前回に続きロバート・ウォーカーの作品からです。『ハートのクイーン』は「女検死官ジェシカ・コラン・シリーズ」となっているが、前作で紹介した超能力者のキム・デジナーもジェシカ・コランと並んで主人公として活躍しています。
科学に裏打ちされたものしか信用にはジェシカが超能力者のキムと一緒に連ニューオーリンズの連続殺人事件を調査することになった時、お互いの能力を認め合いながらも警戒しあったジャブの応酬があります。自分の狙う別の連続殺人犯に怯えるジェシカはキムの超能力にすがろうともしますが、一時心を許しあうシーンでジェシカがキムに言った台詞。超自然的で説明のつかない出来事を見せ付ける超能力者に、頼りにしながら他方で全面的に信用しようとはしない、そんな多くの人間の態度をジェシカはこういったのです。
「神様もきっと、そういう目にばかりあうんでしょうね」
常々思うのだが、このような気の利く台詞が出せることが欧米のノベルの粋なところだと思う。こんな台詞を実生活で吐いてみたい。
粋な台詞の他に、物語の進行に併せて作者なりの哲学が登場人物の口を借りて出てくることも魅力の一つ。
「わたしたちが誰で、どういう人間かとか、これからどういう人間になるかを左右するのは、わたしたちが抱いている恐怖心と不安なのよ」
何気ない台詞なのだが、仕事なり恋愛なりで他人と相対峙するときに、相手方がこちらをどう思うかって気になりません?交渉に強い人間って、こちらがどう思おうと関係なくグイグイと攻めてくる。こちらは相手がどう思うかが気になってくると、相手の望むようなことをつい言ってしまう。「恐怖心と不安」を持つか、持ったとしてもどう対処するか、世に問うほどの名言ではないが、真理をついていると思う。作者の哲学がこんな形で出て来ることも読書の愉しみだ。
ニューオーリンズでゲイばかりが狙われる連続殺人が起こる。被害者がすべて心臓を抉り取られているという共通がある。別の狂人殺人犯から付けねらわれているため、ボディガード付の生活で隔離されているジェシカは、殺人犯を誘きよせるためにもニューオーリンズ行きを希望する。一緒に行くのは超能力者のキム・デジナー。お互いに信頼しつつ、でも対抗意識を持ちつつ、現場に乗り込むが、担当の警官はどちらにも素っ気無い。自分の担当事件が取上げられると思っているから。有能だが敵意を持つ担当警官と一緒に事件に当たるのだが、このあたりの反発と次第に育ってくる尊敬の念は決してワザとらしくはないが、お約束のパターン。結末は、親からの愛情を嫉妬するあまり弟を妬む最初の被害者の姉(精神を病んでいる)が犯人で、この一族が政界に顔が利くばかりに、警察上部と地元FBI局長すべてに因果を含めて事件を歪めていた。それを科学捜査に超能力が加わって、一気呵成に解決していく。
謎解き自体は大した魅力ではないです。ジェシカとキム、そして地元警察のシンスボウのお互いの対抗意識とそれらが氷解するまでに進行が読みどころ。
「人生は振り返って理解することはできる。しかし、人は前に向かってしか生きられない」
キルケゴールが言った台詞として紹介されているが、これも実生活に当て嵌まる名句。例えば、ビジネスにおいて結果論からどうやこうや解説する輩がいるが、説明や解説が上手くても、自分がビジネスを実行できる訳ではない。人が気付く前に市場ニーズを見出し(これは時には独断的な判断のように見られることがある)、それへの対応を考え出す。誰もやったことがなく、気付いてないことだから、上手な説明ができる訳でもない。得てして廻りは反対意見。これを押し通して成功するやいなや、「顧客のニーズをうまく汲み取った」とかなんとか解説がなされて、成功するのが当たり前であるかのように説明をする評論家たち。最近そんな報道や社内での小ざかしいコメントにうんざりして来ている。
科学に裏打ちされたものしか信用にはジェシカが超能力者のキムと一緒に連ニューオーリンズの連続殺人事件を調査することになった時、お互いの能力を認め合いながらも警戒しあったジャブの応酬があります。自分の狙う別の連続殺人犯に怯えるジェシカはキムの超能力にすがろうともしますが、一時心を許しあうシーンでジェシカがキムに言った台詞。超自然的で説明のつかない出来事を見せ付ける超能力者に、頼りにしながら他方で全面的に信用しようとはしない、そんな多くの人間の態度をジェシカはこういったのです。
「神様もきっと、そういう目にばかりあうんでしょうね」
常々思うのだが、このような気の利く台詞が出せることが欧米のノベルの粋なところだと思う。こんな台詞を実生活で吐いてみたい。
粋な台詞の他に、物語の進行に併せて作者なりの哲学が登場人物の口を借りて出てくることも魅力の一つ。
「わたしたちが誰で、どういう人間かとか、これからどういう人間になるかを左右するのは、わたしたちが抱いている恐怖心と不安なのよ」
何気ない台詞なのだが、仕事なり恋愛なりで他人と相対峙するときに、相手方がこちらをどう思うかって気になりません?交渉に強い人間って、こちらがどう思おうと関係なくグイグイと攻めてくる。こちらは相手がどう思うかが気になってくると、相手の望むようなことをつい言ってしまう。「恐怖心と不安」を持つか、持ったとしてもどう対処するか、世に問うほどの名言ではないが、真理をついていると思う。作者の哲学がこんな形で出て来ることも読書の愉しみだ。
ニューオーリンズでゲイばかりが狙われる連続殺人が起こる。被害者がすべて心臓を抉り取られているという共通がある。別の狂人殺人犯から付けねらわれているため、ボディガード付の生活で隔離されているジェシカは、殺人犯を誘きよせるためにもニューオーリンズ行きを希望する。一緒に行くのは超能力者のキム・デジナー。お互いに信頼しつつ、でも対抗意識を持ちつつ、現場に乗り込むが、担当の警官はどちらにも素っ気無い。自分の担当事件が取上げられると思っているから。有能だが敵意を持つ担当警官と一緒に事件に当たるのだが、このあたりの反発と次第に育ってくる尊敬の念は決してワザとらしくはないが、お約束のパターン。結末は、親からの愛情を嫉妬するあまり弟を妬む最初の被害者の姉(精神を病んでいる)が犯人で、この一族が政界に顔が利くばかりに、警察上部と地元FBI局長すべてに因果を含めて事件を歪めていた。それを科学捜査に超能力が加わって、一気呵成に解決していく。
謎解き自体は大した魅力ではないです。ジェシカとキム、そして地元警察のシンスボウのお互いの対抗意識とそれらが氷解するまでに進行が読みどころ。
「人生は振り返って理解することはできる。しかし、人は前に向かってしか生きられない」
キルケゴールが言った台詞として紹介されているが、これも実生活に当て嵌まる名句。例えば、ビジネスにおいて結果論からどうやこうや解説する輩がいるが、説明や解説が上手くても、自分がビジネスを実行できる訳ではない。人が気付く前に市場ニーズを見出し(これは時には独断的な判断のように見られることがある)、それへの対応を考え出す。誰もやったことがなく、気付いてないことだから、上手な説明ができる訳でもない。得てして廻りは反対意見。これを押し通して成功するやいなや、「顧客のニーズをうまく汲み取った」とかなんとか解説がなされて、成功するのが当たり前であるかのように説明をする評論家たち。最近そんな報道や社内での小ざかしいコメントにうんざりして来ている。