気の向くままに

山、花、人生を讃える

古い「生長の家」誌から・・・③

2009年10月06日 | 信仰
≪此処がこのまま実相世界・・・≫

それから5日目、6日目と神想観をやって来て、8月28日の神想観の時、先ほどの招神歌の2節目、3節目をやっておりましたら、途中で、「大調和の神示を読もう」という言葉が出てきました。それで私はすぐに神想観をやめまして、『大調和の神示』をひろげて読み始めました。2回、3回と何となく読んだのですが、別に何も感じない。もう少し読んでみようと思って、繰り返し読んでいったのです。

そして「一切の人々に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ」と書かれておりますところに来たとき、「はてな?僕は感謝してたかな?」という気がした。私は地方講師を拝命してから、その8月の末で11年半ぐらいになるのですが、毎日、「ご先祖様に感謝」ということで『甘露の法雨』を誦げて(あげて)いるわけです。それで、「お父さん、お母さん有難うございます」と、毎日、一生懸命やっていたのです。ところが、いろいろ考えてみると、果たして心の底からやっていたかどうかと気がつきました。

でも、「心の底から感謝する」とは、どういうことをしたらよいのか見当もつかない。私はそのまま大調和の神示を読み進んで行きました。5、6回目を読んでいて、「われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる」という箇所に来たとき、私の中に“調和”という言葉がポッと浮かんだのです。「そうだ!! 神様は大調和だ!! 私も大調和だ!!」とこう気がついたのです。

すると、無意識のうちに、「ありがとうございます」と、腹の中からポンと出た。
私はすぐさま合掌して、「ありがとうございます。ありがとうございます」と繰り返しました。

そうすると先ほど申した憎らしくてひっぱたいてやりたいと思っていた人が最初に頭に浮かんできました。ところが、ひっぱたくという気持ちが出なくって、「そうだ、あの時、こんなことでお世話になったんだ。有難かったな。ああ、こんなこともしてもらったなあ」と、有難いことばっかり思い出す。
それがスッと消えると、また次の憎らしかった人が出てくる。何しろ、イヤなやつが沢山おりましたから、どんどん出てくる。それに1つ1つ自分は感謝しているのです。自分でも不思議なわけですが、有難かったことしか思い浮かばないから自然に感謝できてしまうのです。それが終わると、もうその人は出てこない。こんなふうに私は、はじめて皆さんと、その場で和解できてしまったのです。

以来私は、毎日、日に15回ぐらいづつ、この『大調和の神示』を読んでおります。今でも続けていますので、もう何千回になると思うのですが、だんだんに色々なことが解ってくる。“調和”とか “和解”ということは、やはり、相手のお方を生かすと同時に、私も生かされてくることだから、それは“愛”である。“自他一体”である。“調和”ということは“愛”ということなのである。こういうことが素直に私の心に入ってくるわけです。この調和が現れた時に、その中に神様がスッと顕れてくると書かれていますが、私が調和の心に満たされている時、神様はいつもここにいらっしゃるということが解ったわけです。

一番最初、神想観がうまくいかなかったとき解らなかった「此処がこのまま実相世界である」ということが、「ああそうか、こうして感謝している時、神様はいつも此処にいらっしゃる。此処がこのまま実相世界なんだ!!というふうに素直に解らせて頂いたわけであります。
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