goo blog サービス終了のお知らせ 

気の向くままに

山、花、人生を讃える

人生のさまざまな疑問

2014年05月08日 | 人生

人生ってなんだろう?

人間ってなんだろう?

なんで人間は生まれてくるんだろう?

死んだらどうなるんだろう?

どうしたら人間は幸せになれるのだろう?

なんで人間は不幸になったりするのか?

幸せってなんだろう?

運命ってあるのだろうか?

人生の出来事は偶然なのか、運命なのか、それとも他に何か・・・?

天国や地獄はあるのだろうか、それとも偽りか?

なんであんな良い人が不幸になるのか?

なんであんな良い人が早く死んでしまうのか?

能力や体力に恵まれた人と、そうでない人がいるのはなぜか?

人によって貧乏な国に生まれたり、豊かな国に生まれたりする違いは何か?

そのことに何か意味があるのか?

なにも悪いことしていないのに、船の転覆に巻き込まれたりするのは何故?

神や仏がいるというなら、なんで助けないのか?

勉強し、働くのに意味はあるのか?

そして、これらの疑問に対する答えは、あるのか、ないのか?

 

生きていると、一度はこのようなさまざまな疑問が頭をかすめることが誰にもあると思います。

昔、近所を伝道していた時、以前に学校の先生をしていたお婆さんが、福沢諭吉の「学問のすすめ」を取り出して、わたしに読みなさいと薦めたことがありました。読むと、その本のはじめにはこう書いてありました。「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず」と。この言葉は有名だからそれぐらいはわたしも知っていましたが、その後に続く言葉を読んで、ちょっと驚きました。大体の記憶で書くとこんなふうでした。                                                                                          「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。なのに人には上下(貧富や身分)あり。その上下は何によってそうなるか。それは学問のあるなしによる。だから人は大いに学ぶべきである」と、まあ、こんなふうに書かれていたのです。つまり福沢諭吉は「平等」よりも、「学問をせよ」と言いたかったのですね。

そういえば、フーテンの寅さんが、道で出会った和尚に「学問て何でしょうか」と質問すると、その和尚が「学問というのは、己を知ることだよ」と教える場面があったっけ。

さて、誰もが一度は頭をかするこれらの疑問に対し、「答えはあるかないか?」というと、実はあるんですね。こういうと、「真っ赤な嘘だろう」という人があるかもしれませんが、ほんと、あるんですよ。もしなかったら、こんな疑問も出て来ないはずですし、それにどこかに答えがあると予想するから、知りたいとも思うのでしょう。                           

では仮にこれらの答えがあるとして、それらの答えを、一応頭の中だけでも知って人生を歩むのと、まったく知らずに歩むとではずいぶん人生における姿勢が変わるとは思いませんか。変わるに違いないですよ、きっと。                                                                                   いま後向きなら、前向きになるに違いありません。

では、たまたまこの記事をお読みくださったあなたが、これらの答えがみつけられますよう、ご幸運を祈ります。


男と女

2014年05月01日 | 人生

今日からはや五月、コールデンウイークですねえ。

4月からは剪定の仕事もたまにしかなく、わたしは毎日がコールデンウイークのようなものだが、それでも世間同様にゴールデンウイークを迎えている気分。それで幹部研鑽会のあとは、精神の張りも緩んでしまっています。で、昨日は録画してある映画「遥かなる山の呼び声」と「幸福の黄色いハンカチ」の二つも続けて見てしまいました。そして、自分たち夫婦と映画とをいつのまにか重ねて見ていました。

しかし、なんですねえ。この映画もそうだけど、男は、どうして女を泣かせてしまうんだろうねえ。一人になれば生きる気力もなくしてしまうくせに、なんでもっとはじめから優しくできないのかねえ。ハッピーエンドになればいいってもんじゃないよ。そう思うだろう?

いきなりここで芝居がかって。
「そこのあんた、あんたも奥さん泣かせてるんじゃないか。」

「そういうあんたはどなたさんか知らないが、しかし、それが男というもんじゃないか。」

「う~ん、言われてみれば、確かに。」 (おい、ここで相槌打ってどうするんだ)

ここまで、まだ頭の中が映画を見ている気分。

と、ここで突然思い出した。
先日の幹部研鑽会のこと。千葉教区の発表で、ますますの家庭調和を目指した運動が行われているとのよし。その具体策は、

≪レベル1≫家族互いに握手をしよう。                                                                                                                        ある家庭で、握手をするようになってお婆さんがとても喜んでくれるようになったとのこと。

≪レベル2≫讃嘆し合おう、だったかな。

≪レベル3≫互いに共感し合おう、だったかな。

その後、レベル5まであったと思うが、残念ながらよく覚えていない。感謝行も入っていたはずだが、ある人が1日、3万回「ありがとうございます」と唱えることを決意して、その期間は忘れたが、ともかくそれを実行しているうちに「癌が消えた」体験が出たとのこと。それから、その話を聴いた胃癌の人が、「どうせ死ぬなら」とやってみる気になって「ありがとうございます」を続けていたら、やはりその胃癌(1㎝5㎜の大きさの塊)も消えてしまったという、本人の写真を見せながらの事例報告が発表されました。

いやあ、皆さん素晴らしいですねえ。

 

思い出しましたが、いつか剪定作業の休憩時間に、話題が奥さんの話になって、一人が

「いやあ、昼に帰っても、勝手に何か食べとけってなもんだもんなあ」とこぼす。

すると別の一人が「どこでも同じようなもんさ」と相づち。

そこでわたしは「いやあ、俺は今でも愛されてるよ」と、さも当然だというように澄ました顔で言う。

すると、別の一人がすかさず「あんた、自分でそう思っているだけだろう」と混ぜ返す。

そこで、みんな大笑い。

 

いやあ、おもしろい。愚痴を言いながらも、みんなかあちゃんを愛しているんですねえ。だから奥さんの話題になるときは一番盛り上がる。その家の奥さんまで、輪に入ってきておもしろそうに聴いている。大きな声だから、隣近所に筒抜けだが、愉快なひと時です。

では、皆さんも、奥さんをお大事に。そして、旦那さんをお大事に。


『ツインソウルの仕掛け』から

2013年09月22日 | 人生

今、わたしの手元に飯田史彦という人によって書かれた「ツインソウルの仕掛け」と題する朗読劇の台本があります。内容は飯田史彦が実際に体験した物語(そこで交わされた会話の一部始終)を、そのまま再現されたものです。昨日久し振りに読んで、仕組まれた謎に感銘を受けました。それで、その要点書かせてもらおうと思い立ちました。

 

≪あらすじ≫

或る時、ある夫が、自分でいのちを断ってしまいました。その瞬間、「しまった!とんでもないことをしてしまった!」と猛烈な後悔が押し寄せ、その魂は深い闇の中に閉じこもってしまいました。その闇の中で、辛い苦しい悔悟と反省の日々を過ぎました。そのうちに、どうしてこんなことになったのか、すべての状況がわかって来ました。そして、残してきた彼の妻にどうしても謝りたい、あるメッセージを伝えたいという思いが湧きおこって来ました。そしてある時、彼の魂は飯田史彦の魂につながることができ、わたしの家内にメッセージを伝えたいから、是非そこへ行って欲しいと頼みます。

飯田史彦は乞われるまま、休日をとって彼の奥さんのもとを訪ねました。(飯田史彦はこの時点でこれまで100回もの、このような魂のメッセンジャー役をしてきているとのこと)

彼はなぜ自殺してしまったかというと、うすうす奥さんが他の男と深い関係になっているのに気づいていたのです。そして、ある日、彼の子供(まだ幼い)が実は自分の子でないことに気づいてしまいました。彼はこれからその幼い子供を見るたびに、自分の子でないことを思いださなければならない。そんなことを思うと恐ろしくなってどうして生きてゆけばよいのか、頭が混乱してわけがわからなくなってしまいました。彼は絶望と深い悲しみに打ちひしがれ、居間に飾ってあった新婚旅行の時の写真を抱きしめ、男泣きに泣き、ついにいのちを断ってしまったのでした。

一方、残された奥さんは、その頃には、深い関係になっていた男と再婚していました。そして前の良人を裏切り、結果的には自分が夫を殺したのだと、罪の意識にさいなまれていました。

 

さて、飯田史彦は、その死んだ夫の魂と共にメッセージを携えて彼女の家を訪れました。

はじめは「あなたの夫のメッセージを伝えにきた」といっても、いつものことながら信用されず、この場合は、ついに魂自身が飯田史彦の口を借りて、みずから話し始めました。声は飯田史彦の声ですが、その言葉遣いや抑揚は生前の彼そのものでした。それで奥さんも半信半疑ながら、ドアを開いて飯田史彦を家の中に迎え入れました。

会話が進み、夫に違いないとわかるにつれて、奥さんは彼が復讐に来たと思い、不安と恐れで気持ちを動転させますが、彼が優しく落ち着いた声で、「そのために来たんじゃない。謝りに来たんだ」といい、少しづつ落ち着いた会話ができるようになりました。

 

その夫と奥さんとの会話が進む中で、次のようなことが彼の口から明らかにされていきました。

一部を抜粋し、あとは結論をまとめて紹介します。

 

夫:謝ることないよ。いまの俺には君の気持ちがようわかんねん。死んだあと、俺らに関することを全部知ったからね。君と彼との関係も、君と俺との関係も、俺らとケンタ(子供の名前)の関係も。

(注) 死んだら、「すべてが明らかになる」ということは、『神との対話』にも書かれていました。

 

夫:そう、しくみ。たとえば、君といまの君の旦那は「ツインソウル(魂の半身)」やねん。

妻:じゃあ、わたしがあなたと結婚したのは間違いだったの?

夫:いや、それはそれで必要な出逢いやった。おいらが出逢って同じ時を共に過ごすことで、生まれる前から定められたいろんな課題を解決できたんやから。だから結婚したのは大正解。

 

夫:ちゃんと結婚もして、結婚生活をしながらお互いの課題をちゃんと解決できたら、自然に心が離れていって離婚することになっていた。

妻:え!?離婚する予定だったの?でも、それじゃああなたがかわいそうじゃない・・・妻に逃げられるのが運命だったなんて・・・。

夫:まあ、かわいそうやなあ。

妻:そんなの運命じゃないわよ。わたしが悪い女だから、あなたを裏切ったのよ。みんなわたしが悪いのよ。誰のせいでもないし、運命なんかじゃない。ぜんぶ私のせいよ!」

夫:そこやねん。そうやってな、俺が死んでからずっと、君はひとりでずっと自分を責め続けて苦しんできたやろ。

 

引用はこれぐらいにして、あとは、この自殺した魂が明らかにしたことの要点を書かせてもらいます。

○彼と妻は、これまでの過去生でも身近な関係で互いに切磋琢磨しあってきたソウルメイトだった。

○彼は、今生で妻に裏切られても、その悲しみに耐え、必死に生きて行こう。そういう試練を自分に与え、その協力を彼女にお願いし、彼女は同意した。だから、互いが結婚したのは正解だった。ただ、自殺してしまったことは大なる誤算(失敗)だった。彼は、自殺などしないで、悲しみに耐え、離婚し、そして生き続ければ、その後、彼もツインソウルと巡り合う予定になっていた。

○一方、奥さんは、はじめからスムーズにツインソウルと巡り合っていれば、良人を裏切るようなことをしないですんだ。しかし、彼を裏切る悪い女を演じる辛い悲しい役柄を引き受けたのだった。そして、彼を裏切るということが、彼女自身の生長の為でもあった。彼女は彼を裏切りながら、同時に彼女のツインソウルに尽くす使命を果たし、またケンタを産み、母親として、ケンタの学びの手伝いという使命も果たしている。だから、良人の子でない子供を産んだのも間違いではなく、正解だった。彼女が味わった罪悪感は彼女にとっても尊い経験になる。しかし、いつまでも罪悪感を抱き続けていては、彼女のためにならないし、死んだ彼自身も救われない。そのために、彼女の罪悪感を解放してやらなければならない、その事を死んだ魂は伝えたかった。

 

まあ、だいたいこんなことが書かれていました。そして、彼と彼女は罪悪意識から解放され、魂の平安を得られることになったのでした。

 

ちなみに『神との対話』には、こんな美しい物語が描かれていました。(記憶再現)

 ≪小さな魂の物語≫

天の領域に小さな魂がいました。

彼は、しきりに何かを体験したがっていました。

それで、神様が小さな魂に聞きました。「あなたは、何をそんなに体験したがっているんだね?」

小さな魂は答えました。「わたしは赦すことを体験したいんです!」

神様は言います。「それは不可能だね。周りを見回してごらん」

小さな魂は周りを見回しました。すると、みんな完璧な素晴らしい魂ばかりで、一人として赦さなければならないような魂はいないのでした。そして、彼はしょんぼりと肩を落としました。

するとそこに、別のもう一人の魂が彼の前に進み出て言いました。「僕を赦せばいいよ!」

小さな魂は怪訝そうに答えます。「えっ、わたしが完璧なあなたのどこを赦せばいいというんですか?」

別の魂:二人で地上に生まれていって、僕が君になにか悪いことをするから、君はそれを赦せばいいよ。

小さな魂:完璧なあなたが、どうしてそんなことまでして、わたしに協力してくれるんですか?

別の魂:僕たちは今までもそうやって協力しあってきたじゃないか、君は忘れてしまったのかい?ただし、条件がある。僕が君にどんなひどいことをしても、その時には今の完璧な僕を思い出して欲しい。いいかい、きっとだよ。

小さな魂は喜び勇んで答えました。「はい!きっと、きっと、今の光り輝く完璧なあなたを思い出します!」

そうして、二人の魂は天の領域を離れ、地上に生まれていきました。

そして、神様はいう。「あなたは、今もこの約束を忘れないでいるだろうか?」と。

 

申し訳ありませんが、わたしは忘れっぱなしです。ほんとうにすみません。でも、思い出すよう努力しますから、これからもどうぞよろしくお願いします。

 


薫風

2013年05月04日 | 人生

風薫る五月!気持ちがいいですねえ。薫風だ。

我が家の生垣のツツジが満開寸前。近所の皆さんがいつも「きれいですねえ」と讃嘆してくれます。だから今年も花をいっぱいつけて、カラフルに咲き誇る。それを見ながらわたしはいつも「五月だなあ」と思うのです。

五月は鯉も空に泳ぎ、人の心も躍る季節。

そういえば、自分がまだ若葉だったころ、「コイの季節」とかいう歌があったっけ。

あ、これは関係ないか。 

いや、そうでもない。

五月は、人が万物に恋をする季節なんだ。

いや、それとも万物が人に恋をする季節なのかもしれない。だから万物が輝くのかも・・・。

 

知ってますか?

すべては物質に見えていても、本当の姿は霊的波動なんですよ!

量子論でも言ってますよ。「波であるものが、観察したときには粒になる」と。

すべてがお互いに波動で、そのお互いの波が混じり合い、影響し合っている。

だからお互いに意思の疎通もできるんですね。

 

むかし、「霧笛が俺を読んでいる」という映画がありましたが、僕はそんな気障なことは言いませんが、しかし、やっぱり「山が俺を読んでいる」なんて真面目な顔して思っている・・・。ハハハ、しかし、自分が山に行きたいと思うより、山に呼ばれていると思う方が、幸せな感じがしますが、なんででしょうね。(笑)

ところで、昨日『生命の実相』の第7巻にある「艱難を光明化せよ」という章があり、あまり素晴らしかったので、「朗らかに笑って生きよ」という章も合わせて、まるごと抜き書きして小冊子にしたのですが、その中に、こんな一節がありました。

○そうだ、神は生命の源であってわれらは皆、生命なのだ、生命の本来の面目は自由自在なところにある。しかし、自由が自由とわかるのは、自由がただ障害を破ったときにおいてのみである。剣の名手は、敵者(あいて)があらわれてはじめて自分の自由を現実にすることができるのだ。水は平地にたたえられている時は、まだその自由は潜んでいるにすぎないのである。それが逆境の上に置かれるとき何物をも押し流す自由を得るのだ。

○おお、逆境こそはわれらの生命にいっそうの自由を与えるものではないか。空気の抵抗があるので飛行機は空を飛ぶことができるのではないか。タイヤに摩擦があるので自動車は地を走ることができるのではないか。どこにも障害のない世界、抵抗のない世界、摩擦のない世界は、本当は自由のようでも、その自由は永遠に発揮されないで「可能」の形の世界ではないか。

思い出しましたが、「ヒッグス粒子」という「神の粒子」とも形容される粒子が、昨年か一昨年だったかに発見(まだ確実ではないが)されたと話題を呼びましたが、これは宇宙誕生の初期(まだ星々が誕生する前)に、それまで質量もなく自由に飛び回っていた素粒子たちが、宇宙の中に突然にあらわれたヒッグス場、ヒッグス粒子によって抵抗を受け、それによって質量をもつようになったとされています(仮説)。質量とは「動きにくさ」でもあるわけですが、その「動きにくさ」によって、逆に自由になったようなものです。人間も質量があるから、ちゃんと安定して大地の上に立っていられるようなものだ。つまり、かつては素粒子たちも宇宙に突然現れたヒッグス機構という逆境にさらされた時代があったわけですね。そして、それが、今わたし達の身体にもなっているわけだ。だから、人は歩くのに抵抗のある山に登りたくなるのかもしれないね。

それはともかく話がとんでもない方向へそれたので、どう締めくくってよいか分らなくなってしまいました。まあ、皆さん、善い休日を。

お詫びに出血大サービス、今思いついた恥ずかしい句を。

      薫風や空から天使の投げキッス

おのおのがた、「朗らかに笑って生きよ」でござりまするぞ。ワッハッハ


自分に絶望している若き人に

2012年09月12日 | 人生

わたしの高校生時代は灰色であったことは以前にもどこかで書いたのだが、何がそんなに灰色にさせたかと言うと、その一番のものは「勉強ができない病」に罹っていたからである。

船舶エンジニアという仕事につく自分にとって、勉強不足、知識不足は決定的な不安材料だった。

その頃の自分を見るに、とてもそのような仕事をやっていける自信がなかったし、国家試験さえ受かる自信もなかった。

今でもよく覚えているが最初の成績は40人中12番だったが、3年の本科卒業時は38人中の37番だった。

はじめはお遊びのような単純な、ただ勉強しないというだけのものだったが、だんだん深刻なものとなり、4年生になり社会へ巣立つのが現実味を帯びてくると、「どうして自分はこんなに落ちぶれてしまったんだろう?」「自信満々だった中学生の頃の自分と、今の自分とどっちが本当の自分だろう?」と考えるようになった。

そしてまた、「これから社会へ巣立っていかなければならないというのに、自分自身のことさえどうにもできないで、いったいこれから自分はどうなってしまうんだろう?」などと不安の中で、なんとか立ち直らなければと思い悩んでいたのである。

そして、立ち直るきっかけをつかみたいと思ったのか、本屋さんで「老子」「荘氏」あるいは「韓非子」等の中国の思想家たちの本を見つけて読み始めた。

その中に、老子だったか荘子だったかの本の中に、「無用の用」ということが書かれていた。それがわたしに小さいながらひとつの転機を与えてくれた。

そこにはおよそこんな意味のことが書かれていた。

「役に立つ樹はすぐ切られてしまうが、役に立たない樹は、いつまでも切られずにすんで大木となり、旅人に緑の木陰を提供することができるのである。これがすなわち、無用の用である」と。

わたしはこれを読んで、「無用の用」ということを知り、一種の開き直りの心境になることができ、切羽詰まった心境から、「今の情けない自分こそが本当の自分だったのだ。それでいい。もうもがくのはやめよう」と思い、少しは気が楽になったのだった。

そしてわたしは開き直っただけで相変わらず勉強できずにいたが、『生命の実相』を読むきっかけを得て、生長の家を知り、熱田神宮に早朝神想観に通い、「物質はない」「肉体はない」と知り、ひとりでに「勉強ができない病」から解放され、勉強する自分になっていた。(興味のある人はこのブログの2010年11月21日の「物質はない」と題した記事がありますから、読んでください。)

さて、後年、わたしは労働組合へ出向を命じられて、3年間その労働組合に在籍したことがあり、その頃に、勉強のため労働に関する研究論文を読んだりしたのだが、その中に一つ面白い記事があった。

その論文によると、組織というものは、どんなに優秀な人間ばかり集めても、いずれ必ず、上、中、下のグループに別れるというのである。ここでいう「上」とは、指示されなくとも率先して仕事をこなす人、「中」は指示されたことだけをやる人、「下」は指示されたこともまじめにやらない人のこと。

わたしはこれを読んだとき、不思議な、何か奥深い意味があるような神秘な感じを受けたのだった。それで、わたしはどうしてこのことに神秘な感じを受けるのだろうと考えざるを得なかった。

それでわたしが思ったのは、組織というものは、上の部類の人だけではだけでは成り立たない、上があり、中があり、下があってはじめて組織は安定するのだと。

優秀な社員ばかりだとしたら、きっと息が詰まってしまうに違いない。中の人がいて、さらには仕事をなまけるような下の人がいるからこそ、上の人も息が詰まらず安定して仕事を続けられるのではないか。

そんなことを思いつつ、ともかく何か神秘めいたものを感じて、考えさせられたのだった。

今思うと、生長の家の教えから考えれば、上、中、下、と3つのグループに分かれているように見えても、より大きな目で見れば、これも三位一体のひとつではないかという気がする。一つの集団の中に先頭を行く人がいて、後をついて行く人がいる。それだけのことで、それは役割分担というものであって、価値の優劣ではないのではないかと思うのである。

ここまで書いて思い出したが、社会人になってからも、わたしはときどき「高校生になって自分が落ちぶれた本当の原因はなんだったんだろう?」考えることがあった。

そんな或る日、それが本当の原因と言えるかどうかわからないが、ふと思い出したことがあった。

始めにも書いたが、ともかくわたしは田舎の中学ながらその頃まではスポーツでも勉強面でもリーダー的存在だった。そして、そんなわたしにいつも影のようにわたしの後をついてくる一人の目立たない地味でまじめな同級生がいた。普段は仲の良い友達だったが、部活になるとわたしはよく彼を叱責した。叱責しても彼はいつもわたしの後をついてきていた。

そして、中学卒業後の高校入学前にふと思ったことがあった。

「わたしのように先頭を切る人間と、彼のように黙って後からついてくる人間とどちらが偉いのだろう?」と。わたしは思った。彼のように黙って後からついてくる人間こそ、本当は偉い人間ではないだろうか」と。だから、わたしは高校では地味で目立たない、黙って後から付いていく人間になろうとほんの一瞬ながら思ったことがあった。そんなことは忘れてしまっていたが、あるいはそんなことも少しは影響していたのかなと思った。

それはともかく、今考えても、まじめに人生について考える人ならば、誰もこのことに対して「否」と答えられる人間はいないだろうと思う。

人の目から見れば、人には優劣があるように見えるのは確かだが、しかし、「無用の用」ということを考えると、そんな優劣などというものは、根拠のないはなはだ心もとないものだと思う。

実際「神との対話」によると、人間は本当の自分を知り経験するために、いろいろなものに生まれかわるのだという。ある時は優等生、ある時は劣等生というように。優等生とはどんなものか知りたいと思うとき、優等生となって生まれ、反対に今度は劣等生とはどんなものか知りたいと思えば劣等生として生まれ、それを経験すると書かれている。(この喩えはわたしの思いつきで、このとおり本に書かれているというわけではない)

だから、劣等生だからと悲観する必要は全然ないのである。これを読むあなたがもし劣等生で落ちこぼれであるなら、むしろそんな劣等生の人生を選んだあなたは勇気ある人と言えるかもしれないのである。そして、もし、もう劣等性は卒業したと思えば、いつでも劣等生を卒業することができるのである。

ちなみにわたしが信仰する『生長の家』の聖典といわれる『生命の実相』の第4巻(谷口雅春著 日本教文社)にはこのようなことが書かれている。

○何が起きてきても、こういうことだけはいえる――各人にとって救いとならないことは一つも起きない。つまずく人はつまずくことによって悟り、苦しむ人は苦しむことによって救われ、悩んでいる人は悩んでいることが光明を拝する一過程になっているのです。みな神の子であって救われないものはない。あらゆる苦しみも、結局その人が神の子である実相を悟るために必要な余財でありますが、それには廻り道と近道とがある。

近道とは真理を悟ること。廻り道とは迷うことであって、近道を行くほどその苦しみが少なくてすむので、『生長の家』を読んで病気が治ったり、人生が楽になるのは、その人が神の子である実相を悟る近道を行くことになるからであります。  P168

 

以上は今朝の新聞に子供の自殺者が200人、その中に「自分の進路に悩んで」という人もあるのを読んで、自分の思ったことを思いつくままに書かせてもらった。

長々と書いたが、ある人にとって少しでも参考になるものがあればと思う。


『よろこびの発見』

2012年02月18日 | 人生

久し振りに更新する気になりました。
といっても特別なことがあったわけではないのですが。

もう春はそこまで来ている筈ですが、相変わらず冷たい日が続いています。
しかし、昨年は名古屋ってこんなに寒かったかなあと思ったのですが、この冬はその寒さにも慣れたのか、昨年ほどには寒さを感じず、わたしの部屋の暖房時間が大幅に減りました。夜はほとんどの日が風呂へ入る直前の9時になってはじめて暖房を開始します。朝もほとんどが早朝行事の時間だけ。そして、設定温度(ファンヒーターです)も昨年の13℃から11℃まで下げました。暖房中の部屋の温度は11~12℃ぐらいで、普通なら寒い筈ですが、今年は何故かこれでちょうど良いぐらい。
「できるだけ地球にやさしく」という意識は勿論ありますが、だからといって、特別我慢しているわけではなく、自然にそうなりました。
剪定作業のおかげでもあるかなと喜んでいます。

昨年は腰の怪我のせいもあってほとんど山へ行けなかったが、今年は出かけたいと思っています。
春山の季節が近づきつつあって、楽しみなことです。
2日前、近くの「植木センター」というところを覗きましたら、鉢植えの福寿草があり、見ているうちに欲しくなって買ってしまいました。懐かしい春の花に、山へ行けるまで待ち切れなかったのです。

昨年秋から90歳の義母が我が家に同居しています。
認知症の気があるので、医者に診てもらったところ、まあ、年相応だということだったらしい。
物忘れが激しく、どこへ行ったかといつも引き出しの中をあれこれ探しているようです。それだけならいいのですが、そのたびに家内が隠したと思うらしく、家内に詰め寄ったり、憎まれ口をたたいたり・・・。といっても本人は憎まれ口ではなく、大真面目らしい。そして、またそんな憎まれ口を叩いたこともすぐに忘れてしまうようだ。そういうわけで、家内は心配したり閉口したりしながら、どう向き合っていったらいいのかと、いろいろと勉強させられているようです。

わたしにとって痛いのは、二人で自由に出かけられなくなったこと。
日帰りの山なら一人で出かければいいが、小屋泊まりの山旅は一人ではさびしい。
この際、山登り専用の恋人でもつくってしまうか・・・。ははは。

先日、出講に行った後、ふと思い出して徳久先生の晩年の講話ビデオがあったのを思い出して久し振りに見ました。タイトルには「徳久先生最後のご講和」とあった。ビデオを見ると、冒頭に、「91歳になるが、有難いことに年齢のことはまるで念頭になく、いっちょう恋愛でもしてやろかと思っているぐらいです」などと挨拶されていた。91歳でも徳久節健在だったのが、なにか嬉しかった。

徳久先生で思い出しましたが、義母の家から運び出した古い本の中に徳久先生の『よろこびの発見』というのがあり、読んだら実に素晴らしかったので、ときどき読み返したいと思って新版を買いました。そしてまた読みました。そして、出講でも、素晴らしい本だからとお薦めさせてもらいました。



○私は目を見ひらいて、私自身が生きているということを、もう一度ふりかえってみた時、いままで何の変哲もなく当たり前だと思っていた、この「生きる」ということが、じつに不思議な事実だということを発見したのである。そう考えてもう一度自分をふりかえってみると、呼吸していることも、ご飯を食べることも、大小便をすることも、心で何か思うことも、すべてのことが不思議になってきた。こんなことは医科大学でいとも簡単に説明され解決されていたはすであったのに、いまの私にとっては全然解決されていない、新しい事実となってしまったのである。すべてが不思議なのである。しかし、それでいながらすべてのことを喜べるのである。感謝できるのである。同じ世界にいながら、新しい世界へ生まれかわったのである。

(『よろこびの発見』より引用。徳久克己著 日本教文社 ISBN-4-531-06314-7)


憧憬

2011年12月26日 | 人生

今朝は積雪約10センチ。
出勤する人は大変だろうが、部屋の窓から見ている限り、雪化粧をした風景が見られるのは有難い。

さて、男と云うものは強いものに憧れるものだが、純真な心をもった子供のころからそういう傾向は誰にも強くあるらしい。だから、いつの時代にも子供たちにとってのヒーローがいる。
私の子供時代は月光仮面がその第一にあげられるだろう。そういうヒーロー物語を漫画やテレビ、あるいは本を読んで、自分もそのヒーローのように、「強きをくじき、弱きを助ける」ものになりたいと思うのである。

やがては学校の勉強、あるいは社会に出て働くようになるにつれて、そういう憧れは、現実生活の中で影をひそめていく。現実と物語とは違うのだと云うことをだんだん知っていくからである。
しかし影をひそめても、自分もヒーローのように弱きを助けたいと云う思いは、余裕が出てくると、また復活して来るものらしい。

私が還暦を迎えて退職願を出し、社長に最後の挨拶に訪れた時、
社長が、「まだ退職するには早いと思うが、退職して何をするんですか?」と聞かれたので、
私はなんとなくこれからは人の役に立ちたいという希望があったので「どうなるかわかりませんが、ボランティアでもやりたいと思っています」と答えると、
そばにいた重役が、「重役連中も退職するときは、みんなそう言うなあ」と言ったのでした。
その時、わたしはとっさに「そうか、みんなそうなのか」と思いながら、意外でもあり、「やっぱりそうなのか」とよくわかるような気もしたものだった。
みんな競争社会の中で頑張りながら、心のどこかで「こんな筈ではない。何かが違う」と感じていたんだろうなあ。だから、今度はボラティアのような人助けになるようなことをしたくなるんだろうと、頭の中がくるくると回転したことでした。

今年の2月に脚立から落ちて腰椎圧迫骨折となって療養中の3ヶ月ほど、16時から再放送されていた「水戸黄門」を毎日楽しみにしていた。見始めるとなかなか面白いのである。私の兄の同級生グループもみんな水戸黄門のファンと云うし、シルバーの剪定仲間にも水戸黄門ファンはいる。
つまり、「水戸黄門」は現役を退いたシルバー世代のヒーローなのである。現実生活ではかなわなかった心の思いの幾分かを水戸黄門を見ながら満足させているのではと思う。

さて、谷口雅春先生の「無門関解釈」の中には、こんな話が書かれていた。

まだ公娼制度があった頃、生長の家のある先生が西ノ宮の或る遊郭で遊女たちに講演をしたと云うのである。簡単に言えば「あなたたちは、いくら家が貧しいからといってこんなところへ売り飛ばされて親を恨んでいるかもしれないが、しかし、自分の娘を売って喜んでいるような親がどこにあるだろうか。大切な娘を売りに出さなければならなかったお父さんも、あなたたち以上につらかったに違いない。」
こんな話をしながら、お父さんを赦し、感謝するよう指導し、神想観を教えたそうだ。
そして、娘たちは教えられたとおり、父を赦し、感謝する祈りを続けた。

するとしばらくのうちに、遊女の父親たちが、お金を持って娘を引き取りに来たと云うのである。
それが1人や2人ではなく、その妓楼で抱えていた遊女が20数名から12名に減ってしまったとのことだから、偶然と云うような話ではない。
娘たちが、そんな薄情な父は本来の姿ではなく、それは仮の姿であって本当は仏のような慈父であると観じて、赦し感謝したとき、このように本来の慈父が現実となって現われてきたというのである。

これに感動したのがその一部始終を見てきた妓楼の主人であった。その主人は感動して、娘たちがまだ働いて返金していかなければならなかった残金分を全部棒引きにしてしまったとのことであった。

しかも借金を棒引きにし、抱えていた娘たちが親に引き取られ働き手の数が減ったなのだからその分、収入は減りそうなものだが、さにあらず、金払いのよい上質の客ばかりが来るようになって以前よりも収入が増えたとのことであった。

実に水戸黄門もビックリのドラマが現実にあったというのだから、素晴らしい話である。

思い出したが、「神との対話」の中にはこんな話があった。

○妬みは歪んだ感情だが、憧憬というのはお姉ちゃんがドアのノブに手が届くのを見て、わたしも早く大きくなりたいと思う感情だ。憧憬は推進力になるものであって、悪いものではない。

「憧憬だけでは何にもならいない」と、つい自分を否定してしまいがちだが、こういう言葉を聞くとまた私は嬉しくなってしまうのである。


やあ、久しぶり!

2011年09月12日 | 人生
台風12号が過ぎてから晴天が続いているが、8日からシルバーの剪定作業が始まった。
久し振りの仕事で緊張した朝を迎えたが、無事に初日を終えることができてホッとした。

木に登り、片手は枝につかまり、枝をかわして上体を伸ばし、かがませ、もう一方の手で伸びた枝を切り落としていくのは、慣れていない身体には結構な重労働でさすがに疲れたが、帰ってからさっそく水風呂に身体を沈めた。ああ、この充足感!

そう思った時、ふと高校時代のあるシーンが甦った。

それは高校1年か、2年の春の遠足でのこと。
周辺には何もなく、ただダム湖があるのみだった。
そして、付近には一人の悪友意外に同級生もいない。

その時、悪友が悪魔のような声でわたしにささやいた。
「おい、泳ごうか。淡水だから気持ちがいいぞ~」
「おお、それはいい」と、
さっそく素っ裸になって水の中に入った。
そして、湖の中の方へ向かって二人で泳いでいった。

うーん、あれは気持ちが良かったなあ。

そう言えば、どこからか小さな観光船がやってきたので、手を振りながら「おーい」なんて大きな声で呼びかけたんだ。そうしたら、向こうも手を振ってくれたんだった。
その大声で気付いたのか、教官に見つけられて、「すぐ上がってこ~い」と怒鳴られてしぶしぶあがったけど、教官も怒りながら苦笑いしていたような。ひょっとして自分も泳ぎたかったのでは・・・。

書いていて思い出したが、朝の掃除の時間に廊下にたっぷり水を撒いて、滑る、滑るって他愛もなくはしゃいで遊んだこともあったなあ。あの時もやっぱり同じ体育の先生だった。いやあ、懐かしい!
怒っても、憎めない先生だったなあ。


昔の思い出はさておき、水につかりながら思った。
暑い中、寒い中を外で仕事ができること。これは有難い、と。
仕事でなければ、「暑いのはいや、寒いのはいや」となるところだが、仕事となれば嫌も応もなく、仕事をしているうちに、暑さも寒さも忘れて「どこ吹く風」になってしまう。それだけでも小気味のよいことで、さらに運動させてもらって、お金までいただけてしまう。いやあ、いい仕事であると、またあらためて喜んでしまった。


さて、また話は変わるのだが、あの時の自分が、こんなふうにブログを書いていると思うと、どうも妙な気もちがしてくる。それで、昔の自分に挨拶してみた。


今の俺:やあ、久し振り、元気かい。
あの時の俺:やあ、久し振り。もちろん元気さ。それにお前と違っていつまでも若い。
今の俺:なるほど、それは結構。 あれからどうしてた?
あの時の俺:お前の中で、いつもお前を見守っていたよ。
今の俺:それはかたじけない。これからもよろしく頼む。
あの時の俺:なあに、礼には及ばん。俺はお前で、お前は俺だ。
      それに、お前が書く記事を楽しみにしているよ。
今の俺:そういわれると心強い。ありがとう。
    久し振りに挨拶もしたので、今日はここでおしまいにするよ。またな。


ということで、わけのわからぬことを書いてしまったが、しかし、これが青春というものかもしれない。

と、またわけのわからぬことを書き始めそうなので、これにて本日は打ち切りなり。  
         

人生とは?

2011年02月13日 | 人生
昨日は、人間が救われるのは、はじめから救われている実相があるからだということを書いた。
そうすると、「始めから救われている、神の子・人間が、なぜ、迷ったり、病気になったりするのか」という疑問が起きる。また、「初めから救われている実相があるなら、この人生に何の意味があるのか」という疑問も起きる。

以前から、このような疑問に自分自身が納得できるような回答を出してみたいと思っていたので、この機会に、学んだことを整理してみたい気持ちになった。

まずはじめに、「完全円満なる神の子が何故迷うか?」ということだが、神の子なる実相人間は未だかつて迷ったことがなく、迷ったりするのは現象人間である。その「現象人間は何故迷うか」というと次のような理由になる。

神の子なる実相人間が地上へ現象人間として顕現する時、二つの変化が起きる。

一つは、無限次元の実相が、縦、横、厚みの三次元に限定された形で顕現するということ。
これは、テレビ放送の形なき電波がテレビ受像機を通って、ブラウン管上に二次元的に表現されるようなものである。あるいは、三次元なる役者が縦横二次元のスクリーンに限定された姿で映し出されるようなものであると教えられている。

もう一つは、実相世界が現象世界へと顕現するのに、時間的序列をもって顕現されるということ。
つまり、時間が必要であるということ。
これは朝顔の花の種の中には最初から朝顔の花の理念があるが、地上で花を開くまでには、双葉となり、茎が太く生長し、蕾ができ、ついには花が開くというようなもの。
あるいは、巻き収められたフィルムの一巻にはその一巻の中にすべてがあるが、それがスクリーンに映し出されるときには、時間的序列をもって展開されるのに似ている。

このように実相人間が地上へ顕現したところの現象人間は、上の二つによって縮小限定された姿をもって顕現する。このとき、顕現した現象人間は、自己を限定された形において見、それをそのまま自己だと思う。これが最初の錯覚である。霊的存在なる自己を肉体的存在と思い、霊的実質を物質として見る。そして自己が弱くて卑小、また自と他と離れた別々の存在だと思う。そのような錯覚のうえに、現象人間には病気や利己主義的な争いが現れてきたりする。

こうして現象人間はいろいろ不完全な姿をあらわすが、誰が現象人間として顕現しているかといえば、実相人間が顕現しているのであるから、現象人間の奥には実相人間がいる。
現象人間は、自己の不完全な姿を見て、「これが人間である」と思うが、その一方でその奥から、「これは本当の自分じゃない」という実相人間から囁きかける声を聞く。そして、人間は二つの声のはざまで揺れ動きながら、生長していく。

「人間・神の子」とは、「完全円満」の意味でもあるが、もう一つは「無限力」の意味でもある。無限力でなかったら、知恵か、愛か、何かが足らないということで、完全円満とは言えない。また、神の子とは、自由な選択権をもった「主人公」ということでもある。

もし、すべてが成功ばかりで、何をしても躓くこともなく、汽車がレールの上を走るように、すらすらと運ぶばかりにお膳立てされていたら、無限力を発揮する機会も、主人公として自由な選択権を行使する機会も与えられないことになる。躓くことがなければ、起き上がる力がある自分を知ることはできないし、その喜びを知ることもできない。また、「悲しみ」を知ることもできない。喜びと悲しみの両方を知る程度に、困っている人を助けたいという衝動も強くなるのかもしれない。


このように現象人間という立場に立って言えば、わたしたちは、迷いつつ試行錯誤を繰り返しながら、時間の経過とともに、この地上に実相の花を咲かす過程にあると言える。それは画家の心の中にはすでに無限の美があって、その美を二次元のキャンパスの上に表現したい衝動を感じるように、わたしたち人間も、本来持っている実相の神の子の素晴らしさを、この地上というキャンバスの上で、人生という機会を通して表現したいと試行錯誤を繰り返しているのに似ている。

そして、できるだけ苦しみや苦悩少なく、すみやかに神の子なる素晴らしさを表現するためには、現象人間という仮の姿にごまかされず、その奥にある本当の人間、実相人間こそが本当の人間であると知ることが大切なのである。

思ったより長くなったが、これで、自分なりにほぼ納得できる回答を出せた気がする。

これらのことを生長の家を通して教えてくださった神様に、そして生長の家に、心より感謝。ありがとうございます。

瓦か、ダイヤモンドか?

2011年02月12日 | 人生
昨日の話の続きだが、彼はなぜ立ち直ることができたかといえば、ひとつは父の指導が良かった。
いじめられっ子のままではかわいそうだ。息子に自信を持たせてやりたいという父の愛と、信じて待つという信とがあった。目の前の情けない姿を見ていると、はがゆくてつい怒ってしまいがちだが、「ここで怒ったらおしまいだ」とぐっとこらえて待ったところが実に偉いと思う。できそうでなかなかできないことだ。

この話でもう一つ強く印象付けられたのは、分かり切ったことのはずだが、ひきこもりの息子がこのように立ち直れたのは、はじめからその立派な本性があったということだ。

おそらく父親は、当初、ここまで立派に生長してくれるとは思わなかっただろう。ただ、普通の生徒になってくれればいいという思いで、それ以上には望んでいなかったと思う。だが、ふたを開けたら予想以上のものが出てきた。劣等生と見えた中に、予想以上のものが秘められていたということである。

この話を聞いて思い出したのは、若い頃によく読んでいた谷口雅春先生の「無門関解釈」という本に書かれていた話だった。

ある和尚が毎日瓦を磨いていた。不思議に思った弟子が和尚さんに聞いた。
「毎日瓦を磨いておられますが、いったい瓦を磨いてどうされるんですか?」
和尚は答えて言う。
「瓦を磨いてダイヤモンドにするんだ」と。
それを聞いた弟子が笑って言う。
「和尚さん、瓦をいくら磨いたって瓦は瓦ですよ。ダイヤモンドにはなりません」
そう言って、弟子は「はっ」と気付いた。
「今まで凡夫が修行して仏になろうとばかり思っていたが、そうじゃなかった。初めから私は仏だったのだ」と。

人間が救われるのは、はじめから救われている実相があるからである。
そして、万人にこの実相が宿っている。
そんなことを思いつつ、この教えをいただいている有難さをしみじみ思った一日だった。

ある父と子の物語

2011年02月11日 | 人生
先日、シルバー剪定の先輩がわたしの家を訪れたとき、こんな話を聞かせてくれた。

彼の長男は小さい頃、学業の出来がとても悪かった。身体も小さいせいもあっていじめられっこであった。そして今でいうひきこもりになっていた。

このままではいかんというので、父親の彼は、そんな息子を町のスポーツクラブのひとつ、卓球の練習に誘った。始めの頃は、さもやる気のない、いやいやな態度でやっていた。父親の彼はそんな息子に何度も怒りそうになったが、「ここで怒ったらおしまいだ」と思って我慢し、彼がやる気になるのを辛抱強く待った。彼は言わなかったが、良い時があれば、きっと声援の掛け声をかけることもあったと思う。

するとその息子が中学三年の時には郡のチャンピオンになった。
勉学の方でも国立大学に進学した。

書けばこれだけの短い話だが、心に刻みつけられる話しだった。
ちなみに、父親の彼自身も小さい頃はいじめられっ子だったとのこと。
そのせいか、昨年の大河ドラマの坂本竜馬にはいたく感動していた。

人生の夕焼け

2010年12月11日 | 人生
昨夜、布団に入って寝しなに『聖使命』新聞を読んでいたら、恵美子先生の話の中で清超先生著「新世紀へのメッセージ」という本の中から、「来世」について書かれているところが紹介されていた。

一読して、夕焼けのような美しさに目頭が熱くなった。
時には読み返したいと思うので、ここへ書き留めさせてもらうことにした。


○夕焼けになると、あしたは晴れると言われますが、その「あした」が来ることは確かですね。
けれども人生の夕焼けに、あしたが来ると言えるでしょうか。人生の夕暮れは「晩年」といって、やがて日が暮れるように、人生も終わりになります。これはどんな人にも訪れる肉体の死のことですが、それで「いのち」がすべて終わるのではない。次の人生という「あした」が来ると考えるのが、昔から多くの人々の信じた「来世」の信仰ですね。それは非科学的だというかもしれませんが、本当は超科学的な現象で、物質的な測定が出来ないという問題だというだけの話でしょう。しかし「いのち」や「愛」や「知恵」は、測定が出来ないのです。だからそれらがナイとは言えないでしょう。アルと考えて、しかも永遠の「いのち」を信ずるのが、人間の生き甲斐の本源と言えるのではないでしょうか。
その上、私たちは美しい夕焼けを望むように、人生の晩年も、美しい夕焼けでありたいと思います。しかしそのためには、死ぬ時だけを美しく、安楽に、しかも尊厳死を、というわけにはいかないものです。(以下略)

面白かったこと、感動したこと

2010年12月09日 | 人生
一昨日ことだが、剪定をしながらよもやま話をしていた時のこと、先輩が、
「うちの娘は出戻りでね、孫が『僕にはどうしてお父さんがいないの』と聞いてくる時があるんだけど、そういう時は何と答えていいのか困るね」と言う話をして来た。わたしは「ああ、そうか」と思い、爺ヤとしてのそんな気持ちも分かる気がしたので、唐突だったが飯田史彦の本に書いてあった話をした。

「小さい子どもたちは、けっこう前世や生まれてくる前のことを記憶しているらしく、この夫婦は離婚する可能性が高いことを分かっていて、自分に試練を与えるために、そういう夫婦を選んで生まれてくる子供もいるらしいよ」と言った。
すると、うれしいことに、こんな唐突な話にも、
「ほう、そうかね!」という反応。それで続けて、
「小学校入学前の5歳ぐらいまでだと、けっこう生まれてくる前のことを覚えていたりするらしいよ」

そんな話をしているところへ、60代後半と思しき家の主人から「お茶が入りましたので、休憩して下さい」との声がかかったので、今度はお茶をいただきながら、話の続きをした。

「産婦人科学会でも前世を記憶している子供たちのことを論文に発表しているけど、親が子供の言うことをきちんと聞いてやると、生まれてくる前のことを話したりする子供も少なくないらしい」と言った。
すると、今度は別のもう一人が、
「産婦人科学会か何か知らんけど、俺は、どうも前世なんて言うのは胡散臭い気がしてしょうがないなあ。そんなこと言っても、結局なにも証明なんできないんだろう?」と言う。

こうなると受け売りながら私の得意とするところ、ここぞとばかり私は言う。
「そりゃあ証明はできんよ。だけど、学校で先生が自殺しちゃあいけませんよ、いじめはダメですよというと、子供たちが素直な気持ちで『どうしていけないの?』と聞いてくるらしいんだよね。すると、先生もどうやって答えていいのかわからないらしい。そりゃあ、死んだら何もかもおしまいというなら、自殺はいかんという理由が成り立たない。世の中にはいじめられたり、借金でやくざに追い回されたり、病気で苦しんで『死んだ方がいい』と言う人はいくらでもいる。死んで何もかもおしまいになら、もう苦しまなくていいんだから死なせてやればいいはずなのに、そうはならん。やっぱり、そこに何かあるんじゃないの?」

すると、その人曰く、
「お釈迦さんが色即是空、空即是色とか言ってるらしいが、最近の物理ではそれが証明されているらしいね」と来た。これには私も意外だったが、喜んで言った。
「あれ、よく知ってるじゃないですか。そうそう、現代の物理では昔から宗教で言われてきたことが証明されてきてるんですよねえ」
すると、今度は
「そんなこと言ってるようでは、あんたは政治家にはなれんねえ」と言いだした。それで、わたし
「おかけで行くところもなく、シルバーへ来ました」と答えると、「やっぱし」ということで意見が一致し、次は政治の話になった。

仕事を終って愉快な気持ちで家に帰ると、面白そうに笑って聞いていた主人の顔が頭に浮かんで来る。きっと前世やら、色即是空やら、現代物理などという意外性が面白かったに違いない。それに剪定屋の口から出てくるアンバランスが、また輪をかけて面白かったのだろう。そんなことを思い出していると、またまた面白くなって、一人笑えたことだった。


昨夜は「クローズアップ現代」で、「延命治療の是非を考える」ということで、幼いころから重い病にかかっている18歳の若い女性とその家族ことを紹介した番組を見ることになった。その若い女性は「もう延命治療をしない」と決意し、その両親も、その娘さんの意思を尊重していたとのこと。

記者のインタビューに、18歳の若い娘さんが「長生きすることよりも、いかに生きるかが大事なことだと思う」と手持ちのホワイトボードに書いて、何の悔いもないというような明るい笑顔で答えていたのが感動的で印象的だった。

ところがその後、腎不全を併発して全身がむくんできた。治療を受けるとすれば、長時間の人工透析が必要になるとのことだったが、父親はいよいよ娘の死が近づいてくるのを感じて、まだ生きられるものなら生きてもらいたいと願うようになり、娘さんに「生きられるチャンスがある限り、できる限りの治療を尽くして、少しでも長生きしてもらいたい」と、娘を説得しはじめた。しかし、娘さんの意志は固く、彼女は言った。
「私はこれまですべての治療を受けてきた。私は、最後まで家族と共にいたい。気持ちは変わらないのだから、もう、私を苦しめないで」と。
父親もそれ以上は言えず、延命治療はしないで娘さんは長い闘病人生を終え、今年の9月に旅立ったとのことだった。

医師のコメンテーターは、キャスターの「これを見て先生はどんなことを感じられましたか?」の質問に答える中で、「この中で一番共感したのは、やはり、お父さんの少しでも長く生きいてもらいたいという気持ちに、一番共感しましたね」と答えていた。

だが、私が一番共感したのは、娘さんの「わたしはすべての医療を受けてきた。もうこの辺でいいだろう」というような気持ちに一番共感し、そのけなげさに感動させられた。
それだけに、この父親には娘さんに生きてもらいたいと説得するのではなく、娘さんの意思を確認するにとどめてほしかったと思う。娘さんはきっと旅立つ時が来ていたと思うし、死を覚悟している明るい笑顔が何よりもそれを物語っていたと思う。

ということで、愉快と感動の印象に残ったこの2日間の出来事でした。

不離一体

2010年10月06日 | 人生
夏の名残りの「あさがお」が、まだまだ健在、というよりますます元気。
毎日50もの花を咲かせています。

今は、夏とは違って涼しくなったせいか、夕方まで咲いています。
これは午後の3時30分に撮ったもの。

種がこぼれて芽を出さないように、翌日には萎れた花柄を一つ一つ摘んでいます。




次は富士山の頂上からの御来光(9月5日)。
とは言っても、わたしが登ったのではなく、長男が職場の同僚と登ったときのもの。
山開き中の最後の日曜日だったらしく、天気も良く、大渋滞だったとのこと。
一面の雲海の彼方から顔を出し始めた御来光が素晴らしい。




昨日の「クローズアップ現代」は、妻に先立たれた男たちのことが取り上げられていた。
ゲストは聞き洩らしたが医学博士だったようで、「何度もそういう別れの場面を見てきたが、いざ自分にそれが現実となったとき、これほどとは想像しなかったぐらいに落ち込んだらしい。
また、このゲスト出演者に限らず、妻に先立たれた男たちの多くがそんな状況になるようである。

なるほどわかる気がするが、いざ現実となると、想像しなかったほど深刻な状態になるということなのだろう。
そうなっては困るが、どんな気持ちになるのか、経験してみたい気もしないでもない。
どんな悲しみか、そして、それがどれほどなのか?

そんなことを思いつつ、月に一度ぐらいは「今日が最後」というつもりになって、ありったけの感謝の気持ちをあらわしてみるのも良いかもしれない、などと考えたが、家内が気持ち悪がるといけないからやめておくことにした。

いずれにしても、生まれてくるのも一人だし、この世を去る時も一人である。
そして、知っていても知らなくても、例え幽明を境にしても不離一体であることに違いはない。
離れたり、くっついたりしながら、私たち人間はすべてと一体である本当の自分を思い出していくのだろうと思う。
家内は、わたしにとって、そのことを共に学び思い出していく最も身近な相手であり、もっとも身近な存在なのである。
感謝。

御縁

2010年10月01日 | 人生
今回の団参中、小菊さんに逢うことができました。いくつかの偶然が重なって・・・。

実は私自身は、お逢いしてみたい気持ちもありましたが、逢いたくないという気持ちもありました。
逢いたくないというのは、全くの自分の都合、つまり自分の正体、自分の現実は知られたくないからですが。

そんなことから、特に「お逢いしましょう」というような約束はしていませんでした。
約束していなければ、お互いにブログでしか知らない同士ですから、先ず逢える可能性はないと思っていました。それでも、もし逢うことがあれば、それはどんな偶然からだろうと、楽しみでした。

わたしに考えられたのは、だれかがブログの話をしていて小菊さんの名前が出て、ちょうどそこを私が通りかかって耳にした時・・・。
だが、そんな都合の良い偶然があるだろうか?
あったらまさに奇跡ですね。

さて、団参の最終日の前日、雨天の中、奥津城参拝がありました。
その後、住吉霊宮を参拝し、温故資料館をゆっくりと見学させてもらいました。
その住吉霊宮に着いた時、背後の山並が雨に煙り、3つの灯台が薄いガスの中に見え隠れしているその様子がなかなか良かったので、家内をモデルに立たせて写真を撮っていました。その時、近くにいた同じ地区の誌友が、「一緒に撮ってやろうか」と声をかけてくれたので、「じゃあ、せっかくだから」と、家内と並んで撮ってもらっていました。

すると・・・ちょうどその時に住吉霊宮の参拝を終えたらしい小菊さんが通りかかったのでした。
そして、人違いかもしれないところを勇気を出して、わたしたちに声をかけてくだいました。
多分、このブログに掲載した、山で二人並んで写っている写真と重なったのかと思います。

最初に家内に話しかけられたので、わたしはてっきり家内の知り合いかと思い、気づくのが遅く申し訳ないことでしたが、ここで偶然が起きるとはまったく予想もしていませんでした。

御縁というものは不思議なものです。
楽しみにはしていても、名前も知らず、実際に逢ったこともない人を、800人もいる中から見つけるなどということは、余程の偶然でも起きない限り難しいと思っていましたが、その偶然が重なって、本当になってしまいました。

第一に、団参中、家内は他の白鳩さんと行動を共にしているので、わたしと連れ立って歩くのはこの時だけでした。昨年は、この時も別行動していました。

第二に、ときたまわたしと親しい誌友さんが近くにいて、「一緒に撮ってやろうか」などと言ってくれたので、「じゃあ、せっかくだから」というので撮ってもらったのですが、このように声をかけていただいても、目的の半分以上は記念写真というより景色を撮ることなので、断ることの方が多い。

第三に、そこへちょうど小菊さんが通りかかったこと。あるいは逆に、小菊さんが通るタイミングで私たちが並んで写真を撮ってもらっていたこと。(これが決定的な一番の偶然ですね)

第四に、他のほとんどの人はもう温故資料館に向かっておられて、そのあたりにはほとんど誰もいなかったこと。もし、わずか10人ほどでもその前を傘をさして歩いておられたら、あるいは気付かれることもなかったかもしれません。

こうして、必然の偶然が重なってお逢いすることが出来たのですが、それでも人違いの可能性もあったわけで、声をかけていただき、本当に嬉しく思いました。

もうひとつ、昨年と同じくyoshimiさんご姉妹も参加されておられて、少し話が出来たのですが、お二人から讃嘆の雨をいただいて、舞い上がってしまうほどでした。
これもうれしい、記憶に残る良き思い出です。

感謝、合掌。





        ありがとう 今ありがとう 神いのち