土山宿は、東海道49番目の宿場で、東の田村川板橋から西の松尾川
(野洲川)まで、北土山と南土山で構成され、長さは二十二町五十五間
(約2.5km)にも及んだ。
天保14年(1843)の東海道宿村大概帳によると宿内家数は351軒、うち
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠は44軒あった。
宿場は昔ながらの古い家も多く、重厚な黒瓦葺切り妻造り、連子格子
の町屋風の家屋が、平入りで立ち並んでいる。
軒瓦の上には鳩や鯉などの細工瓦も飾られている。
余り広くない通りに面し、粋な板塀を巡らし見越しの松の屋敷等も有り、
宿場町らしい見応えのある静かな佇まいを見せている。
明治23(1890)年2月、関西本線の前身の関西鉄道が三雲と柘植駅
間で先行開業した。南の平安時代初期の東海道のルートである、加太
越え道をなぞるように敷設されたのである。同年12月には四日市まで
延伸開業したが、旧宿場町の土山に鉄道が通ることはなかった。
このように明治に入り、鉄道や新しい国道が宿場から遠く離れた所に
通され、その煽りで旧宿場町が賑わいを失い、活気のない町並に落ちぶ
れてしまう。そんな宿場をこれまで多く見てきた。
しかしその分開発からは取り残され、結果的に狭い道に、昔ながらの
家並みが残され、古の面影を今に伝える町もある。
中にはこれを観光資源とし、新たな活路を見出したl旧宿場町もある。
宿内を暫く進むと左手に小さな祠があり、道中安全を見守っているの
であろうか、二体の地蔵尊が安置されていた。
その傍らには真新しい道標が建っている。
「従是 右京都へ十五里 左江戸へ百十里」「東海道近江国土山宿生里野」(続)
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