
6/16(土) 帝国図書館、府立美術館浮世絵展、築地小劇場
6/17(日) 帝国図書館
6/18(月) 帝国図書館、新橋演舞場
8/19(火) 農林省、商務省、新橋演舞場
8/20(水) 農林省、商務省、市村座
6/21(木) 帝国図書館、浮世絵展、本郷座、明治座
6/22(土) 東京発、甲府
6/23(日) 長野
6/24(月) 新潟
6/25(火) 山形
6/26(日) 帰花
おそらく、先の詩が詠まれたであろう6月19日の賢治は、「日活館」にて田中がタクトを振っている様を見ていたに違いない。だから、その頃の賢治の心の中では、はたして今年は農業用水が確保できるだろうかと毎日心配していたであろう花巻の貧しい農民たちの姿、そしておそらく田んぼの草取りで毎日が多忙で疲れ果てているであろう農民たちの存在は限りなく透明な存在になっていたのではなかろうか。
もしそうだとするならば、例の澤里武治宛9月23日付書簡〔243〕の中の
六月中東京へ出て毎夜三四時間しか睡らず疲れたまゝで
等については、一体どのように解釈すればいいのだろうか。
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『賢治が一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』
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