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気の向くままに

山、花、人生を讃える

「オール1」のいじめられっ子、先生になる

2018年06月28日 | 人生

わが町の広報に、講演会とその講師について次のように紹介されていました。

講師:エッセイスト・元高校教師・作家 宮本延春(まさはる)氏

演題:「オール1の落ちこぼれ、教師になる~いじめ、ひきこもり、天涯孤独の絶望を乗り越えて~」

著書:『宇宙を感じる7日間』『こころの羅針盤――親から子に伝えたい60章』『オール1の落ちこぼれ、教師になる』などがある。

 

と、紹介され、そして大きめの顔写真もついているが、爽やかなイケメンである。

 

なぜ、こんなことを書き始めたかと言うと、もう12年も前になりますが、読売新聞にある先生の紹介があり、それが感動的で印象に残っていて、その先生が12年の時を経て、わが町にやって来るというので、勝手ながら運命を感じ、書き始めた次第です。

 

しかも、この講演会のことをわたしに教えてくれたのは家内で、わたしが12年前に感動しながらその先生のことを家内に話したのを覚えていて、それで「あの先生が来るよ」と教えてくれたのです。

 

12年前の職場の新聞にはその先生について、およそ次のように紹介されていました。

 

見出しは「37歳の新米高校教師」と言う見出しでした。最初、先生の授業の始まりについて書かれていました。先生は黒板に各教科の科目名を書いて、それぞれに「1」と書きます。そして「これが何だか分かりますか?」と生徒に質問します。生徒は何のことだかわからないので黙っています。それで先生は「これは私の中学3年生のときの通知表で、私はオール1の成績でした」と、言います。生徒たちは「中学3年の時にそんな成績をとっていた人が、どうして今、先生なの?」というわけで、驚きの表情を見せながら先生を注視しています。

 

先生はおもむろに語り始めます。先生の中学時代はいじめられっこでした。それで、もともと良くなかった成績が3年生の時にはとうとうオール1になったのです、と。

 

中学を卒業した先生は就職して働くようになりました。そして先生に恋人ができました。恋人は近くの職場で働いていた女性で、ある時、その恋人がNHKで放映された「アインシュタイン・ロマン」という番組のビデオを貸してくれました。それを見て先生はどうしても数学の勉強をしたくなったということでした。

 

そして働きながら定時制の高校に通い(ここは記憶違いかもしれない)、数学を猛勉強し、他の教科も勉強し、とうとう一発で或る国立大学へ入学したのでした。そして、修士課程を経て研究室に残り何かの研究をしていた。そして結婚し、順風満帆な生活をしていたが、或る時、先生はふと思った。「研究もいいが、自分はいじめられっこで成績も悪かった。だから、その経験を生かしたい」。そう考えるようになった先生は、思い切って37歳で大学の研究室を後にして、地元の高校教師になったということでした。

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 わたしも40歳中ごろ、ふとしたきっかけでアインシュタインを知るようになり、数学は勉強したいと思いつつしなかったが、宇宙や量子力学の本を読むようになり、その分、おかげで人生が豊かになった気がします。そして、この新聞の記事を読んだときには、「先生よ、あなたもか!」と共感し、嬉しくなったのでした。(ちなみに、わたしも高校時代は落ちこぼれでした)

 

先日テレビを見ていたら、日本の有名な天文学者が言っていました。「UFO」はたいがい何かの見間違いが多い。しかし、天文学者のほとんどは地球外生命の存在を信じている」と。

 

日本人の多くは科学迷信に陥っている感がありますが、しかし、一流の科学者たちは生命の神秘、宇宙の神秘を感じているのではないか。物理学者はこの宇宙をすべて数式で言いあらわせるはずだと信じている。そして、そのことにとても神秘を感じ、さらに、その上には何があるのかと驚異を感じつつ探求し続けている。それは信仰者が「もっと神仏を知りたい、近づきたい」と願いつつ、精進しているのと、ほとんど同じに思えるのである。

ある科学者は言っている。「(たとえ一部でも)この宇宙を、人間が理解できるということが不思議だ!」と。

 


幸せと後悔

2018年06月26日 | 人生

日曜日、娘が孫二人を連れて遊びに来た。そして、父の日のプレゼントを持って来てくれた。

防虫素材のしゃれた帽子(半分ほどメッシュ)と日焼け避けの手袋?です。

 

            

 

             草をむしった後で指先が少し汚れているが気にしない。

 

           

 

プレゼントが欲しいわけでもないのに、プレゼントされると、年のせいか年ごとにうれしくなってきている気がする。わたしは親にプレゼントするどころかされていた方だが、そのことを気にもしなかったし、それどころか、有難くもらっておくのが親孝行、などと思っていたぐらいだった。ところが、こうして子供たちからプレゼントされると幸せ気分になり、自分の親には「申し訳なかった」と、いまさらながら後悔するのである。ただ、一度だけ少し上等な杖をプレゼントしたことがあって、とてもうれしそうだったのが、わずかな救いとなっている。

 

それはともかく、職場で働き、子育てしながら、このように親を思ってくれて、わが子ながら親孝行で、また良い母親ぶりをみるにつけ、「子に恵まれた」としみじみ有難くなるのである。

 


感動的な話

2018年06月05日 | 人生

今朝、「ブログ書きました」を登録したところ、訪問してくださった方があり、それに残っていた「あしあと」をクリックしたら、トップページに「やまびこ」と題する素晴らしい話が出ていました。それで興味を覚え、他の記事も読んでいましたら、「思いがけない贈り物」と題する記事があり、それがとても感動的な話でした。無断で恐縮ですが、あまり善い話なので紹介させてもらいたくなりました。

ここです。

https://blog.goo.ne.jp/rell248/e/332031fe04fdc770776c8e873444afb1

 

身近なところに、こんな話があるんですねえ。


「あしたも晴れ!人生レシピ」

2018年06月03日 | 人生

「明日も晴れ!人生のレシピ」という番組にシスター・鈴木秀子さんが出演して語ったことを紹介させてもらってから、このブログへのアクセス数が増加していましたが、さらに先日よりビッグバンを起こしたかのようにアクセス者数が膨れ上がり、何事が起きたのかとびっくりしていました。一昨日は600人、昨日は750人と、鈴木秀子さんがたくさんの人から求められていることを知り、改めて感動し、わたしもまたブログ上で鈴木秀子さんに関する記事を検索したりしていました。いつかシスターの他の著書も読んでみたいと思っているのですが、わたしが尊敬する「生きがいの創造」シリーズの著者、飯田史彦さんが、こんなことを本に書いていたのを思い出しました。記憶では凡そこんな意味だったと思います。

○(臨死体験をした時)自分の著書を読んでくれる多くの人は、過去の人生で何らかの関係のある人たちであることを知り、読者の皆さんに感謝の思いが湧いて来た。

もし、そうだとするなら、わたしは今のところシスターの著書は1冊しか読んでいないのですが、それでも過去の人生においてシスターに何かの人生の問題で相談をしたことがあったかもしれませんね。

 

さて、先ほど、シスターが出演する「あしたも晴れ!人生レシピ」の再放送があることを知りました。見逃された方はどうぞお見逃しなく。

 [Eテレ]  2018年6月8日(金)  午前11:00~午前11:45(45分)

 


「死にたい」願望が吹っ飛んだ話

2018年05月24日 | 人生

 何年か前、「自殺者の数が毎年3万人を超えるようになり、それが10年続いている」ということでニュースになったことがありました。それで、その後相変わらず3万人を超えているのか、それとも減少しているのか、気になったので厚生省の自殺者数の推移を調べてみました。

 それによると平成10年から23年までは毎年3万人を超えているが、平成24年度は3万人を切り、以後年々減少し、平成29年度には2万1千まで減少していることを知りました。年齢別では特にどの年齢層が多いということはないようですが、性別では女性より男性の方が圧倒的に多いのがわかります。

 若い時代は「死にたい」願望が大なり小なりあると思うのですが、わたしにもそれがありました。思い出話になりますが、高校時代の私は勉強もせず、悪いことばかりを覚え、3度も停学を喰らい、立ち直らなければと思いつつ立ち直ることもできず、希望のない日々を送っていました。しかし、否が応でもやがては社会へ巣立っていかなければならず、4年生になった19才の時、もがくように人生について考える本を読むようになりました。最初に読み始めたのは野末陳平氏の『荘子入門』と『中国の思想家たち』という本でした。その中に老子か荘子に「死ねばみな白骨」という言葉があり、私はこの言葉が大好きになりました。「ああ、そうだ!社会に貢献する優秀な人も、くずのような落ちこぼれの自分も、死ねばみな同じ白骨じゃないか」と、そう思うだけで嬉しい気持ちになり、勇気も湧いてくるようでした。

 また、「無用の用」という言葉も私を喜ばせました。本には、「役に立つ木はすぐ切られるが、役に立たない木はいつまでも切られない。切られないからやがて大木にまで成長し、旅人はその緑の木陰で休むことができる」と書かれていて、落ちこぼれの自分には慰められる話でした。

 そう言えば、シスター・鈴木秀子さんの著書「愛と癒しのコミュニゅオン」という本の中には、こんな話が紹介されていました。簡単に言うと、病院で何年も寝たきりの青年のもとに、ある日同級生が珍しく訪ねてきました。そしていろいろ話して帰るのですが、帰り際に「来てよかった。実は会社の仕事のことで悩みがあったのだが、君と話しているうちに元気が出て来た。ありがとう」と言って帰っていった。それで青年は「自分にも役に立つことがあった」と、はじめて気づいたという話でした。

 さて、決定的にわたしの「死にたい」願望を追っ払ってくれたのは、作家の柴田錬三郎でした。その頃、プレイボーイという週刊誌に「柴錬の一刀両断」という人生相談のコーナーがありました。ある時、一人の大学生から「もうこんな日本に生きているのがつくづく嫌になったので死のうと思っている。柴錬先生はどう思いますか?」という意味の相談がありました。それに対する柴錬の回答が実に素晴らしいものだったのです。凡そこんな回答でした。

○吉田松陰は24才で国禁を破って国外への密航を企てた。25歳で松下村塾を開き、29才で死んだ。高杉晋作は25才で奇兵隊を結成して、29才で死んだ。坂本龍馬は○才で海援隊を組織し、33才で死んだ。(などと5名ほどあげた後)・・・君は今まで親の脛をかじり続け、やっと大学生で21歳になった。それでいよいよこれからという時になって、死にたいというなら、さっさと死んでしまうがいい。(年齢は違っているかもしれません)

と、ありました。当時19歳の私もこの大学生と同じように「死にたい」願望があったので、柴錬のこの回答を読んだとき、まさに青天の霹靂で、飛び上がらんばかりにびっくりし、「死にたい」願望は一瞬にして吹っ飛んでしまったのでした。今思っても実に名回答だと感心するのですが、皆さんはどう思いますか?


ある焼き肉店主の物語

2018年04月30日 | 人生

生長の家に「いのちの環」という月刊誌がありますが、その5月号の特集記事で、繁盛していた焼き肉店をやめて、完全菜食のカフェー&レストランの店に切り替えたオーナーへのインタビュー記事があります。 

それによりますと、オーナーは若いころは肉大好き人間で、それで焼き肉店をオープンした。8年後には従業員15人もいるほどの大繁盛であったが、ある時、インターネットでされる牛や豚の生々しい動画を見て、その動物たちの気持ちが伝わってきて涙が流れて仕方がなかった。そして思い出しては1週間ほど泣いていたそうだ。それからいろいろ迷い悩んだ末、奥さんの励ましに後押しされ、焼き肉店をたたみ、苦労の末、完全菜食のカフェー&レストランをオープンするに至ったとのこと。オーナーは以前は体重90キロもあったそうだが、今は60キロ以下となり、また、完全採食になって奥さんのアトピーもなくなり、夫婦ともに性格も穏やかになったとのことです。

興味のある方は、下のアドレスをクリックしていただくと、カラー写真入りのその記事全文を読むことができます。是非ご覧ください。

http://hidokeilife.com/s/inochinowa/%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc_%e7%84%bc%e8%82%89%e7%b9%81%e7%9b%9b%e5%ba%97%e3%82%92%e6%ad%a2%e3%82%81%e3%80%81%e3%83%b4%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%82%ac%e3%83%b3%e3%82%ba/

 


シスター・鈴木秀子さんが語ったこと ②

2018年04月11日 | 人生

≪先だった娘と母親≫

7年前に娘さんが自死した母親がシスターのもとに通っていたそうです。その母親は次のように言います。

母親:その時点でもう母親失格みたいな、自分の人生すべて否定されたような感じ。寝たきりみたいな生活でした。

そして、3年間ほとんどそんな状態だった敏子(仮名)さんに、シスターは辛い思いを吐き出すように言い、ひたすら聞き役をつとめたとのこと。母親は続けて言います。

母親:(シスターに)言って言って言い続けて、もっともっとって、自分のそういうものを吐き出すと、ある時、ふっと気がつくことがありました。気づいたのは、「いつかは死ぬ」ということ。自分自身も含めていつかは死ぬ。人生は思うようにならないけど、楽しいこともある。生きていてもいいんじゃないかな、自分自身がね。生きていてもいいんじゃないかなという気持ちになった。

そして、このように立ち直り始めた敏子さんに、シスターが次に勧めたのはシスターが開催しているセミナーでその体験を発表することでした。そして、敏子さんはセミナーで体験を発表する。その敏子さんにシスターは言う。 

○あなたにどういうことが起こって、どんなに辛かったかということをみんなに話されたときに、たくさんの人が「勇気をもらいました」って言ってたじゃありません? わたしはあの場面を思い出すたびにもう本当に起こってほしくない出来事が起こり、その出来事によって、今のあなたがあるという、そして、あなたが想像しないところでたくさんの人があなたから勇気をもらっている。だからお嬢さんは大きな贈り物をお母さんにしてくれましたね。お嬢さんは素晴らしいことを天国から働きかけていると思うんです。

場面が変わって、そのことについてシスターは司会者に次のように語っていました。

○やっぱりはじめはとても苦しみましたね。当然ですけども。ずーと辛い思いをしながらも、それでも私のところにきて、今、いのちがあることが、娘はいないけれども、自分はこうして生きている。娘が十何年も自分と一緒に生きてくれたというのが、どんなに嬉しいことだったか、娘のことを思うとやっぱり心が温かくなってくる。だから、娘というのは今は姿は見えないけれども、母親にとっては大きな恵みの存在である。それがわかるようになったときに、娘は死をもって自分に人生で最も大切なことを教えてくれた、それがわかったと言うんですね。

 

いやあ、何か深そうな話ですね。

 

≪臨死体験で変わったこと≫

司会者―—臨死体験をした後、何か変わったことは?

○誰かがなくなったときに、家族は泣いてますよね、亡くなったときに、あの人はあの素晴らしい世界へ行ったんだから、その人のために喜ぶ。家族は悲しいから家族のためには祈りますけれども、亡くなった人のためには喜びを感じるようになりました。それがとても大きなことですね。

司会者――あちらの世界が素晴らしい世界だから、(患者が)病気で苦しんでいらして、厳しい状態の時にも、「安心なさってください」という言葉が説得力を持つんでしょうか?

○(死がまじかに迫っている人たちに)私は手を当てたまま、本当に神様の愛が伝わって私を通ってその方に伝わり、神様の愛が循環しているような、臨死体験で味わった無条件の愛の中にいる安らぎというか、安心感というか、そういうものをもう一度わずかに再現している幸せを感じます。

司会者――なぜ臨死体験の幸福感が再現されるのですか?

○つらい人とか、もう死が控えている苦しい苦しい人はもう見栄とか、体面をつくろうことができない。いのちのギリギリまで迫られているから、その人の“ありのまま”をさらけ出しているわけです。だから私はその人たちから刺激を受けて、自分も飾ることなく、その人たちから“ありのまま”を引き出されて、そうすると、お互いに一体感が浮かんでくるんですね。もう死ぬ前の人間が一番望むのは“愛”だけですよ。だから自分も愛を溢れさせるし、愛を受け止める。だから病人をお見舞いに伺うのは大きな喜びであり、恵みであり、癒しを与えてもらう瞬間でもあるんですね。

 

≪これからの目標≫

司会者――最後に、これからの目標は?

○一つ大きな目標があるんです。年を取るにつれて全部、どんどん、昨日までできたことが、今日はできなくなる。失われてゆく。じゃあ、自分が最後の最後まですることは何だろうかと考えたときに、気づいたことは、息を吸うことと吐くことじゃありません? だから、息を吸うことと吐くことは死の瞬間までするから、これを使わない方法はないと思ったんです。吸うときに感謝を込めて吸い、吐く息に神を讃美する。感謝、讃美という思いを込めて、吸ったり吐いたりする特訓を自分にしているんです。

 

テレビを通して聴いているのを忘れて直接に指導してもらっているような気持ちになり、神の愛が降り注いでくるようでした。名前が一字違いのシスター・鈴木秀子さんに心より感謝です。おかげで自分の名前が好きになりました。感謝、合掌。

 

トチノキ(マロニエ)  横浜「山下公園」で。 はじめてこの花を見たときには、白い衣をまとったキリストのように見えたものでした。


シスター・鈴木秀子さんが語ったこと ①

2018年04月09日 | 人生

「あしたも晴れ!人生のレシピ」でシスター・鈴木秀子さんが語っていることを、文字にして整理しておこうと思って、スローで再生しながら、メモしておりました。すると。耳で聞いているだけよりもなお一層深い味わいを感じ、改めて感動させられました。本を読むとき、読むだけでなく抜き書きすると、同じ言葉が一層味わい深くなるのと同じですね。以下は、その番組で語られたことを、すべてではありませんが文字にし、まとめたものをブログ用に書き直したものです。

 

≪苦しみを幸せに変える秘訣は?≫と司会者が質問したのに対し、

○東北の大震災直後に“絆”ということがたくさん叫ばれましたね。「自分自身と良い絆を築く」これが幸福になる第一の法則と私は確信しています。あなたが自分を叱りつけたり、「なんであんなバカなことをしたんだろう」とか言って自分を責めたりしていると、その人は必ず他の人との関係も悪くなります。「ああ、また自分を責め始めたな」と気づいたら、このマジックカードを覚えておいてください。「意外と私は~~」と言うんです。「意外と私は頑張ったじゃない」とか、「意外と私はみんなに感謝している」、そういうふうに自分のよいところを引き出してみて下さい。

 

≪治る見込みのない病気にかかって心配している男性からの相談の手紙に対しての返事≫

○迷うことも、苦しむことも、人間として当たり前ですが、そういうことを通して、また神様が導いて下さり、すべてよく計らっていて下さると私は確信しております。ともかくその時は、湧き起こってくる感情(心配や不安のことか)を認めながら、それに振り回されず、その場その場ですることに心を振り向けていらっしゃるのが一番かと思います。

このような返事の手紙の中にたくさんの「祈る」という言葉があり、「祈ります」という言葉があったとのこと。そして、以来、その病気の症状がまったく出ていないと、男性は語っていました。

シスター鈴木秀子さんにはこのようなたくさんの手紙が来るそうで、中には何十枚もの長い手紙があるとか。そして、鈴木秀子さんは言います。

○でも、書き終わった時には、「何か心が安らかになりました」というような文章になってるんです。その人の辛さを分かち合って理解してくれる人があると、自然と自分で解決する力が湧き出て乗り越えていくと思います。

また、次のようなことも語っておられました。

○周りの人たちは、「そんな辛い話ばかり年中聞いていて、よく身が持ちますね」って言いますけれども、私はただ側にいて、お祈りで支えることしかできない。いつもすべての人の苦しみを担われてたキリストが共にいて下さる。その人と共にいて下さるという確信が私の中にありますから、だから私は苦しみを吸い込まない、しょわない、キリストに背負ってもらいますから。

○(私は)病気を治してあげて下さいとは祈らない。「治してもらうように祈って下さい」ってみんな言いますよ。「この苦しみがなくなるように祈って下さい」。でも、苦しみがなくなることがその人にとってはたして良いのかどうかわからない。その苦しみを通して、その人が人間として成長していくために、その苦しみに出会っているのかもしれない。今起こっていることの中から、その人が人間として成長していくために役に立つ力を与えてください、というように祈りますね。

 

≪祈りについて≫

「祈りとは何ですか?」と司会者に聞かれたときには、次のような話をされていました。

○或る男性から、「自分は船に乗っているので家に帰ることが少ない。自分の留守中、妻が自分の気に入らないことがあったりすると、子供に暴力をふるったり、火傷をさせたりする。誰かに子供を預けたいが、自分の両親は亡くなっていないし、頼れる人もいない。子供を施設に入れる以外にない」という話だった。私も黙って話を聞いていて、「そうかもしれない」と思った。その時わたしが心から伝えたことは「あなたのために毎日祈ります」ということでした。そしたら、その男性は穴のあくほど私の顔を見てて、「自分のために祈ってくれる人が世の中にいる!」と言って、わっーと涙があふれた出た。そして声を上げて20分ぐらい泣き続けたんです。そして立ち上がって、「自分は祈ってもらっているから大丈夫です。子供も必ず守られて、いい子供として成長していきます」と言った。そういう力を与えてくれるのが祈りなんだと感じました。

本当に素晴らしい話ですね。この男性は子供のことをどんなに心配し、煩悶していたかと思います。そして、尊敬しているシスターからの「あなたのために祈ります」という言葉を聞いた時の様子が目に浮かぶようで、思わずもらい泣きしそうでした。

 

「祈り」について、シスターはこの後このようにも語っておられました。

○(小さいとき、虫眼鏡で太陽の光を集めて新聞紙を燃やした経験から)祈りを知ったとき、私は虫眼鏡なんだと思いました。誰かが苦しんでいる。だけどその人が良くなっていくには力が足りないかもしれない。でも太陽があって虫眼鏡さえあれば、その方の癒やしに火がついて、癒しが活性化していく。あるいは勇気が盛り上がって行く。だから神様はいつでも愛を降り注いでいて下さるけれども、虫眼鏡で集中してその人の中にエネルギーを入れていただく、その助けが祈りだと思ったんです。

シスター・鈴木秀子さんが語ったこと ②

 

 花(カタクリ)よ、お前も感動しているのか?

 


シスター 鈴木秀子さん

2018年04月03日 | 人生

先日、録画するような番組はないかとテレビの番組表を見ていたら、ふと「鈴木秀子」というわたしと一字違いの名前が目に入った。題名を見ると、Eテレの「あしたも晴れ!人生のレシピ」という番組だった。まったく知らない番組だが、とにかく鈴木秀子さんが出演するなら是非見たい、というわけで、すでに7分ほど過ぎていたが録画しながら、番組を見ていた。この人の書いた『愛と癒しのコミュニオン』という本を前に読んだことがあり、大いに感銘していたので、どんな人か興味津々で見せてもらった。≪関連記事 「愛と癒しのコミュニオン」

予想以上に素晴らしい人で、「ふと番組に気がつけて良かった、これぞ神様のお導き」と感謝したことだった。86歳になられるそうだが、今なお忙しくご活躍されているらしい。そんな様子を見ることができ、たいへん嬉しい。

最初の7分を見逃したので、再放送はないかと調べたら、4月6日(金)、11時から再放送があることがわかった。4月6日はわたしの誕生日で、わたしにとってこの上なくうれしい誕生日プレゼントである。

シスター鈴木秀子さんは、47歳の時、修道院の高い階段から転げ落ち、5時間ぐらい意識不明になり、いわゆる臨死体験をしたとのこと。白い金色の素晴らしい光が満ちていて、その中に自分が立っている。そして「無条件の愛とはこういうものだ」と、その時強く感じた。それ以来、死は恐れることではないと確信し、死をマイナスにとらえることはなくなったとのこと。

そして今、ライフワークとして回復のむつかしい人たちを、病院や施設に尋ね、見舞いに行く。そして、その人たちの手を握り、呼吸を合わせると、一体感が湧いてきて、自分と相手とが一つになり、自分を通して神の恵みが注がれるようにと祈るのだそうだ。

そう語るときの、シスター鈴木秀子さんのお顔がいかにもやさしく穏やかで愛に満ちていて、深く印象に残ったことでした。

最期に司会者が「幸せになる秘訣」ついて質問したとき、シスターはこう答えていました。

一つは聖なるあきらめ。わたし達を苦しめるのは「もっと、もっと」という欲張りな気持ち。その気持ちを捨てて(今の自分、今の環境など)を素直に受け入れること。それによって「別の道」が見えて来るとのことでした。

もう一つは、寝る前に3つのことに(何でもいい)感謝をすること、だそうです。感謝は心を穏やかにするのだそうです。

 

チャンネル  [Eテレ] 2018年4月6日(金) 午前11:00~午前11:45(45分)

番組内容  カトリックのシスター鈴木秀子さん(86)が、臨終の人々を看取ってきた経験や信仰、臨死体験という特異な体験から得た、独自の死生観や、人生を豊かにするヒントを語る。 (NHK番組紹介より)     

関連記事 シスター・鈴木秀子さんが語ったこと ① 

 


人生の一コマ

2017年08月31日 | 人生

       夏もはや残月の夢の別れかな

という芭蕉の句があった気がします。わたしの今の気持ちを俳句にすると、こんな感じかなあという気もちで思い出したのだが、記憶が確かでないので調べてみた。しかし探しても見当たらないので、記憶違いかもしれない。

今月中旬に「辞任願い」を提出したが、それが認められことを2日前に知った。そして9月いっぱいをもって、わたしは副会長を退くことになった。1年前、その大役を務めることになったということを書いたので、今回辞任することになったことも書かなければと思う。要はわたしには荷が重かったということだ。そして今、映画「フーテンの寅さん」シリーズの中にあった、一コマが思い出されてくる。

それは、こんなシーンだった。マドンナ役が寅さんの店で働くことになったが、その彼女が働き始めてしばらくしたある日、役所に離婚届を提出する。そしてその足で、寅さんの店の団子屋さんに来て、エプロンをかけ、さあ、働こうとしたとき、思わず悲しみがこみあげてきて、手で顔を覆い、「すみません、今日は帰らせて下さい」というシーンがあった。自分から望んで離婚届を出したものの、きっと予期しなかった悲しさ、寂しさに襲われたのだろう。

離婚と辞任とは比較にならないが、今そのシーンを思い出しながら、その時の彼女の気持ちが少しは分かる気がするのである。

わたしの友達に、自分が浮気して50歳ごろに離婚させられた者がいるが、久しぶりに会った彼はなんとなく刺々しいような、とっつきにくさがあった。噂で離婚したとは聞いていたが、その当時、わたしは単純に「離婚したからと言って、傷つく必要なんかないのに」と思っていた。

だが、今私は自分で出した辞任願いが認められて、良かったと思う一方、寂しさ、悲しさを感じている。ほっとして喜べると思っていたのに。傷ついたというわけではない。ただ、「辞任願い」を出すような結果になったことが、なんとなく淋しく、悲しいのだ。

その友達とは、今年の春、彼の畑の「桃」の木と、「キウイ」が伸び放題になっていて、困っていたところ、わたしを思い出してくれて剪定を頼まれ、それから、この夏には近くのカラオケ喫茶に誘われて2回行き、昨日はわたしの方から彼を誘ってカラオケをしてきた。私は古い歌しか知らず、あまり行きたくはないが、こんな時にはやはり歌でも歌って気を紛らわしたくなるのだ。ちなみに私が好きな曲は小林 旭の「熱き心に」である。ただし、ところどころ伴奏に合わない。

        蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ  (芭蕉)

        淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守  (芭蕉)

        寂しさに「熱き心に」を歌う秋  


嬉しくて,また寂しく

2016年06月06日 | 人生

6月1日、娘に二人目の子(二男)が誕生し、4日は最後に残っていた二男の結婚式だった。

「早く出て行け」と思っていたのに、結婚式が終わった翌日に続いて今日もなんとなくぽかんと穴が開いた感じ。

「とうとうお前も旅だったか」と思う。

 

 


『恋するフォーチューンクッキー』特訓中

2016年02月26日 | 人生

『恋するフォーチュンクッキー』って何か知ってますか?

えっ、知っている?

そうですか、それはおめでとうございます。あなたは、まだ「若い」、ということですね。

私などはなんのことか見当もつきませんでした。

実は、私ども夫婦が、この『恋するフォーチュンクッキー』を、全部ではないですが、半分ほどを踊る羽目になって、ただいま、ユーチューブを見ながら特訓の日々を過ごしております。

どうしてそんなことになったかというと、息子の結婚式の二次会で、新郎の両親が『恋するフォーチュンクッキー』を躍るのを見て、笑いの種にするのだそうです。そして明日、若い娘どもがその録画に来ることになっています。

はじめは、「盆踊りのようなスローテンポならいいが、こんなテンポの速いものは覚えられん」などと息子に文句を言っていたのですが、ユーチューブにはその振り付けを教えてくれるものまであるんですね。それで、それを見ながら特訓してるんですが、覚えるに従ってだんだん楽しくなってきました。なるほど、これなら若い人が踊りたがるのも無理はないですね。嫌がっていた私まで、止められない、やめられない「かっぱえびせん」よろしく、可愛いしぐさの振り付けに夢中!といったところ。

いやあ、それにしても若返りますね~。それに、歌詞だってなかなかよいし。そして、世界中でおどっているのにびっくり。こんな映像を見ていると、世界はひとつって気になり、オイラも仲間に入れろって思います。(笑)

 

    カモン、カモン、カモン、カモン、ベイビー 

    占ってよ

    

    恋するフォーチュンクッキー

    未来はそんな悪くないよ

         Hey!Hey!Hey!

    ツキを呼ぶには

    笑顔を見せること

 

    ハートのフォーチュンクッキー

    運勢

    今日よりもよくしよう

    Hey!Hey!Hey!

    Hey!Hey!Hey!

    人生捨てたもんじないよね

    あっと驚く奇跡が起きる

    あなたとどこかで愛しあえる時間

       ≪中略≫

    涙のフォーチュンクッキー

    そんなに

    ネガティブにならずに

    Hey!Hey!Hey!

    Hey!Hey!Hey!

    世界は愛で溢れているよ

    悲しい出来事忘れさせる

    明日は明日の風が吹くと思う

 

 

さあ、皆さんも歌いながら一緒に踊ってみよう~。

    世界は愛で溢れているよ


どちらが本当の自分?

2014年08月30日 | 人生

人は生活している時の自分と、思ったり考えたりしている時の自分と、二つの自分がいる。

例えば、部下に対して怒ってしまった自分。その一方、あとで悔やんであれこれ考えている自分。こういう場合、どちらがより本当の自分だろうか?

あるいはまた、毎日神想観をしようと思っても、ついついさぼってしまう自分と、どうして、自分はこうなのか、自分は意思が弱いのか、どうしたら毎日できるようになるのか、などと思いつつ、とにかく毎日神想観ができるようになりたいと考えている自分。こんな場合、どちらが本当の自分だろう、とわたしは考える。そして、後者が本当の自分であるとわたしは思いたかった。

つまり、生活している時の自分と、思ったり考えたりしている時の自分と、どちらがより本当の自分かといえば、わたしは、思ったり考えたりしている時の自分こそ、本当の自分であると思いたかったのである。それは、外見にあらわれている自分ではなく、思ったり考えたりしているそちらの方の自分も見てもらいたい、わかってもらいたいという神への無意識の願望があったかもしれない。そして、その考えはまちがっているとも思えなかった。ならば、他に対しても同じである。結論は、「外見では人はわからない」ということになる。そんなところから、自然に、人は何を思ったり考えたりしているのだろう、などと、思うようになった次第である。

しかし、その一方で、「行動を見ればその人の性格がわかる」とも言われる。わたしもそう思っている。これは先に書いたことと明らかに矛盾している。

すると、また振り出しに戻る。人は生活している時の自分と、思ったり考えたりしている時の自分と、二つの自分がいて、この場合、どちらがより本当の自分といえるだろうか?

 

あなたは、どう思いますか?

 

ところで言いたいことはこういうことなんです。

人の寂しさというのは、思うようになれない自分への寂しさと、互いに理解し合えない、誰かとピッタリと心が重なり合わない、そんな二つの寂しさがあるんだろうと思います。

 

さて、こんな記事でも、もし、俺と同じことを考えているなどと思ってくれる人がいたら、とてもうれしい。


最近思うこと

2014年08月28日 | 人生

最近はすっかりブログからご無沙汰しているが、例によって、現在Gooブログはアクセス解析無料サービス期間中で、1日の間にどんな記事にどれだけのアクセスがあったのかがわかるようになっている。

書いているものにとっては、どんな記事が読まれたかを知るのは興味あることである。そして、その読まれた記事を自分がどんなことを書いていたのかとあらためて読み、懐かしさを感じることもある。そんな時は、自分の過去の姿を鏡に映して見ているようでもある。

ブログを初めて5年が過ぎたが、ずいぶんな量になったものだと感心する。一時はワードにコピーして保存しようと考え、コピーし始めたこともあったが、数が多くて、これでは相当な時間がかかると思ってやめてしまった。

人は、他の人はなにを思い、何を考えているだろうと、ふとそんなことを思うこともあるのではないか。インターネット上に何かを書きはじめたきっかけは、そんな気持ちからだった。自分が寂しさ感じていたとき、「人は本当のところ、何を思っているのだろう?何を考えているのだろう?」と誰かと話がしてみたくなった。そんなときに、ちょうど良い掲示板を見つけたので、まず自分が書いて見ようという気持ちになって、書きはじめたのが始まりだった。もう15年か20年も前のことである。その頃、「花や木々は美しいのに、なぜ人は美しく見えないのか」ということを、こまごまと書いたのを思いだす。

        秋深く隣は何をする人ぞ  (芭蕉)

 

最近、わたしは「人も、人の歩んだ人生も、どれも美しいのではないか」と思い始めている。そして「愛はただのきれいごとではなく、人生は結局、愛なのか」とも思い始めている。わたしは今まで、自分の人生を「良かった!」と思えるようにしたいとは思っていた。しかし、何をもって「良かった!」とするかは、漠然としていた。人生を振り返って「良かった!」と思えるもの、それは、愛を持って生きたか、ということではないだろうか。

わたしは今65歳だが、ようやくそんなことに気づきはじめたところである。ずいぶん遅れた感じがするが、それでも気付き始めたことを神に感謝したい気持ちである。

 

○常識とは、所詮、私たちが若い頃に受けた教育が、私たちの精神に及ぼした偏見にすぎません。

○真理と美しさを探究することにおいてのみ、私たちは一生子供でいつづけることができるのです。

○わたしは天才ではない。ただ、好奇心が旺盛なだけだ。

    NHK 「アインシュタイン・ロマン」より、アインシュタインの言葉


働く側の立場

2014年05月13日 | 人生

先日、近くの喫茶店にランチを食べにいき、週刊誌を読んでいたら「おもてなし」ということについて、興味深いことが書かれているのを読みました。

どんなことが書かれていたか、その大意を書けばこんなことでした。

その人は、都合でアメリカに住むようになった。すると、日本のような行き届いたサービスがないことに、「どうしてこんな程度のことをしてくれないのか」と最初は不満に思ったらしい。しかし、そのサービスの悪さにだんだん慣れてくると、別段不満にも思わなくなり、これはこれでいいのかなと思うようになったらしいのである。

そのことから、その執筆者は「サービス」や「おもてなし」ということに考えさせられたのでしょう。続いて、およそ次のようなことを書いていました。

○おもてなし(サービス)」ということは、それを受ける側にとっては有難いことで、結構なことではあるが、サービスを提供する従業員にとっては、それだけ負担がかかることになる。日本では、今さかんに「おもてなし」ということが言われて、従業員教育が行われているようだが、従業員にあまり負担を強いるのは疑問だし、サービスを受ける方も、働く側の立場に立ってあまり過度な期待をしないことが大切ではないだろうか」というようなことが、書かれていたのです。そうそう、アメリカでは、客よりも従業員を第一に考える傾向がある、とも書かれていました。

 

こういう記事を読んでわたしははじめて「働く側の立場」ということが視野に入ってきて、「なるほど~!」と目が開く面白さを感じたのでした。「おもてなし」という言葉は、美しい良い言葉だから、そのよい言葉の方ばかりに目がいって、「働く側の立場」ということがまったく視野に入ってなかったのです。

言われて見ればまったくそうだ、と感心したことでした。私はこれから働く側の立場になって、少々、こちらへの応対に不満を感じた時にも、すぐに、「ご苦労様です」と心の中で声をかけることにしようと思ったことでした。まあ、そんな気持ちにさせてくれるような、気持ちの良い記事でした。