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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

高野街道六地蔵(四国遍路の旅・高野山編)

2015-12-21 | Weblog
 橋本の町を抜け、紀ノ川に架かる橋本橋を渡り、すぐに右折して旧高野
街道の狭い通りに入ってきた。
しばらく行くと道端の「三軒茶屋大常夜灯籠」が目についた。



 高野山への参詣道は、古くは慈尊院から町石道を登るのが一般的であっ
たと言う。しかし室町時代後期頃からは、御幸辻から南下し、橋本の地で紀
ノ川を渡り、学文路から登る不動坂道が距離も短いことからこちらが主に用
いられることとなり、天正年間にこの場所に地名の由来になった長さ130m
の木橋が架けられた。



 しかしその橋は3年後の増水であえなく流失、その後は舟による「無銭横
渡」が行われたといい、ここがその南岸の渡場跡らしい。



 この灯籠には「高野山興山寺領」との銘が刻まれていることから、この川
を超えると当時は高野山領に足を踏み入れたことになる。
京・大阪・堺などから高野山参詣に向け、歩き続けて来た昔の旅人は、よう
やくここに来て感慨深いものを感じたのであろう。



 その先の清水地区は、高野山領最初の宿場町として賑わいを見せたとこ
ろで、今でも街道に沿った狭い通りには、軒の低い重厚な瓦屋根の家屋が
その面影を今に残している。



 その宿場の東端に「西行庵」と並んで「地蔵堂」が建っている。
これは「高野街道の六地蔵」と言い、参詣の旅人の安全を祈念して街道筋
六か所に置かれたものの一つで、この地が第一の地蔵と呼ばれている。



 第二の地蔵は、旧道が国道370号に合流するあたりに立ち、そこを過ぎれ
ば学文路はすぐそこだ。(続)

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