簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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弾丸列車構想(岡山臨港鉄道・廃線跡を歩く)

2023-04-07 | Weblog


 臨港鉄道の線路は、市道に面して建つ遊技場の敷地を貫いて、市道を
越えていたらしい。その先は狭い用水路に沿って設けられた遊歩道にな
っていて、これがどうやら線路跡のようだ。
市道を横断し、振り返ると遊技場の店舗駐車場に遮られているのが解る。



 線路跡の転用道路・泉田福成線は、依然として住宅街の中を行く。
とは言え、浦安本町に入ると道沿いの家並みは所々で途切れはするが依
然続いていて、切れ目からはその奥(南側)の干拓地らしい広大な田畑
の広がりを目にすることが出来る。



 並木町駅から歩く事1.7㎞程の地点、浦安本町の交差点付近に「岡南
福田駅」があった。
現在物流倉庫になっている辺りで、開業当初は「臨港福田駅」と言った。
単式ホーム2面2線の行違いが出来る駅で、自社の倉庫や近くにある生
コンクリート工場への専用線を持っていた。今もその会社が交差点の先
に見えている。



 戦時中に政府が計画していた、東京から下関間の「弾丸列車構想」は、
戦況が悪化して頓挫したが、岡山県内では、是に連動して旅客列車として
実現しょうとの動きがあったらしい。

 現在の大元駅辺りに「新岡山駅」を建設し、新たな交通の拠点にとする
ものである。岡山市役所が大元駅に近い地に立てられたのも、将来の中心
地を見据えた、この構想の一環であったとも言われている。



 その大元駅を起点とする臨港鉄道も、児島湾で締め切り堤防の工事が
始まった機会を捉え、締め切り堤防上に線路を建設し、児島湾を横断し、
瀬戸内海に面した港町・宇野まで路線を延伸し、四国連絡とするルート
が検討された。

 国鉄宇野線は、干拓以前の旧海岸線に沿って迂回し、距離も長いので、
臨鉄の路線で短絡しょうとするものであった。
しかしこの計画は、後に四国連絡が、現在の瀬戸大橋のルートに決定し
たため、取りやめとなっている。(続)





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