国道56号線を40分ほど歩くと、松山自動車道への取付け道路が分岐する広い
交差点に出た。その角に番外霊場・永徳寺はある。
今から1,200有余年前、弘法大師が四国を巡錫中、この辺りに差し掛かったとこ
ろ日が暮れてしまい泊まるところもなく、空腹のまま小川に架かる土橋の下で野宿
をした際、一夜が十夜の長さにも感じたといわれる場所に建つ霊場である。
「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」
このお大師さんの歌から、十夜ケ橋との名がついたと言われている。
その橋も今では広い国道56号線の道路の延長で、コンクリート橋が架かっていて、
橋の存在すら感じないような様相を呈している。
橋の袂に、河原に降りる階段が付けられている。
そこを降りるとコンクリートを打った広場になっていて、その隅の丁度橋の下に祠が
あり、弘法大師が横になって眠っている石像が置かれ、そのわきには、ピンクの暖か
そうな布団が寄進されている。
こうして橋の下で眠っておられるお大師さんに配慮して、遍路が橋の上を通るときは、
杖を突かないとの風習は、この逸話から起こったと伝えられている。
しかし、今では、橋の上はそんなコツコツという細やかな杖の音どころではなく、手を
伸ばすと届きそうな頭上では、ゴーゴーと行交う車の騒音が、絶え間なく聞こえている。
この地は、全国でも珍しい修行としての野宿が認められた場所らしいが、とても安閑と
眠っていられるような環境にはない。(続)
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今から1,200有余年前、弘法大師が四国を巡錫中、この辺りに差し掛かったとこ
ろ日が暮れてしまい泊まるところもなく、空腹のまま小川に架かる土橋の下で野宿
をした際、一夜が十夜の長さにも感じたといわれる場所に建つ霊場である。
「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」
このお大師さんの歌から、十夜ケ橋との名がついたと言われている。
その橋も今では広い国道56号線の道路の延長で、コンクリート橋が架かっていて、
橋の存在すら感じないような様相を呈している。
橋の袂に、河原に降りる階段が付けられている。
そこを降りるとコンクリートを打った広場になっていて、その隅の丁度橋の下に祠が
あり、弘法大師が横になって眠っている石像が置かれ、そのわきには、ピンクの暖か
そうな布団が寄進されている。
こうして橋の下で眠っておられるお大師さんに配慮して、遍路が橋の上を通るときは、
杖を突かないとの風習は、この逸話から起こったと伝えられている。
しかし、今では、橋の上はそんなコツコツという細やかな杖の音どころではなく、手を
伸ばすと届きそうな頭上では、ゴーゴーと行交う車の騒音が、絶え間なく聞こえている。
この地は、全国でも珍しい修行としての野宿が認められた場所らしいが、とても安閑と
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