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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

遊廓跡の存続(東海道五十七次歩き旅・山城国)

2025-03-12 | Weblog

 「橋本遊廓街」が最盛期の頃は、駅前に百人以上収容できる歌舞練場
があったらしい。遊郭のシンボル、町を象徴する建物であったらしいが、
駅前の再開発で解体され跡形もなく取り壊されたという。



 遊廓の客、練場の観客等で、立地の良い橋本駅は利用客も順調で大い
に恩恵を受けていたらしい。 加えて淀の競馬場の存在、枚方大橋の開
通(昭和5年)等は鉄道の営業成績に大きく寄与したと言われている。
客は関西圏が中心で多くは大阪府下の住民で8割を占めていたらしい。



 駅の客は、夜が深まるほどに増え、「終電は遊郭帰りの客で大変な込
みようだった」と言われている。
 また対岸の阪急電鉄(当時は新京阪鉄道)や国鉄を利用し、橋本の渡
しで来る客も多いらしく、渡し船は特に朝帰りの客で混雑したという。



 嘗ての花街も、売春防止法の施行により廃業を余儀なくされ、遊廓は
旅館や料亭、アパートへの転業が進み、今日でも旅館や喫茶店として営
業している処や、遊廓当時の内部を有料で積極的に公開しているところ
もある。



 一方で遊廓を負の歴史、残したくない恥ずべき歴史と捉え、残すべき
でないと言う考えもある。その為廃業後は建物を取り壊し、住宅に建て
替え、駐車場に転用する動きもあるらしい。
現に通りには、普通の住宅や駐車場、空き地も目立っている。



 どちらが良いとも言い難い難しい問題であるが、町の歴史を伝える貴
重な史料である事に違いなく、取り壊してしまえばまず元に戻すことは
かなわない。

 全国的に見ても貴重な遊廓跡の遺構であり、部外者ではあるが、個人
的には残して欲しいと思う。(続)





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