気の向くままに

山、花、人生を讃える

「幼な児の心」

2009年10月30日 | 信仰
団参以来、古い「生長の家」誌を読んでいるのですが、つい最近徳久先生が『生命の実相』40巻を20日間で読んだと書いてあるのを見ました。

それを見たとき、一瞬、印刷ミスではないかと思ったのですが、夏目漱石が1時間に500ページ読んだという話を思い出して、印刷ミスではないと思い直し、その真剣さに心を打たれました。

ちなみに、
1時間に500ページというと、「そんなの単なる伝説だ」と思う人もあるかもしれませんが、以前に愛知県の教化部長をしておられた原田 昭先生が――先生は生長の家の本部に奉職する前は、トランペットの名手だったそうで毎日8時間練習されていたとのこと――はじめて見る楽譜でも、見た瞬間に全部わかる、という話をされていたので、伝説ではないと思っています。

話は本題に戻りますが、
昭和58年の新年号から、その徳久先生の「真理教室」というのが連載されていて、何回まで続いているのか最後まで見ていませんが、ともかくそれを読ませてもらっていると、別段目新しいことが書いてあるわけでもなく、聞きなれたことばかりなのに、はじめて教えられたような気持ちになるのが不思議です。

それで、徳久先生がいかに繰り返し御本を読んでおられたかをあらためて感じさせられるとともに、自分は頭の上では知っているつもりになっているが、その頭の上でさえも、なんにも解っていないんだなあということをつくづく感じさせられました。

それはともかく、その「真理教室」の15回目、「神癒」と題する3回目の記事にとても面白くて教えられる話が書かれていました。

徳久先生が昭和42年にブラジルへ駐在されたときのことです。
ブラジル人の信徒がまだ少なかったときで、個人指導を初めの頃は週に2回していたそうです。
ところが、どんどん奇跡が起きて、口コミで伝わって、個人指導を受けにくる人が日に60人も来るようになったとのこと。

徳久先生はポルトガル語が出来ないので、通訳を通して、しかも生長の家の教えは何も知らない相手に対して、どんな個人指導をされたか?そして、どうしてそんなに簡単に奇跡が起きたのか?
興味津々で読ませてもらいました。

「最初から難しいことを言っても解りゃしないので」と言って、徳久先生は、このように書いておられます。

○(個人指導の)第1回目の人には、どんな問題であっても、「私は神の子円満完全、必ず良くなる、ありがとうございます」という言葉を教えまして、1週間暇あるごとに唱えて、来週また来るようにと言って帰しました。

○勿論、それと同時に一人一人のために祈りましたが、人数が多いので、簡単な短時間の祈りをしました。「招神歌」をとなえて、その後で「あなたは神の子円満完全」と強く念じたのです。

とのこと。そして、「私自身、あまりよく癒されるので驚いた次第です」とのこと。

次に1回だけで治らないで2回目を来た人には、「あなたは誰かを憎んんだり、恨んだりしていませんか?」と尋ねると、ほとんどの人がそうだったので、1回目の言葉を続けるとともに、今度は「ゆるしの祈り」を教え、それを繰り返し、繰り返し、数多く唱えるほど良いと指導したとのこと。

そして、
○日に60人以上も来るようになると、朝の7時から、昼食も食べずに午後の5時までかかりました。

とのこと。
徳久先生の祈りの力もあるとは言え、理屈を言わず、素直に信じることの大切さを教えられ、「信」の力の偉大さをあらためて感じさせられました。

昨日は、谷口雅春先生の「神想観の真髄」なる記事を見つけ、夢中になってワードに入力し、A4二つ折りの小冊子に仕上げました。

それには、
○私たちが「自己の神性」を自覚するのは、肉体人間の努力によるのではなく、「内在の神の催し」即ち他力によるのである。肉体の「わしの努力」「俺の精進」などによって「自己の神性」を自覚しうるものではない。

○神想観を行ずるものは先ず「幼な児の心」になることが大切である。神想観とは決して自力の思念ではないのである。それは「既にある実相の完全さ」を素直な心で受けることである。

というように、何度も「「幼な児の心」という言葉を繰り返されて説かれていました。そして、自分に足りなかったのは「幼な児の心」(素直さ)であることに気づかせてもらい、行く道を照らしていただいたようで、嬉しい1日でした。
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